文=杉園昌之

日本では黒子役のトレーナー

 現在、日本のジムに所属するボクシングの現役男子世界王者は10人もいる。

 バンタム級WBC王者の山中慎介(帝拳)、スーパーフライ級WBO王者の井上尚弥(大橋)、フライ級WBA王者の井岡一翔(井岡)、栄光のベルトを巻くボクサーらの名前と顔は広く知られている。しかし、その影で彼らを一から鍛え、チャンピオンに育て上げたトレーナーの存在はあまり認知されていない。

 日本の場合、トレーナーはあくまで黒子役。プロ野球、プロサッカーのように裏方の監督、コーチの功績が表立って取り上げられることも少ない。地位、待遇も恵まれているとは言えないだろう。プロのトレーナー業として生計を立てられているのはほんのひと握り。その数は10人に満たないとも…。

 雇用形態は基本的にジムに雇われている「社員」、「アルバイト従業員」のような形がほとんど。歩合制、月給制、時給制など、サラリーの支払われ方はさまざまだが、日本で名トレーナーと言われる人でも、世界的に見ると、報酬は低いと言わざるを得ない。

 ボクシング大国のアメリカは雇用形態そのものが日本と異なり、その地位と待遇も大きく違う。腕利きのトレーナーは選手と専属契約を結び、世界王者の懐に入る数億、数十億円というファイトマネーの10~13パーセント近い金額を手にする者もいる。トレーナーも稼ぎは腕次第なのだ。

 その道、40年以上のキャリアを持つ田中栄民トレーナー(フリー)は日本ボクシング界の厳しい現実をしみじみと語りながらも、マーケット規模の違いを理解している。

「アメリカと比べれば、トレーナーの地位と報酬は確かに大きく違う。ただ、いまは日本のボクシングの興行自体がそれほど儲かっていないから。ジムが潤っていなければ、当然トレーナーの報酬も少なくなる」

 大多数のトレーナーはアルバイトに近い。時給1000円程度のところもあれば、それ以下のところもあると言う。中小規模のジムはいわば「零細企業」。無い袖は振れないのだ。そのほとんどの人は、他の仕事をしながら、選手たちを指導している。

トレーナーに求められる能力

©杉園昌之

 かつて角海老宝石ジムで元世界ライト級WBA王者の小堀佑介らを育て、名トレーナーと言われる田中氏も下積み時代には、ジムの雑用などのアルバイトを多くこなした。実際にトレーナーだけで生活できるようになったのは、30歳手前からだという。トレーナーとしての地盤を築いた角海老宝石ジムには、今でも恩義を感じている。

 トレーナーもいきなり一人前になるわけではない。まずは見習いからスタート。 田中氏は、選手を鍛えるだけでなく、若いトレーナーの指導もしている。

「トレーナーは選手との対人関係が大事。教える立場だからといって、偉そうな態度を取ってはいけない。自分が言われて嫌なことは言わない。そんなの、基本だけど(笑)。どれだけ、親身になれるかどうか。まずは、いい選手を育てるために一生懸命になること」

 自身もプロボクサーだった経験があるからこそ、減量中の精神状態も痛いほど分かる。過去に選手とトレーナーの間でトラブルになる例をいくつも見てきた。指導力は前提としてあるが、それ以前に「トレーナーにはコミュニケーション能力が必要」と言葉に力を込める。

「怒鳴って、選手を引っ張っていく方法もあるかもしないけど、私は選手を納得させた上でトレーニングを積ませたほうがいいと思う。選手とディスカッションすることも大事」

 選手が普段からトレーニングを積むように、「トレーナーも日々勉強しないといけない」と言い聞かせるように話す。

「これでいいと思えば終わり。基本は変わらないが、選手によって教え方は少し変えるし、もっと良い方法があるかもしれないと考えている。そのために、いろんな試合を見る。もちろん、名チャンピオンの試合も参考にする。ほかのジムに行けば、メーンとなるトレーナーの動きは見ている」

 ボクシングの指導に成功の方程式はない。

「理屈だけではないから」

 指導論は熱っぽく話すが、田中トレーナーはセコンドでは冷静そのもの。試合の展開に一喜一憂せず、リングサイドで大声を張り上げることもない。若いトレーナーにはセコンドの仕方も教えている。

「トレーナーがお客になってはいけない。ラウンド中、選手に指示しても、ほとんど耳に入らない。私の場合はラウンド間のインターバルに手短に1つ、2つ助言するだけ。そうしないと、選手の頭に入らない。リングサイドで感情的にならないのは、それがトレーナーとして勝つためにできる最善の方法だから」

 セコンドの指示もトレーナーと選手の信頼関係がないと、意味をなさない。

「トレーナーの言うことを聞けば、勝てると選手自身が本気で思ってくれるかどうか。腹の中で、『こいつ、何を言っているんだ』と思われてしまえば終わり」

 実際に世界王者となった小堀は、試合中にセコンドの指示をよく聞き、すぐにそれを実践してみせた。田中氏はそれも選手本人の実力の一つだったと前置きした上で、「信頼関係があったからこそだと思う」と振り返る。心は熱く、頭は冷静に――。

 還暦を超えた62歳になっても、田中トレーナーの情熱は一向に冷めていない。

「70歳まではやるよ!」

 鋭い眼光には活力があふれ、ときおり見せる柔和な笑顔に人柄がにじむ。

 トレーナーの地位、待遇を改善するには、まず日本ボクシング界を盛り上げることだと言う。業界全体の構造改革もあるが、トレーナーとして、いまできることは――。

「強い世界チャンピオンをつくることだね。それが野望だよ」

 どこまでも職人気質。力強い言葉は、ボクシング愛に満ちていた。


杉園昌之

1977年生まれ。ベースボール・マガジン社の『週刊サッカーマガジン』『サッカークリニック』『ワールドサッカーマガジン』の編集記者として、幅広くサッカーを取材。その後、時事通信社の運動記者としてサッカー、野球、ラグビー、ボクシングなど、多くの競技を取材した。現在はフリーランス。