文=高崎計三

2人の兄によって行われた試合前の予行練習

セミファイナルが終わり、まさにメインイベントの選手入場を待つばかりというタイミングで、「おや」という出来事があった。亀田興毅、大毅の2人が客席に姿を現したのだ。

これから弟・和毅のセコンドを務めるはずの2人がなぜ今? と思ったら、ピンク色のTシャツを着て西側客席に陣取っていた和毅応援団に向かって、チャントの予行演習を始めたのだ。

「どーんなもんじゃい(手拍子)、どーんなもんじゃい(手拍子)、カメーダトーモーキー、カメーダトーモーキー、カメーダトモーキカメーダトモーキカメーダトーモーキー」

後半は「ポパイ」の主題歌の節回し。こう書けば、「ああ、あれか」と思う人もいるかもしれない。以前、興毅に対して起きていたチャントの、和毅バージョンというわけだ。ひと通りの練習を終えると、興毅と大毅は「頼んますよー!」と客席に声をかけ、戻っていった。実際、興毅が使っていた入場テーマ曲「バーニング・ハート」に乗って、興毅と大毅に挟まれる形で和毅が入ってくると、応援団を中心にこのチャントが発生した。

7月10日、後楽園ホール。メインイベント、56kg契約10ラウンドのノンタイトル戦で、亀田和毅はメキシコのイバン・モラレスを迎え撃った。和毅にとっては36戦目、協栄ジムに籍を移してから2戦目で、後楽園での試合も3月の前戦に続いて2試合目。「世界前哨戦」と銘打たれた通り、これに勝って自身2本目の世界王座を狙おうという一戦である。

相手のモラレスとは、不思議なまでに共通点が多かった。まず何と言っても、ともに「ボクシング3兄弟の三男」であるという点。亀田家の興毅・大毅、モラレス家のエリク・ディエゴと、長兄・次兄はともに世界王者経験者である。

24歳同士でもあり、戦績も和毅が35戦33勝(20KO)2敗、モラレスが33戦31勝(20KO)2敗とほぼ同格。大きな違いを挙げるとすれば和毅がすでに世界王座(WBOバンタム級)を獲得しているのに対し、モラレスは世界挑戦こそ経験しているが、戴冠はまだという点だ。ただ和毅はスーパーバンタム級、そしてそれ以上の階級でもベルト獲得を目指しており、両者ともこの一戦が“世界につながる戦い”であるという意識は強い。

難敵を相手にほぼフルマークでの完勝

8時半過ぎに試合開始のゴング。自分より身長・リーチで勝り、なおかつ約7年ぶりの対戦となるサウスポーのモラレスに対し、和毅はいつも通りステップを使いながら前に出てプレッシャーをかけていく。

和毅の武器は何と言ってもそのスピードだ。素速い出入りとともに速いジャブを繰り出しながら、機を見ては右ストレートや左右フック、そして距離を詰めると左右のボディを入れていく。前傾気味のモラレスが頭を下げるタイミング、パンチを振って出てくる瞬間にはすかさず右を合わせる。3R、モラレスが振るった右をダッキングでかわすと、場内からは大きな歓声が起きた。

4Rに入ると和毅の動きはさらにギアアップし、右アッパー、左ボディをヒット。後半に左ボディアッパーを当ててモラレスをぐらつかせると、その右拳を大きく回して見せながら前後にステップしてアピール。見せ場を作りながら盤石に試合を進めていく和毅の戦いぶりに、例のチャントもたびたび発生した。

中盤からはボディを警戒してさらに前傾になるモラレスと頭を突き合わせての接近戦になる時間も増えたが、ここでも和毅は主導権を握り続ける。6R序盤には「出てこい」と挑発するようなジェスチャーを見せ、続く7Rには左ボディでモラレスの動きがやや鈍る場面も。ゴング直前には右を連続でヒットし、4R同様にグルグルと右手を回して挑発。

和毅が素速い仕掛けで攻勢を握る一方、モラレスが粘り強さを見せたのも確かだ。前傾姿勢から時折見せるパンチの力強さには見るものがあったし、8Rには左右ボディから左、右へのつなぎも見せた。終盤、9・10Rには挽回を期して打ちに出る場面も増えたが、和毅もスタミナの低下を見せることなく打ち合いに応じる。両ラウンドとも、速いラッシュを仕掛けたのは和毅の方だった。

