錦織圭について

名前錦織圭(ニシコリケイ)
生年月日1989年12月29日
日本
出身島根県
プロフィール5歳からラケットを握ると小学生時代に全国大会3冠を達成。中学時代に、フロリダへテニス留学するとさらに才能が開花し、2007年にはプロに転向。翌年にツアー初優勝を飾り、以降現在に至るまで日本の第一人者として活躍中。

2014年の全米オープン男子シングルスでは、当時世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチを破るなど、日本人選手として初の決勝進出を果たす。2016年のリオデジャネイロ五輪では96年ぶりとなる銅メダル獲得。

ATPツアー11勝(2016年まで。日本人最多)。世界ランキング最高位4位(日本人最高)。青森山田高校卒業、日清食品所属。178cm、70kg、右利き

幼少期、恩師・松岡修造と出会いメンタル面を強化される

5歳で初めてラケットを握った錦織圭は、テニスに明け暮れるようになります。小学6年生時代、全国センバツジュニアテニス選手権大会12歳以下の部で優勝すると、その活躍が松岡修造の目に留まります。同年夏にジュニア向けの合宿「修造チャレンジ」に招待され、修学旅行を返上して参加すると、課題だったメンタルを徹底的に強化されます。するとそれはすぐさま成果として表れ、史上5人目となる全国大会3冠を達成しました。

若干13歳して、単身渡米しIMGアカデミーテニス留学

地元・開星中学時代には、盛田正明テニス・ファンド(MMTF)の強化選手に選出され、フロリダのIMGアカデミーにテニス留学することになりました。13歳にして単身渡米した錦織圭は、試合を経験するごとに成長していきます。渡米して4年後の2006年には、全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本人男子史上初の4大大会ジュニア優勝を実現しました。その後、男子単決勝戦に駒を進めたラファエル・ナダルは、決勝前日の練習相手に錦織圭を指名。当時のトッププロ選手が、仮想ロジャー・フェデラーと見立てたことでも、一躍注目されました。

17歳でプロ転向すると、実績を重ねて日本のテニス界をリード

錦織圭は2007年10月、自身17歳にしてプロ転向を表明し、ジャパンオープンでプロデビューします。翌2008年2月、デルレイビーチ国際テニス選手権では、予選から出場すると快進撃を続け、決勝で当時世界ランク12位だった第1シードのジェームズ・ブレークを破りツアー初優勝を達成しました。低身長という欠点を埋めるため、大きくジャンプしてフォアハンドを繰り出す「エアK」という武器も手にし、人気・実力ともにあげていきました。

2009年には疲労骨折から長期間の試合欠場を余儀なくされましたが、2010年に復帰します。2011年には、松岡修造の世界ランキング46位を大幅に更新する日本人男子歴代最高ランクに登りつめ、世界ランク1位のノバク・ジョコビッチを破るという快挙も成し遂げました。2012年のロンドン五輪では5位入賞、同年10月には日本開催の楽天オープンでツアー2勝目、さらに2013年には国別対抗戦のデビスカップでも大きく貢献するなど、錦織は日本の第一人者として活躍を続けていました。

マイケル・チャンのコーチングで世界トッププロへ成長

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錦織圭が世界のトッププロとしてさらなる階段を登った背景には、2013年末からコーチに就任したマイケル・チャンという大きな存在があります。台湾系アメリカ人として、17歳時に史上最年少で全仏オープンを制したグランドスラム優勝者であり、3度のファイナリストのチャンは、同じ低身長の錦織圭にとって渡りに船でした。トッププレイヤーに対し、畏敬の念を抱きすぎることを大きな欠点と捉えたチャンは、メンタル部分を特に厳しく指導します。その効果は即、結果として現れ、2014年は大きな飛躍の年となりました。

4月にはバルセロナ・オープンで初優勝して、世界ランキングで初のトップ10入りを実現します。さらに9月の全米オープンでは、治療明けだったにもかかわらず次々とシード選手を撃破します。特に準決勝では、世界ランク1位のジョコビッチ相手にフルセットに渡る死闘を制し、アジア出身選手として初の決勝進出を果たしました。日本中が注目する中での決勝戦でしたが、ストレートで敗退し初優勝を逃しましたが、世界ランキングを自己最高の8位に上昇させました。

さらにその後もマレーシアオープン、楽天オープンと初の2週連続優勝も飾り、年間ポイント上位選手8名しか出場できないATPワールドツアーファイナルにアジア出身男子として初出場します。同大会でもいきなり準決勝進出という快挙を成し遂げ、世界ランキングは自己最高位の5位で2014年を終えました。

期待される日本人選手として初となる4大大会優勝

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2015年以降も、錦織圭の活躍は続きます。年始の全豪オープンでは、4大大会3度目のベスト8進出を実現しました。その後もメンフィスオープンで優勝するなど、2戦連続で決勝戦へ進出し、3月時点で世界ランキングは自己最高の4位まであげていました。4大大会では上位進出できなくても、ツアー勝利を重ね2年連続でATPワールドツアーファイナルに出場と安定感を手にしていたのでした。

2016年には、3季連続でオリンピックに出場し、シングルス3位決定戦ではかつての世界王者ナダル(スペイン)をフルセットの末勝利し銅メダルを獲得しました。日本人選手として96年ぶりのメダル獲得でした。そのまま好調を維持して、9月の全米オープンでは2年ぶりのベスト4進出を実現し、ATPワールドツアーファイナルにも3年連続で出場しました。

通算成績で、日本人最多のATPツアー11度の優勝ともはや錦織がトッププロプレイヤーであることに疑いの余地はありませんが、期待されるのは日本人初の4大大会制覇です。もちろん明らかに小さい体格から体力面では劣るといわざるを得ません。しかし俊敏なフットワークをベースに、世界屈指のリターンや予測困難なドロップショットなどバリエーションも多数持ち合わせています。フルセットでは、歴代選手の中でもトップクラスの勝率を誇り、近い将来、日本人としてまだ誰も到達しない頂に登ることが期待されています。


VictorySportsNews編集部