文=河合拓

W杯7位のデフフットサル日本代表

『デフフットサル』という競技をご存知だろうか? ルールそのものは、フットサルと変わらない。プレーする選手が、聴覚に障害を抱えている選手たちなのだ。そのため、審判は笛を持たずに旗を持ち、選手たちにジャッジを伝える。デフフットサルには日本代表チームがあり、2015年にタイで開催されたワールドカップにも出場した。

 今回、このデフフットサル日本代表が出場する国際親善大会が初めて国内で開催された。そもそも、デフフットサル日本代表は国内で親善試合を行ったことはなく、これまでの活動は年に数回の国内合宿だけだった。なぜ、今回、国際大会を開催することになったのか、日本ろう者サッカー協会の田口昌弘理事にうかがった。

 大きなきっかけとなったのは、2015年にタイで開催されたW杯だったと田口氏は説明する。

「これまで国際大会を日本で開催することは、考えていませんでした。しかし、2015年にタイで開催されたデフフットサルのW杯で、日本は7位という結果でしたが、世界一になったイラン、準優勝したタイと比較すると、実力差があまりにも離れていたんです。その現実を目の当たりにして、『このまま日本国内で合宿を重ねるだけでは、世界に勝つのは厳しいな』と思いました。日本代表を強くするためには、日本国内のデフフットサルを取り巻く環境、選手たちの環境を変えないといけません。こういう大会を開催することで、代表の強化の一環になりますし、デフフットサルを知らない人たちに、この競技を知ってもらうきっかけになると考えました。これが今回、日本で国際大会をやろうと思ったきっかけです」

 当然、日本のデフフットサル選手にプロ選手はいない。選手たちは生活をしていくために仕事を持っているが、デフフットサルというマイナー競技ゆえの難しさがある。たとえば、同じアマチュア選手でも、オリンピックやパラリンピックの選手は、その状況を理解してくれて雇用してくれている会社が多い。そのため、「大会に向けて、合宿があるんです」と説明すれば、「頑張って来い」と送り出してもらいやすい。

 だが、デフフットサルの選手は、そうもいかない。「私たちの場合は、合宿に行くと伝えても、『デフフットサル? 何それ?』から始まって、『それに行くの?』と言われてしまいます。周囲に理解してもらえるようになることが、本当に大切なんです」と田口氏は強調し、こうした国際試合や国際大会を行うことで、この競技がより発展していくことに期待を寄せる。

 平日開催ということもあり、残念ながら会場が満員になることはなかったものの、初めてデフフットサルを見た人たちからは、「面白かった」「これからも応援していきたい」といった声も聞かれた。見た人に何か伝わるものがあったということだ。

初の大会開催で見えた課題

©futsalx

 そうした収穫が出た一方で、課題も残った。一つは、本来はウズベキスタン代表を含めて3カ国で行われるはずだった大会が、ビザの問題もあってウズベキスタンが大会直前で三選を取りやめた。急遽、ソーシャルフットボール関東選抜とのエキシビションマッチが組まれたが、大会に参戦したのは日本と韓国の2か国の試合になってしまった。

 また、「日韓戦」という見どころはあったものの、日本と韓国は力の差が大きかった。「日韓戦」の前にエキシビションマッチを行っていたこともあり、特にFPが7人しかいなかった韓国代表は疲労困憊。前半のうちに退場者が出てしまったこともあり、競技のレベルアップや面白さを伝えて普及をしていくという面には、課題を残すこととなった。

 ただし、こうした点については試合前から田口氏も認識しており、「この大会を毎年続けて行くために、まずは今回できる限りのこと、やれる範囲のことをやりました」と、説明している。今後、定期的に開催することが決まれば、土日に体育館を抑えることもできるだろうし、大会の冠を務めてくれるようなスポンサーが見つかれば、日本よりも強い国々を招待することもできていくはずだ。

©futsalx

今回、話を聞かせてくれた日本ろう者サッカー協会 田口昌弘理事

未来に向けて踏み出した第一歩

 こうした課題が出るのも、すべては動き出したからこそ。第1回大会が実現でき、新しい一歩を踏み出せたことは、大きな意味を持つ。自身も耳に障害を抱えており、デフフットサルをプレーしているという田口氏の目は、同じように障害を持つ子供たちの未来を見ている。

「イランやタイでは、デフフットサルの選手でも、健常者のトップレベルのチームでプレーしている選手がいるんです。それは耳が聞こえなくても子供の頃からフットサルをプレーできる環境があったから。フットサルは狭いコートで、5対5でやるため、声のコミュニケーションがすごく大事です。指示の声が聞き取れないと、見て動くしかありません。そうすると、どうしても一瞬遅れてしまい、チームプレーが難しくなります。でも、イランやタイのトッププレーヤーは、子供のころからずっとやっているので、経験でそうしたことを補えるんです」

 日本では、耳に障害のある子供が、一般のサッカークラブに入るときも、受け入れられないことが少なくないという。だが、デフフットサルの国際大会が盛り上がっていけば、一般のサッカークラブにも受け入れられる体制が広がるかもしれないし、耳に障害のある子供たちもフットサルの国際大会に出るという夢を持ちやすくなるだろう。

「こういう大会を開催して、アジア予選、W杯で結果を出し、デフフットサルを多くの人に知ってもらいたい。聞こえない子供たちが、普段住んでいる地域や学校のみんなと一緒にボールを蹴れる。それでサッカーやフットサルを好きになってもらい、やがてはデフサッカーやデフフットサルの代表だけではなく、サッカーのフル代表を当たり前に目指せる。そんなふうに変わっていったらいいなと思っています」

 障害を持った人たちにも、当たり前のようにスポーツをすることができる環境を与えられる。そんな国になったとき、日本も「スポーツ大国になった」と、言えるのかもしれない。


河合拓

2002年からフットサル専門誌での仕事を始め、2006年のドイツワールドカップを前にサッカー専門誌に転職。その後、『ゲキサカ』編集部を経て、フリーランスとして活動を開始する。現在はサッカーとフットサルの取材を精力的に続ける。