文・写真=善理俊哉

香港はこんなアスリートを待ち望んでいた

©善理俊哉

(写真=2014年2月にベネチアン・マカオで行われたボクシング興行は、世界的には村田らロンドン五輪の金メダリスト3人が競演と売り込まれたが、会場の建物ではローカル・ヒーローのレックスの出場も大きくアピールされている)


 レックス・チョーこと本名チョー・シンユー(曹星如)は、日本では名字を“ツォー”、アメリカでは“トゥソ”と発音されることが多い。基本的に左利き構えで、攻撃はスタイリッシュなストレートパンチが主体だが、しばしば、右利き構えにスイッチし、根性任せのようなラフファイトを見せる。国際的なアマチュア実績は皆無だが、試合内容は常に激しく観客にとって“ハズレ”がない。ここまでの戦績は21戦21勝無敗(13KO)で、体重は115ポンドが上限のスーパーフライ級。

 幼少期が貧しかったにもかかわらず、常に笑顔を絶やさぬ「明るい苦労人」であることが大衆の心をつかみファッション誌などに登場する中で、香港人の抱いてきたボクサーへのダーティーな印象も一掃した。そもそも、香港はボクシング発祥国イギリスの影響を大いに受けた旧植民地だ。元々、『あしたのジョー』や『はじめの一歩』といったボクシング漫画も人気があり、人々はこんなグローバルで活躍できるアスリートを待ち望んでいたのだ。

 マカオが3年連続でマイナス成長となりボクシング開拓が敬遠され始めても、レックスは地元の香港で自主興行を成功させている。香港最大のコンベンション施設で行われた今年3月の試合でも、8000枚の観戦チケットが早々に完売。試合中継は世界有数の通信機器メーカーが全面バックアップするなど、レックスはグローバルでスポンサードの対象になり始めた。

今後は日本で認められることが不可欠

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(写真=リング上から香港の区旗を掲げるレックス)


 だがこのスター街道に、米国のボクシング専門誌が以前にこんなレッテルを貼ったことがある。

“軽量級で最も守られたボクサー”

 レックスに組まれる試合には負けるリスクが少ない。老舗の専門誌がそう評したのだ。

 確かにレックスは、日本人ボクサーたちとのマッチメーク交渉でも、アジア史上類を見ぬほど主導権を握ってきた。過去の試合は、いずれもレックスのキャリアや実力に合わせて組まれたのだ。そうなるとレックスに「日本にも戦いに来てほしい」と願う声が出てくる――と、思うかもしれないが、そうではない。レックスは日本で極めて無名だ。

 これまで、レックスは何度も日本に足を運んでいる。目的は自分の階級の世界タイトルマッチ視察。黙っていれば日本人と見分けがつかないため、試合に見入る彼に会場でも気づくボクシング関係者は少ない。

 しかし、これはレックス陣営にとっては好都合ではない。キャリア初期からレックスをマネージメントしてきたジャーヴィス・ラウ氏は、日本で認められることがレックスの今後にとって不可欠だと感じ始めた。

「軽量級のボクサーたちが目指すのは、マカオでもラスベガスでもなく日本だ。この国のボクシング文化は素晴らしい。過去にレックスと戦った日本人選手たちは皆が闘争心にあふれ、敗れたあとはアウェイの客席に深くお辞儀をしてリングを降りた。この国を手本にしない理由はない」(ラウ氏)

肉薄する「世界の壁」は井上尚弥

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(写真=レックスと同階級の王者・井上尚弥。WBOには、以前に日本の内山高志にも適用された「スーパー王者」に昇格する制度もないため、王座にいる限り壁となる)


 WBO(世界ボクシング機構)では現在、レックスの世界ランキングが1位まで上がった。つまり、王者の井上尚弥(大橋)への挑戦権を手にしたのだが、日本が世界に誇るエリート・ボクサーに現時点でレックスが挑む気配はない。その理由にラウ氏は「井上は日本で有名だが香港では無名だし、レックスはその逆だ。戦わせるのは興行としての計画性がない」と説明したが、こうも付け加えた。

「プロボクシング未開拓の街から世界一を目指す過程で、私は毎回レックスにリスクのある試合を組んできたつもりだ。それに今、交渉している試合が成立すれば、今度こそレックスにとって厳しい試合になる。負けてもリマッチを望むし、勝てれば王座挑戦への自信も出てくる。レックスは今年でもう30歳になるんだ。マッチメークでも冒険をしていかなければ、私はマネージャーとして失格だ」(ラウ氏)

大橋会長「井上を香港に送ってもいい」

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(写真=試合翌日の新聞は香港でのレックス人気を示していた)


 ラウ氏はこれまで第2、第3のスター選手の育成を試みてきたが、今のところレックスの後継者は育っていない。ただ、「香港はすでにレックス人気を通じて、プロボクシングの観戦文化が“芽生え”まで来ている」と話す。

 一方、王者の井上陣営はレックスの挑戦をためらう様子は全くない。所属先の大橋ボクシングジムの大橋秀行会長は「向こうの準備ができたら、井上を香港に送ってもいい」とまで防衛戦に自信を見せている。

 思えば“守られたボクサー”にあふれていたのは、アジアで抜群の経済成長を誇っていた日本だった。それがさまざまな事情で、肝試しのような冒険マッチが好まれるようにもなり、井上のような世界的に認められる選手も育つようになった。天敵扱いしていたメキシコの選手たちにも、今やすっかり苦手意識を持たなくなったのだ。香港ボクシング界も「レックスと共に去りぬ」ではなく、安定的なボクシング都市の確立になるまで文化成長を期待したい。そのためには、レックス自身がまだまだ成長する必要があるだろう。


善理俊哉(せり・しゅんや)

1981年埼玉県生まれ。中央大学在学中からライター活動始め、 ボクシングを中心に格闘技全般、五輪スポーツのほかに、海外渡航を生かした外国文化などを主に執筆。井上尚弥と父・真吾氏の自伝『真っすぐに生きる。』(扶桑社)を企画・構成。過去の連載には『GONG格闘技』(イースト・プレス社)での『村田諒太、黄金の問題児』などがある。