最終10Rが打ち合いの中で終了すると、勝利を確信した和毅は腕を上げ、客席からはやはり大きな歓声が挙がった。その中でアナウンスされた判定結果は、ジャッジ2名が100-90、1名が99-91という「ほぼフルマーク」で和毅の完勝。「危なげない勝利」とはまさにこのことだった。

リング上でインタビューに応えた和毅は判定勝利の試合を「倒したかったけど、前回よりは良い試合ができたので、ちょっとは進歩できたんじゃないか。モラレスはテクニシャンでディフェンスもうまく、勉強になった。チャンスがあれば世界戦もやりたいけど、タイミングもあるので。今はもっと練習して強くなるのみ」と振り返った後、こう続けた。

「今日、初めて“トモキコール”が起きて、すごく力になりました。タイトルマッチではもっと大きなコールをお願いします。今、もう一回“トモキコール”をやってもらえませんか」

試合前、2人の兄が“仕込んだ”チャントは、しっかりと和毅の耳に届いていたわけだ。その兄たちが扇動する中、応援団はさらに盛大なチャントでリクエストに応えて大会は終了した。

和毅を受け入れた“ボクシングの聖地”後楽園ホール

©共同通信

試合後のモラレスは「勝つために日本に来たが、叶わなかった。効かされたというパンチは特にないが、和毅はスピードが速く手数も多かった。(世界戦で対戦した)リー・ハスキンスには逃げ回られたが、和毅には世界クラスの実力があることを認めざるを得ない」とコメント。その顔にはパンチを受けた痕がありありと残っていた。

一方の和毅陣営は2人の兄と協栄ジム・金平圭一郎会長も並んでコメント。興毅は「圧勝できたし、課題も見つかった。こんないいことはない」と試合全体での成果を強調。「あと10センチ踏み込めるかをテーマにしてきて、2~3センチは踏み込めていた。課題は上下、強弱の打ち分けなど、挙げたらキリがないけど、お客さんもずっと歓声が途切れず、良い試合だったということでは」。金平会長も「90点の出来。倒せなかったのはモラレスが頑張ったから。世界戦はチャンスがあれば」と、上々の表情を見せた。

ウルトラ意地悪な見方をすれば、「ないないづくし」と言うこともできるかもしれない。かつての「亀田フィーバー」のような狂騒もなければ、過剰な演出もない。試合はKO決着ではなかったし、ダウンシーンもなかった。「亀田」という名前イコール「過去のもの」としか認識していなければ、「以前と比べたら、だいぶ地味になった」と思われるだろう。しかしそれは、余計な飾りが振り落とされたに過ぎない。その結果として残ったのは、シンプルな「ボクシング」そのものだった。偽物、紛い物には厳しい“ボクシングの聖地”後楽園ホールの空気が、彼らに対して拒否反応を示さなかったのが何よりの証拠だ。

10ラウンドを通して多彩なパンチで先手を取り続けた和毅。倒し切るに至らなかったことは、世界戦を見据えての課題として残った。しかし「今は自分が亀田家の長男」との自負を持って進む彼はこの試合でも進歩の跡を見せていたし、まだまだ伸びしろがあることを示した。そして何より、彼自身が何よりの信頼を置く2人の兄という心強い存在がある。現在の興毅・大毅は誰かに押しつけられたキャラクターを演じる必要もなく、和毅をバックアップすることに専念している。だからこそ試合前、観客にチャントを要請するという行為も躊躇なくできるのだ。彼らのサポートを受けて、和毅がどこまで突き進むことができるのか。それをもっと見届けたくなる一戦であった。


高崎計三

編集・ライター。1970年福岡県出身。1993年にベースボール・マガジン社入社、『船木誠勝のハイブリッド肉体改造法』などの書籍や「プロレスカード」などを編集・制作。2000年に退社し、まんだらけを経て2002年に(有)ソリタリオを設立。プロレス・格闘技を中心に、編集&ライターとして様々な分野で活動。2015年、初の著書『蹴りたがる女子』、2016年には『プロレス そのとき、時代が動いた』(ともに実業之日本社)を刊行。