高校通算107本塁打は立派な数字だが……清宮はプロで通用するのか?

早実というチームは古豪に違いないが、1987年からの30年に限れば、わずか4回しか夏の甲子園に出場していない。簡単に言えば、なかなか甲子園に出場できないチームだ。
清宮選手が1年の夏に、終盤の大逆転などもあって甲子園出場を果たした。まさに「持っている選手だ」と感服したが、その後は一度も甲子園に出場できない確率の方が高いと予想していた。西東京には、早実よりも総合力の高いチームがあるからだ。例えば日大三高は、過去20年で9回もこの地区を制覇し、甲子園に出場している。春のセンバツに出場できたことはむしろまた強運だった私は感じるが、世間の空気は「出て当たり前」のようだった。そのずれを指摘するメディアもほとんどなかった。私の予想が外れ、清宮幸太郎選手が二度の甲子園出場に恵まれたのは、清宮自身が、実力のある選手を全国から引き寄せた、そのため例年よりも好選手が集まって来た、まさに清宮効果があったのも大きかったろう。ことに一年下の学年に頼もしい選手が集まった。4番を打った野村大樹捕手は大阪・同志社中学の出身。今夏のエースとなった雪山幹太投手は神戸中央シニアの出身だ。

西東京大会決勝の相手は東海大菅生だった。知名度では圧倒的に早実や早実の選手が上。だが、選手ひとりひとりの実力を見れば、東海大菅生の方が遙かに頼もしく見えた。難しいゴロを好捕し、臆せずジャンピングスローを決めた三塁手。たびたび交錯しながら内外野の間に落ちるフライを決して落とさなかった野手たち。見ていて、「この選手たち、みんな小中学生のころから、本当に上手だったんだろうなあ」と溜め息が出るような、根っからの野球少年たちが揃っていた。

清宮選手の打撃力が高校野球レベルで卓越しているのは言うまでもない。

「僕も早実3年の夏は決勝で負けて甲子園出場ができなかった。それがあったから、プロ野球での活躍があったと思う」

早実の大先輩・王貞治さんのこんなコメントもあって、「決勝で負けたから清宮もプロで活躍できる」と、妙な縁起担ぎをする新聞記事もあったが、それはご愛敬。

王さんはセンバツで優勝している、清宮は優勝していない。王さんはプロ入り後に打者転向し、最初はさっぱり打てなかったが、川上哲治監督(当時)が白刃の矢を立てた荒川博コーチを毎日オリオンズから巨人に移籍させ、王専属打撃コーチになったのをきっかけに花開いた伝説はよく知られている。王さんには荒川コーチがいた。清宮には誰がいるのか? など、突っ込みを入れたら不確定な要素はたくさんある。

何より心配なのは、金属バットと木製バットの違いだ。
「東の清宮、西の安田」と並び称された履正社の安田尚憲選手は、普段の練習ではできるだけ木製バットを使って「次」を見据えているとのインタビューが注目を浴びた。「プロ野球で金属バットは使えないから」。安田選手ができるだけ木製を使う理由は明快だ。

清宮選手が高校時代に打った107本の中身がどんなものであったか。
木製バットなら届かなかった打球もあるだろう、折れて凡打になった当たりもあるかもしれない。それ以上に、金属だから打ち損じが露呈しない甘い条件に守られて、どんな打撃技術を身につけたのか。果たして条件の厳しい木製バットに対応できる身体の感覚をいまも内面に埋蔵しているだろうか。
清宮も、U18世界大会で木製バットに苦労し、その後の練習では木製を使うこともあったという。だが、清宮と安田の根本的な違いは、打撃の方向性にある。
安田は松井秀喜を手本にし、投球の捉え方、身体の使い方がよく似ている。端的に言えば、バットと身体をひとつにし、投球に対して右足とバットをほぼ一緒にブン!と出す。
清宮は、やわらかなグリップワークが特長で、しなやかにバットをコントロールする。巧さを感じるが、中距離打者に多い打ち方だ。高校生投手が相手、持っているのが金属バットだから《天性の飛ばす力》で高校まではホームランを量産したが、上のレベルで同じようにその打法で飛ばせるか。

