ブラジル生まれバスケ育ちの波多野和也[後編]「もう少しだけ」の気持ちで頑張り続けるプレーヤー人生、まだまだ続く
Bリーグ開幕戦にド派手なアフロヘアーで注目を集めた波多野和也。見た目は派手だが、プレーは泥臭さが売り。身体を張って基本に忠実に、チームに徹する働きが評価されて、多くのチームを渡り歩いてきた。このオフは島根スサノオマジックへの復帰が決定。プロ13年目のシーズンを前にした波多野に、ジャーニーマンとしてのキャリアを語ってもらった。 bjで何年かやってアメリカに挑戦するつもりだった ──bjリーグが始まるタイミングでプロ選手になりました。その経緯を教えてください。 大学3年の時に「アメリカでバスケがしたい」と、無謀にもサマーリーグのトライアルを受けに行きました。ボッコボコにされて帰って来たんですけど、もう一度行きたいという気持ちが強くて。何とかして向こうでプロになれないかと思っていて、それでもダメだったらバスケをやめるつもりでした。 その準備をしていた時に、大学のヘッドコーチに「日本にもプロができるぞ」と言われて。でも、あの頃は毎年のようにそんな噂は流れるけど、具体的には何も動かないということの連続だったので「本当かなあ」という感じでした。そうしたら新潟や埼玉が実際に動きだして、ようやくbjリーグが立ち上がりました。 僕はバスケットをやりながら仕事をするという器用なことはできないタイプなので、企業チームに行って社員選手になるイメージは全くできませんでした。アメリカに行く前のタイミングで日本にプロができるなら、そこで盛り上げてやろうと。そこでやってからでも、アメリカにはまた挑戦できると思いました。そうしてトライアウトを受けて、ドラフトで大阪に入ったんです。 ──いろいろありましたが、念願のプロキャリアがスタートしたわけですね。 でも、モチベーションは決して高くはありませんでした。「とりあえずちょっとやってみよう」ぐらいです。ただし夢はありました。ものすごく大きかったです。当時、「日本にプロリーグができた」というのは僕らにとって本当に大きなことで、「俺はやるぜ!」という意気込みはありました。ただ、夢と現実の違いもあったんですよね。 当時のクラブは僕をプッシュして、メディアの取材もたくさんしてもらいました。そうなると、すごくバスケがうまい選手として扱われるわけです。「俺はそんな選手じゃないのにな」という違和感と、それが表に出ていく葛藤は結構ありました。僕は基本的に、なるべく人と関わりたくない人間で、人前で何かするタイプじゃないんです。コートに立てば、自分のやれることをやるだけなんですけど、コート外の部分でのストレスは大きかったですね。 ブラジルの血が流れているというのは絶対にありますね ──それから12年、「ちょっとやってみよう」のはずだった日本でのプロ生活は長く続いています。プロに入って意識が変わったというか、成長した時期を挙げるとしたらいつですか? 意識改革というのは最近になってからです。年齢を取るにつれてプロとしてやらないといけないこと、自分の身体との向き合いをしないとやっていけないので。極端な話、昔は若さで何でもできちゃっていましたから。ストレッチをしなくてもいきなり100%で動けました。でも、今そんなことをしたら自殺行為です。 滋賀の1回目、20代後半で初めて膝の手術をして、その時にケアをしなきゃいけないとトレーナーに教えてもらって、自分でも意識するようになりました。 ──プレーはどうですか? プレースタイル自体は昔から一貫しているように見えますが。 そうですね。外のシュートは下手くそだったし、かといって今も入るほうではないんですけど、前よりは入るようになりました。だから結局、上達するとしても少しずつなんです。頑張って少しずつ上達して、今こうなって良くなってきています。 ──これまでのキャリアの中で一番苦しかったのは? 膝の手術ですね。初めて滋賀に行った時、オフにトレーナーさんをつけて動いていたんです。