ケルンも手放したくなかった逸材

 2017年2月5日に浦和駒場スタジアムで行われたさいたまシティカップ、浦和レッズvsFCソウル。浦和にとって2017年シーズン初お披露目となったこの一戦で、同点ゴールであり浦和唯一のゴールを奪ったのは、新戦力の長澤和輝だった。

 千葉出身の長澤は地元の八千代高校で3年生のときに主将として全国高校サッカー選手権に出場し、大会優秀選手に選出された。その後、専修大学へ進学すると1年生から早くもレギュラーになり、2年生のときに全日本大学選手権で優勝。4年生では高校のときと同様に主将を務め、2年生のときから連覇が続く関東大学サッカーリーグで優勝を決め3連覇を果たした。

 大学4年生のときには強化指定選手として横浜F・マリノスでプレーし、ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)に出場。その後は複数のJクラブが獲得に動いた。だが、長澤は当時ドイツのブンデスリーガ2部だったFCケルンへの入団を決めた。そして、2013-14シーズンは後半戦10試合に出場。3月からはレギュラーの座をつかみ、第27節からは5試合連続で先発出場してケルンの1部昇格に貢献した。

 しかし、2014-15シーズンは左ヒザ靭帯(じんたい)断裂の重傷を負い、リーグ戦の出場は10試合にとどまる。ケルンのヨルグ・シュマッケCEOからは、「大きな才能の持ち主。手放したくない」と評価されながらも、「試合に出てプレーしたいという思いが強くなった」ということで長澤は帰国を決断。2016年1月、浦和への加入と同時にジェフ千葉への期限付き移籍が発表され、Jリーグの舞台に立った。

 千葉での1年の経験を経て2017年1月に浦和への復帰が決定。浦和にとって、長澤は専修大時代から獲得を狙っていた選手だった。浦和の強化を司る山道守彦強化本部長は、「専修大学のときのプレーは素晴らしかったので、浦和レッズは大学から卒業するときも誘っていた。専修大学は朝6時半か7時あたりから練習する。そこにスカウトが朝早くからずっと行って、いろいろと話をしていた」と当時を振り返る。

 足掛け3年以上で獲得が実ったわけだが、浦和は獲得してすぐに千葉へ期限付き移籍をさせた。それには「ヒザをケガしてからゲームの出場が少ないのは理解していたので、ゲーム体力とゲーム勘を養うべきだ」(山道強化本部長)という理由があった。そして、「ジェフに1年間行ってもらって、とにかくゲーム勘とゲーム体力は養ってもらえた」(同強化本部長)と判断し、浦和でプレーすることが決まった。

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まずは浦和で地位を確立しなければならない

 本来はアタッカーであり、「ドリブルやパスでゴールに直結するプレー」を得意とする長澤だが、千葉ではチーム事情もありボランチでのプレーが続いた。そして、FCソウル戦でも後半の45分間をボランチでプレーした。後半のメンバーは長澤も含めて新加入選手が多く、浦和の特徴であるコンビネーションサッカーを発揮することはできなかった。長澤も「チーム全体でやってきた練習、しっかりボールを繋ぐことだったりで攻撃の形を出せれば」と考えていたが、「風だったり、ピッチコンディションだったりで、自分たちのタイミングもなかなか合わない部分があった」と思いどおりに進まなかったことを認めている。

 それでも、長澤は後半38分に、こぼれ球へ反応して豪快に右足を振り抜き、同点ゴールをマークした。
「前にシャドーの選手もいるけど、今日は青木選手とボランチで組んで、青木選手が下がり目で僕は前目だったので、ゴールに絡むシーンが出てきたらいいなと思って準備していた」。
文字どおりの「ゴールに直結するプレー」で駒場スタジアムに集まったファン・サポーターに実力の片鱗を披露した。