再現性、普遍性のある打撃論を持つ打者は少ない!? 成功の鍵を握る「これからの数年」

甲子園を最大の目標にする高校野球の常識からすれば、金属バットで打ち続けた清宮選手の姿勢は「ごく当然」で、咎められない。

高校野球の区切りついて、これからプロ野球への準備に向かうことが「遅すぎる」わけでもない。かつて佐倉一高3年の夏、大宮球場のバックスクリーンにホームランを打ち込み、一躍注目を浴びた長嶋茂雄選手は、プロ野球からの誘いを断り、立教大学への進学を選んだ。
「とにかく、プロ野球に入ってすぐ活躍するために立教大学で猛練習を重ねたんです」
長嶋さんから直接話してくれた。だから、デビュー戦で金田正一投手から4打数4三振を喫したときも、

「自信をなくすなんて、それはまったくありませんでした。悔しいだけです。よーし、次に対戦したら絶対に打ってやろう、その気持ちだけでした」

王さんも荒川コーチと出会い、一本足打法でホームラン王になるまでプロ入りから4年かかっている。
大事なのは、これからの数年をどのような環境で過ごすか。どんな出会いに恵まれるかだ。イチロー選手にも厳しい逆風の一方で、新井コーチという理解者がいた。松井秀喜選手には長嶋監督がマンツーマンで付き合ったといわれる。

私は、プロ野球選手やコーチたちの取材もさせてもらい、彼らの野球理論に触れる機会がもちろんある。驚くのは、大半の名選手が、自分がなぜ打てるのか、把握していないことだ。身体で無意識にはできるが、論理化できない。それでも打てれば十分だが、ケガをしたり、調子を落としたとき、立ち直りのきっかけをつかむのが難しい。他人に指導もできない。

清原和博選手が薬物依存に走ったのも、「どうしたら打てるか」、確信がなかったことがひとつの要因だと、取材から浮かび上がってくる。
見る側からすれば、「特別な才能を持つ清原なら打てる」と期待するが、本人はどうすれば「絶対に」打てるかわからないから、「この打席で絶対に打たなければならない」と使命感を覚えたら、不安が募る。再現性、普遍性を持たないゆえの心細さが、依存に向かわせる。

その点、投手の方が、核心の技術論を共有されていると取材を通じて感じる。投手は自分が行動を起こさないと始まらない、能動的なポジションだからかもしれない。

一般に語られ、野球の指導書で「基本」とされる投げ方と、実際にプロ野球の投手たちが大切にしているポイントには大きな開きがある。プロならではの核心を、投手たちはかなり共有している。ところが、打者たちに聞くとそうでもない。なぜ打てるのか? 実際にはそのような打ち方をしていないのに、野球少年に指導するときはごく当たり前の打撃論を真剣に教える選手が少なくない。

「自分自身は違う打ち方をしていたでしょう?」
と水を向けて、「そりゃそうだよ」と笑う打者も時にはいるが、大半は大真面目に、「だってこれが基本でしょ?」と言いながら、自分はそれと違う感覚でボールを捉えている例が少なくない。
投手以上に、打者自身はいいときと悪いときの差を自覚できていない傾向が強い。それほど、打つ極意、打つための核心が把握されていないのだ。

ソフトバンク・柳田選手のフルスイングがもてはやされるが、フルスイングも「精神論」で語られる場合が多い。気合いや負けん気だけでは、フルスイングはできない。がむしゃらに振ったら、それこそバットは折れる、手は痺れる。凡打か空振りに終わる。フルスイングができる打者とできない打者は、技術的に何が違うのか? たったそれだけの核心も語られる機会が少ないし、明快に言語化できる選手も指導者も少ない。

