文=池田敏明

2億円プレーヤーはゼロ。Jリーガーのコスパは果たして……?

 高校や大学、クラブユース出身の選手がJリーグ入りする際、選手たちは通常、「プロC契約」を結ばなければならない。これは年俸の上限が480万円に制限されるもの。J1リーグで450分間など、一定時間の試合出場をクリアすれば年俸上限のない「プロA契約」に以降できるが、それでも1年目の年俸は700万円が上限とされている。契約を結ぶ際には別に「支度金」が支給されるものの、独身者の場合は380万円となっている。

 日本プロ野球(NPB)の球団にドラフト1位で指名された選手の場合、契約金1億円、出来高5000万円、年俸1500万円といきなり大金を手にすることになるが、Jリーグ選手の場合はコツコツと積み上げなければならない。高額年俸選手の基準でもある1億円プレーヤーも、NPBの場合は2017年で72人(外国籍選手を除く)いるが、Jリーグでは外国籍選手も含めて10数名。年俸2億円を超える選手は皆無だ。

 ただし、JリーグはNPBに比べて試合数が少ない。興行としては、プロ選手の報酬の最大の根拠となるのは試合数だ。では、Jリーグ選手たちの1試合あたりの報酬はいくらぐらいになるのだろうか。2016シーズンの年俸上位選手で計算してみよう。

1試合あたりの報酬で見るとNPBと大差なし

 16年シーズンのJ1リーグ最高年俸は、遠藤保仁(ガンバ大阪)の1億6000万円。彼はリーグ戦全34試合に出場しただけでなく、天皇杯やYBCルヴァンカップ(ヤマザキナビスコカップ)など、合計40試合に出場したため、1試合あたりの報酬は400万円になる。遠藤よりも多い43試合に出場した中澤佑二(横浜F・マリノス)は年俸1億2500万円だったので、1試合あたり290万円強だ。NPBの野手で16年の最高年俸だった中村剛也(埼玉西武ライオンズ)の1試合あたりの報酬は約380万円(年俸4億1000万円、108試合出場)なので、試合ごとの報酬で考えるとJリーグ選手もプロ野球選手も大差ないと言えるだろう。

 Jリーグの年俸上位ランキングを見ると、遠藤や中村俊輔(横浜F・マリノス)、中澤、中村憲剛(川崎フロンターレ)、小笠原満男(鹿島アントラーズ)、楢崎正剛(名古屋グランパス)といった各クラブのレジェンド的存在が多く名を連ね、また上位25人のうち、半数近い11人がFW登録の選手と、どのクラブもストライカーを重視していることが分かる。

シーズン二桁得点を記録した選手の中で、1ゴールあたりのコストパフォーマンスが最もよかったのはペドロ ジュニオール(ヴィッセル神戸)の約444万円、次点がJ1リーグ得点王となったピーター ウタカ(サンフレッチェ広島)の約476万円だ。J1リーグ最多得点記録保持者の大久保も1ゴールあたり500万円と、健闘の部類に入る。

 チームとして年間最多勝ち点を獲得した浦和レッズでは、GK西川周作ら5選手が8000万円の年俸を受け取っていた。どの選手も40試合前後の公式戦に出場しており、年俸に見合った活躍を見せたと言えるが、DFイリッチだけは期待外れだった。スロベニア代表として60キャップ以上を誇り、ヨーロッパで長年にわたって活躍した“大物”だったが、加入早々に負傷し、チーム戦術にもなかなかなじめず、AFCチャンピオンズリーグに1試合、出場しただけでシーズンを終えた。

大物助っ人の加入が待遇向上の呼び水となるか

©Getty Images

 実力と実績のある選手でも本領を発揮できるとは限らないのがスポーツの難しいところだが、この夏にはさらなる大物、元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキが神戸にやってくる。年俸も破格だ。

神戸がガラタサライに支払う移籍金は270万ユーロ(約3億2700万円)。ポドルスキの年俸は3年総額1500万ユーロ(約18億1600万円)になるといい、単年で6億円を超える。
神戸・ポドルスキ6月誕生へ!J最高年俸6億円の3年契約 (1/2ページ) - サッカー - SANSPO.COM(サンスポ)

 6億円ということは、たとえシーズン20ゴールを挙げても1得点あたり3000万円。文字どおり“桁違い”だ。もちろん試合出場や得点数だけが年俸の対価となるわけではなく、ポドルスキの6億円という年俸には集客やグッズの売り上げでクラブに利益をもたらしてくれることの期待値も込められているだろう。そして、今シーズンのJ1リーグで優勝したクラブは賞金3億円、理念強化配分金15億5000万円という規格外の大金を獲得できるため、当然ながらチームを優勝に導く活躍も望まれている。

 いずれにしても、ポドルスキにまず求められるのは、試合に出続けることだ。ピッチに立たなければ何も始まらない。期待ばかりが大きくて、終わってみたら1試合あたりの報酬が1億円、1ゴールあたり3億円などという結果では、本当にシャレにならない。


池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。