その時のコンディションが最高で、「今シーズンは楽しみだ」と思っていたんですが、チーム練習に合流して3日目ぐらいにひざをやって、半年ぐらいプレーできませんでした。それが一番つらかったですね。 地味なリハビリをやっている間は治っている気がしないんです。それでもトレーナーさんが毎日励ましながらケアしてくれて、あれがなかったらやめていたと思います。リハビリはキツかったし、メンタル的にはかなり落ちました。 ──とはいえ、波多野選手は良い意味で楽観的にバスケに取り組んでいて、それはブラジルの血なんだろうなあと思って見ていますが。 それはあると思います。あまり細かいことは気にしないですから。ケガは細かいことじゃないですけど、気にしたところでケガする前に戻るわけじゃないので。どうしようもないから「仕方ない」と思うわけです。まあ、ブラジルの血が流れているというのは絶対にありますね(笑)。 ──では、プロでこれだけ長く続けられる理由は何だと思いますか? まずは若いヤツらに負けたくないという気持ちがあります。それに、何かよく分からないんですけど「まだうまくなれる」と思っているんですよ。だって、うまくなれるかどうかは自分次第でどうにでもなるじゃないですか。それがあるからバスケをやめる気は全くないです。自分で「もう無理だ」と思ったらやめるんでしょうけど、今はそういう気持ちが全くありません。 ヘッドコーチの求めには敏感に反応するようにしています ──長いキャリアですが、毎年のようにクラブを変えるジャーニーマンでもあります。移籍のたびに新しい環境にアジャストするコツはありますか? コツとかではないと思います。ヘッドコーチが求めることをやるだけです。僕の場合はまずリバウンドですが、そこにもう一つプラスして何かを求められるわけです。それを一生懸命やればいい。 僕はもともとバスケがうまいわけじゃない。だからヘッドコーチの求めには敏感に反応するようにしています。それが自分の生きる道だと分かっているから。毎年のように自分に声をかけてもらえるのも、そういうところを評価してもらっているからだと思います。 長く続ける秘訣はモチベーションだけですね。自分がどれだけ負けたくないか、まだやれるという気持ち。それがなくなったら、やめればいいんです。それは昔からずっと変わりません。高校でも大学でも練習はキツかったけど、僕はずっとバスケを楽しんでいました。プロになってからもずっと楽しい。そこも楽しんでいいんだと思っています。 もちろん、プロになったら責任がありますが、それは自分で負うものであって、言い訳はできません。それでもやっぱり『好き』の延長線上なんです。部活でバスケをやっている選手には楽しんでプレーしてもらいたいと思いますが、プロだってその延長線上にあると思っています。好きだからこそうまくなりたいと思うし、あいつに負けたくないとも思うんです。やっぱり一番は『好きかどうか』ですよ。 すごく単純な話で、ミニバスでもそれまで入らなかったシュートが入るようになれば楽しいですよね。自分が成長する過程を楽しめるってことです。 ──今でも「若手に負けたくない」という気持ちは変わらない? それが当たり前のことですから。まずは自分のコンディションを常に整えながら。自分が求められた時に身体が動かないのでは意味がないので。だから身体と向き合いながらケアをしっかりやって、そしてバスケを楽しみます。 ──島根スサノオマジックへの移籍が決まりました。3年ぶりの復帰ですが、Bリーグになって波多野選手を初めて見るファンも多いと思います。「ここを見てほしい」というプレーはありますか? いや、僕は何も変わらないので(笑)。 ──派手な髪型だったりバッシュの色を変えたり、そのあたりは続ける? それはもうやっていきますよ。新しいファンの皆さんには、そのあたりを見ていただければ。慣れてきた人たちは、「今回のチームで波多野選手は何を求められているのかな」と思って見てもらえたら面白いかもしれません。
文=古後登志夫 構成=鈴木健一郎 写真=古後登志夫、野口岳彦