東京2020大会では3x3のほか、スケートボードやBMXフリースタイルなどが新種目に採用され、アーバンスポーツの可能性と今後の広がりに注目が集まっている。また、バスケットボールにおいては、人気漫画の映画化による大ヒットや、男子バスケットボールチームのパリオリンピック出場決定等により、Bリーグを中心に人気が高まっており、バスケットボール業界全体に追い風が吹きつつある。
初開催となった『3x3KOMAZAWA CUP 2023』には、そのような良い流れを逃さず、プレーヤーの裾野を広げるという目的があり、その先には『駒沢オリンピック公園総合運動場を3x3の聖地に!』という大きな展望も抱いている。
駒沢オリンピック公園総合運動場は、1964年の東京オリンピックの際に第2会場として使用され、閉会後の同年12月1日に都民に開放された。11のスポーツ施設のほか、公園内にランニングコースもあり、身近に運動ができる場として、地域の人々からも愛されている。また、園内にはフリーで使用できるバスケットコートが2面あり、ストリートバスケットが日常化している。そのような環境があるからこそ『駒沢オリンピック公園総合運動場を3x3の聖地に!』という構想が立ち上がったわけだが、アーバンスポーツの地位はまだまだ低く、そこにはもちろん課題もある。
今回の『3x3KOMAZAWA CUP 2023』にスペシャルゲストとして参加した東京2020オリンピック日本代表の落合知也(おちあい・ともや)選手は、プレーする機会が増えることが普及のポイントだと話す。
「まずは今回のようなイベントで、プレーする機会を増やすこと。それが大事なことだと感じています。3x3やバスケが日常になることが普及につながるし、それが強化にもつながる。普及と強化は同時進行させていかなければならない課題だと考えています。例えば、(3x3の)イベントにしても子どもたちがやった後にプロがやるとか、いろんな形で開催ができますし、行政とタッグを組んでやることができれば、もっと広まっていくはずです」
落合選手は高校、大学とバスケの名門校に行きながら、そこからプロの道へは進んでいない。ある意味でやらされているような感覚で、レールの上を歩いているような感じがバスケと距離をおく要因になった。しかし、3x3との出会いがバスケットボール観を大きく変化させることになる。
東京2020大会で正式種目となり、代表選手としてオリンピックに出場。3x3が世界と戦うことの高揚感を教えてくれた。オリンピック種目になったことで、周囲から見られる目が変わり、注目度が上がったことは間違いない。とはいえ現状はアーバンスポーツに関する活動の制限も厳しく、普及させていくにはそれらの環境を変えていく必要がある。
落合選手は漁港でプレーした経験もあるそうで、場所や人数に関してもやりやすい条件が揃っているのが魅力だと話す。
「3x3はどこでもできて、お金もそれほどかかりません。最近は少子化問題もあって、5対5ができないという相談もよく受けるんですが、そういう面でも3x3はやりやすいと思います。公園で友達が集まって自然にバスケが始まる。そんな環境が増えればいいですね。もっと言えば、その3人が友達同士じゃなくてもいいんです。それがきっかけでコミュニケーション能力も上がっていくので、そういうツールにしてもらいたい思いがあります」
3x3が通常のバスケットボールと大きく異なるのは、ゲーム中、監督やコーチが介入できない点にある。この日のイベントでも、子どもたちは自ら考え、判断し、そして行動していた。だからこそ勝てば本当に嬉しそうに喜ぶし、負ければガックリ肩を落とす。そんな光景が当たり前のように見られたことが嬉しかったと落合選手は振り返る。
「クリスマスイブにも関わらず、これだけ多くの子ども達と保護者の皆さんが来て、朝からずっとバスケットボールをやるなんて、1(イチ)バスケットボール人としてすごく嬉しいことですし、3x3をずっとやってきた身としては、こういうふうにチャレンジしてくれたことや楽しんでくれたことは本当に嬉しいです。1つのボールを一生懸命追いかけて、体を張ってやる姿や、大人さながらにプレーするところはすごく感銘を受けたし、そういうプレーこそ見ている人の気持ちを動かすんだと改めて思いました」
この日のイベント中、スタンドにいた小学生から落合選手に向けて「絶対にプロになるから、名前を覚えておいて!」と声がかけられた。落合選手にとってはこの上なく嬉しい言葉だったに違いない。
36歳の落合選手の近々の目標は、まずは日本代表に入り、パリオリンピックに出場してメダルを獲得することだ。ただ、単に勝利するだけではなく、人を熱くさせるプレーこそが3x3を普及させる最も大切なピースだということを、この日の子ども達から感じ取ったはず。
イブの夜、駒沢オリンピック公園総合運動場の屋内球技場には子ども達の熱気がいつまでも残っていた。