文=mataroviola(一級建築士)

根回し不在の政治手法のリスク

2016年8月の小池知事就任直後から、その政治手法のリスクは顕在化し始めた。五輪PT立ち上げに始まり、競泳会場アクアティックセンター、バレーボール等が予定される「有明アリーナ」、ボート・カヌー競技が開催される「海の森競技場」の見直しを宣言したのだ。やり玉に挙がった理由は、新設であり未着工だったからと推測できる。しかし、建設企業とはすでに契約にいたっており、設計も進んでいた。様々な方面から反論がでたのは当然のことだ。
 
特に、各競技団体からの反発は強かった。何度も国際的な競技団体と打ち合わせをし、要望事項をまとめ、都の関連部署と打ち合せを重ね、要望の実現に尽力してきた。そこに、全く何の相談もないまま見直し案が提示されたのだ。困惑を通り越し、怒りをぶつける競技団体幹部の気持ちも理解できる。
 
これほどまでに根回しの存在しない見直し案は、これまでの都政ではありえなかった。これは、小池都知事が任命した改革政策ブレーンたちが指揮し、都の中で既存部局とは独立した「都政改革本部」の中で作られたことが原因にあるだろう。
 
既存部局との調整もなく、減額ありきで進められた見直し案は、紆余曲折のすえ元の競技会場のままでの減額で落ち着いた。しかし、都知事はなぜこんなに性急に見直し案を発表したのか? そこには、小池都政の大きなリスクがあると感じざるを得ない。

元広島市長と小池都知事に共通する「特質」

広島県出身の筆者が思い出すのは、「2020ヒロシマ五輪構想」だ。2016年五輪誘致で東京が敗れた後、広島の秋葉忠利市長(当時)は2020年五輪誘致に真っ先に手を挙げた。
 
2009年10月11日、秋葉氏は田上富久・長崎市長(現職)とともに「被爆75年」のメルクマールとして「広島・長崎五輪構想」を発表。その構想はIOCの「一都市開催」の原則により却下されたものの、翌年2月11日には広島市単独の「ヒロシマ五輪構想」として修正された。
 
この構想は、一時期JOCの竹田恆和会長も支持し、橋下徹大阪市長(当時)も賛同するなど支持の輪が広がった。だが次第にその輪は萎み、2011年1月の秋葉氏の次期市長選の不出馬表明、同3月11日の東日本大震災、そして現職・松井一実が市長選を勝ち4月14日に誘致断念宣言をすることで終止符が打たれた。
 
テーマとしては極上の条件を有していたヒロシマ五輪構想が、なぜ頓挫したのか? それは、とりもなおさず地元での支持がいまいち盛り上がらなかったのも一因である。
 
広島は、1992年のアジア大会開催で財政的に大きな負の遺産を背負った過去がある。そのため、国際大会への忌避感が大きかった。加えて、秋葉氏の周辺が地元の競技団体との根回しをほとんど行なわず誘致計画を作成していったことが大きな要因と考えることができる。
 
当時の誘致計画は、「経費の大半を世界中からの寄付で賄う」という非現実的な財政計画だった。さらに、競技場計画一つ一つが、既設施設利用でのコストダウンを意識しすぎるあまり、「この施設では世界大会などできない」というようなものが満載であった。ここにも、首長の「性急な発表」の弊害が影を落としている。

スポーツ系公共事業と「劇場型」の相性の悪さ

小池都知事と秋葉氏に共通するのは、メディア出身の首長であることだ。
 
メディアに出自を持つ首長にありがちな「劇場型政治」、センセーショナルな発表により大衆を味方に付ける手法を好むタイプだ。自ら記事を執筆したり、報道番組を作った経験から「どのようなニュースが読者・視聴者にウケるか」というカンがあり、それに基づく政治手法をとりがちということだ。
 
しかし政治は、短い時間で大きく変革することが必ずよいとはいえない。時間をかけて浸透させていくべき政策もたくさんある。広島のサッカースタジアム問題に長く携わってきた筆者は、スポーツ行政とはその後者の一つであると深く考えている。
 
スポーツに公金を投資することは、誰もがウェルカムではない。だからこそスポーツ、特にプロスポーツが地域にもたらす意味を長い時間かけて各方面に説明し、合意形成に努める必要がある。地方行政、地方議会そして地方財界と、そのスポーツの地方組織が力を合わせて作り上げていく新しいスポーツ施設の建設整備は時間と根回しが必要だ。「劇場型政治」とは、相性が悪いと言わざるを得ない。

小池新党のリスク

今回の都議会議員選挙では“小池新党”と言われる「都民ファーストの会」が大きく注目を浴びている。
 
都政改革を訴える小池都知事と志を一つにし、わかりやすい言葉で「東京大改革」を訴える選挙戦術。小池氏の都知事選時の高い得票率、世論調査での高い支持率を背景に、勢いのある選挙戦を繰り広げると期待されている。「劇場型」の小池知事を当選させたキーマンたちがまとめてきた都民ファーストの会の公約は、既存の都政の「澱(おり)」を払拭せんとする気概を感じることができる。
 
ただ、スポーツを愛する人間から見ると、小池都知事の口からも都民ファーストの会の政策公約からも、「スポーツを主役としたスポーツの祭典を素晴らしいものにする」という視点が見えてこない。東京はスポーツの面でも最大の舞台であるべきであり、そのポテンシャルを持っている。そのことをもっと強くサポートするべきなのではないか、という疑問は否めない。
 
「劇場型首長」が率いる「新時代型政党」が、五輪を前にして打ち出す政策として、「コストの透明化」だけというのはあまりにも悲しいし、危機感を感じるべきではないか。都知事の「五輪の運営費は3,000億削減できる」というコメントは、内容の精査も含め、五輪のレガシーを次世代に引き継ぐために、検証が必要だろう。
 
さらには、豊洲市場移転問題も五輪に不安の影を落としている。小池都知事が移転延期を決めたことで、五輪の基幹道路である環状2号線の工事が暗礁に乗り上げてしまった(閉鎖する予定だった築地市場の一部を通すことになっていた)。これも、「劇場型」を重視するあまり、長い間かけて積み上げてきた交通計画を軽視してしまった結果だと言わざるを得ない。現実問題として、環状2号線の代替施策のためさらなるコスト増となる可能性も高いのだ。
 
“スポーツを愛する都市”としてのインフラ形成は、一朝一夕ではできない。深い根回しと準備期間を経て、合意形成を行ない、ようやく実現することができる。2020年東京五輪というスポーツの祭典を盛り上げる主役である東京都が、行政としてスポーツへのリスペクトをどれだけ打ち出していけるか、そのビジョンを明確に示せるか……スポーツを愛する都民として、この都議選で真剣に評価していくことが必要ではないかと考える。
 
<了>

mataroviola

著者プロフィール mataroviola

広島生まれ、広島育ちのスポーツ好きな建築アカウント。カープの初優勝時に小学一年生ながらデパートの振る舞い升酒に口を付けてしまったところを中国放送に抜かれ、親ともども学校に呼び出された経験から、スポーツと社会を見つめつつ、都市・建築の知識からスポーツを語る熱いアラフィフ。