 ゴールは大きなアピールとなっただろう。ただ、長澤は浦和でのポジションを確約されたわけではない。

 FCソウル戦の浦和は前半と後半でチームを総替えした。後半に出場したメンバーは、左ストッパーの絶対的なレギュラーである槙野智章が入ったほかは、いわばサブ組と言えるメンバーだった。ボランチならば阿部勇樹、柏木陽介といった日本を代表する選手に加え、青木拓矢もいる。前線ならば、興梠慎三、武藤雄樹、李忠成、そのほかにも現在は負傷離脱している高木俊幸や梅崎司に加え、アルビレックス新潟からラファエル・シルバも加わっている。いずれにせよ、そう簡単に出場機会を得られるチームではない。長澤自身も「今まで出ていた良い選手がいる」と理解している。

 とはいえ、ドイツで活躍した長澤は将来の日本代表候補と期待される存在であり、ヴァヒド・ハリルホジッチ監督もケルン在籍時ではなく、千葉でプレーしていた昨年に「最終予選で使うのは怖い」としながらも、「フィジカル的にはおもしろい選手」とコメントしている。さいたまシティカップでもFCソウルを相手に全く引けを取らなかった体の強さを魅力に挙げ、「ここに入ってもいいと思う」と招集の可能性を認めていた。

 そのためにも、まずは浦和で地位を確立しなければならない。「チームがやろうとしていることをまずはしっかりとやらなければいけないと思う。自分がやりたいことというよりは、チームとして、できるだけ真ん中の位置からシャドーにパスを出すとか、空いているスペースに展開するとか」と戦術を理解してチームプレーに徹した上で、「ドリブルで前に持っていくことだったり、ゴールに絡むシーンだったりは僕の良さでもあるので、それが結果的に勝利につながるプレーになれば」と目を光らせる。

 まだまだ将来性と伸びしろを持つ25歳にとって、2017年はどんな1年になるのか……。もちろん飛躍の1年になる可能性は十分に高い。

そして、浦和に欠かせない戦力に

2017年12月9日、長澤和輝はクラブワールドカップ第一戦・アルジャジーラ戦敗戦のホイッスルをベンチで聞いた。
 
浦和レッズの2017年は、リーグ戦7位という失望、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)優勝という歓喜、そしてクラブワールドカップ初戦で敗れレアル・マドリーとの対戦機会を逃すほろ苦さ、さまざまな余韻を残すシーズンとなりそうだ。失敗とも成功とも言いがたい。日本のクラブとしてACLを10年ぶりに制したことは大きな成功であることに変わりはないが、レアル・マドリーとの対戦に心躍らされたファンからすれば簡単に納得することは難しいだろう。
 
もっとも、長澤個人にとっては躍動の1年となった。ペトロビッチ監督解任後の第24節に初めて途中出場を果たすと、第30節・ガンバ大阪戦で初のフル出場。翌31節の広島戦では、決勝点となるJ1初ゴールをマークした。ACL準決勝セカンドレグ、上海上港戦ではスタメンに名を連ね屈強な相手選手に全く引けを取らないフィジカルの強さを発揮した。
 
そして、ブラジル・ベルギーとの親善試合に挑む日本代表に初選出。ブラジル戦では出場機会がなかったものの、ベルギー戦でスタメン出場を果たし62分間プレーした。昨年はJ2でプレーし、今季はペトロビッチ解任までほぼ出番を得られなかった長澤からすれば、最終的に日本代表としてシーズンを終えることは望外の喜びといえるだろう。
 
もっとも、25歳(まもなく26歳)はヨーロッパでは“若手”ではない。Jリーグを経験せず、大学から直接ケルンへの入団を果たした長澤からすれば、ドイツでステップアップできず帰国し、Jリーグでもすぐには出場機会を積めなかったことには忸怩たる思いがあるに違いない。代表でポジションを争うとみられる井手口陽介は21歳であり、イングランド2部リーズへの移籍が取りざたされている。長澤の2017年は終わるが、2018年W杯のメンバー入りに向けた戦いはシーズンオフも続く。


VictorySportsNews編集部