文=中西美雁

NHKでは「日本代表」?

 バレーボールの日本代表は、一般的に「全日本」という呼称を使われる。日本バレーボール協会でも正式にこの呼び方を使っている。このことについては、ときどき他競技の関係者などから「なぜバレーは“全日本”なんですか?」と聞かれることがあった。バレー一筋でやってきた筆者には、最初何のことだか今ひとつ分からなかったが、言われてみれば、確かに他競技では「日本代表」と呼ぶのが普通だ。

 ネット上では、「“日本代表”が正しい呼び方。日本バレーボール協会が勝手にそう呼んでいるだけで、NHKでは“日本代表”という呼び方をしている。民放は日本バレーボール協会にならって、“全日本”と呼んでいる」という説が流布していたが、NHKの方に聞いてみると、そうではなかった。

「NHKでは特に“全日本”と呼べ、とも“代表”と呼べ、とも規定はないですね。それぞれのアナウンサーに任されています。バレーボールでも“代表”と言うのは、サッカーの実況が多い若手のアナウンサーなのではないでしょうか。“全日本”と言っているアナウンサーもたくさんいますよ」とのこと。

 このことについて、かのやスポーツ研究所代表の古澤久雄さんにもお話をうかがった。

「大昔は大概の種目で、ナショナルチーム日本代表の呼称が“全日本”でした。現在生残りはハンドボール、柔道、バレーボールくらいに激減しましたね。その他団体名や大会名(選手権)に多種目で存続していることも見逃せません。“日本”や“全国”では飽き足らない歴史+伝統が背景にありそうです」

過去には「日本代表」と呼んでいた時期も

©Getty Images

 昔は他競技でも「全日本」だったようだ。サッカーのJリーグが創設された頃から、「日本代表」という言葉が一般的になっていったように思う。バレーボールの記事でも、「代表」という言葉を使わないわけではない。「世代別代表の経験」など、アンダーカテゴリを指すときに使ったりするし、選手の口からも「代表に呼ばれなくなって」など「全日本」ではなく「代表」という言葉が出てくることもある。ちなみに筆者は、バレー専門媒体では「全日本」、スポーツ総合誌などでは「全日本代表」と書くことが多い。バレーファン以外の人に「全日本」は通じないかもしれない、でもずっと慣れ親しんできた「全日本」という呼び方を全くなくしてしまうのはいやだな…という葛藤があるのだった。

 しかし、さらに年代を遡ると、バレーボールでも「日本代表」と呼んでいた時代があるらしい。手元にある「バレーボールマガジン創刊号」(昭和48年)では、すでに「全日本」という呼称が使われている。もっと前となると、日本バレーボール協会の機関誌だった頃の「月刊バレーボール」(当時は「VOLLEYBALL」)にあたるしかない。調べてみたが、1969年以前は確かに「代表」という呼称だった。1969年4月号から初めて「全日本」という呼び方が現れる。その前後の「VOLLEYBALL」と、故松平康隆元バレーボール協会名誉会長の著書のいくつかを読むと、どうやら「全日本」という呼び方は、単独チームで国際大会に出場することに対抗して、「日本全国から選手を選出した代表」という意味が込められているようである。

 前回の東京五輪で金メダルを獲った東洋の魔女は、日紡貝塚の単独チームだった。当時は、日本リーグを制したチームが単独で国の代表になる風潮があった。東京五輪で男子のコーチ、メキシコ五輪から監督をつとめた松平氏が、その風潮に異を唱え、各企業から優秀な選手を選抜したチームで臨むことを提唱した。

 このことは、よく女子バレーと比較されるところで、女子バレーは企業の争いのなかで育っているバレー。男子バレーは企業の協力による大同団結、非常に性格が違うわけです。~中略~各企業のバレーボール部の指導者間に、日本の男子バレーボールが世界の舞台で勝つためには大同団結しなければならないという正確な理解、正確な現状分析が、私のスタート時に出来上がっていた。
我が愛と非情


 当時の考え方として、世界と戦う代表チームは、1.企業単独チーム 2.企業単独チームプラスアルファ 3.各企業チームからの選抜 の3通りあり、そのうち3番目で行くべきだというのが松平氏の主張だった。そして1972年のミュンヘン五輪で、日本男子は悲願の金メダルを獲得する。

 古澤さんもこう話しを締めくくった。

「“龍神(全日本男子の愛称。公募して決まった)”、“火の鳥(全日本女子の愛称。これも公募して決まった)”や“監督名+ジャパン”がイマイチ親しまれない我が国バレーボール事情には、金メダルへの郷愁を込めた『あゝ! 全日本!』なのかもしれません?!」

中西美雁

著者プロフィール 中西美雁

名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はスポルティーバ、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行っている。著書『眠らずに走れ 52人の名選手・名監督のバレーボール・ストーリーズ』