清宮選手が中学生だったころ、父親・克幸さんと調布シニアのグラウンド近くでばったり会って、幸太郎選手と野球の出会いを聞かせてもらったことがある。

両親が共稼ぎだったため、おじいちゃんと一緒に留守番をする毎日。幸太郎君は衛星放送でメジャーリーグ中継を見るうち、野球に魅せられ、メジャーリーガーの打ち方を身体に写して自分のバッティングを見よう見まねで作りあげたという。それを聞いて、楽しみだな、と感じた。誰かに教えられた日本的な打撃ではなく、メジャーリーガーに学んだ打撃なら、成長とともに個性を開花させる無限の発展性がある。

守備の定位置はどこ?打撃に比べると心許ない清宮の守備力

プロ野球のスカウトたちが一様に感じているのは、金属バットから木製バットへの対応と同時に、「プロ野球でどこを守るのか」という課題だ。
図抜けた打撃の才能と対照的に、守備のレベルは強豪校と呼ばれる高校の選手の中に入ったら高いとは言えない。実際、西東京大会の決勝戦でも二度、清宮選手の守備のミスで追加点を与えた。

かつてこれほど、打撃と守備の落差を持った注目ルーキーがいただろうか。中田翔選手は高校野球の途中までは投手としてマウンドにも上がっていた。野手としては誠実なプレーを心がけるタイプではなかったが、外野でも内野でも、多くの投手出身者がそうであるように、どこを守らせてもそつなくこなすタイプ。清宮選手はそれほど「どこでも練習すればすぐできる」タイプには見えない。元広島・高橋慶彦選手が投手からショートに転向した当初は守備が不得手で、とにかく猛練習を重ねてようやく試合で守れるレベルになったとの逸話がある。清宮選手もこれからの可能性はあるだろうが、決して楽な道ではないはずだ。

余計なお節介ながら、高校2年生くらいから木製バットで打席に立ち、捕手かせめて三塁手の経験を積んでいたら、清宮幸太郎への期待と脅威はいっそう高まっていただろう。早実・和泉監督もそれをわかっていながら一塁を守らせ続けたのは、他のポジション転向が難しかったのか、そのための精神的ストレスで肝心な打撃を崩してしまう恐れがあったからだろうか。

守備に関して言えば、西東京大会の準々決勝を報じたテレビのニュースが「今日は清宮、守備で魅せました!」とアナウンサーが叫んだプレーに唖然とさせられた。清宮選手が悪いのでなく、メディアの表現に空いた口がふさがらなかったという意味だ。
みんなが騒ぎたがっている。人が呼べるもの、お金が動くものに「乗りたがっている」、いまの世の中の安易な姿勢に、首を傾げている向きは多いだろう。
相手が走者一塁の場面で、送りバントに備えて清宮が猛然とダッシュしてきた。バントはその清宮の正面に転がり、これを捕った清宮が二塁に送球した。

ワンバウンドで遊撃手のグラブに届き、一塁転送で併殺打にした。結果オーライだが、野球をよく知っている人から見れば、失笑するしかない光景だった。身体のできていない小学生や肩の弱い選手ならともかく、身長184センチ、ドラフト指名確実の大物選手が想定するプレーではない。明らかに、気持ちは急いているがボールをコントロールできず、思いがけずワンバウンドになってしまった。それがたまたまゲッツーになった……。試合後のインタビューで「あのワンバウンドは狙いどおりでしたか?」とアナウンサーが訊き、清宮が苦笑いを浮かべ、答えにつまった。その表情を見ても、「守備でも魅せました!」と形容するプレーでないのは明らかだ。それなのに、何でも持ち上げて話題にしたがるメディア、それを受け入れるしかない偶像の宿命。

準備は必要だが、4年は長すぎる 画一的な進路以外にも選択肢を!

早実の敗戦で、メディアの関心は清宮選手の早くも進路に移っている。早大進学、アメリカ留学、通信制で大学に通いながらプロ入り等、様々な説が新聞やネットを賑わせている。

先に書いたとおり、才能を開花させ、プロ野球選手として大成できるかどうかは、高卒後18歳から22歳の時期をどう過ごすか、どんな指導者に巡り会えるかが大きな鍵になる。一様ではないが、王選手、長嶋選手、松井秀喜選手、イチロー選手、野茂英雄投手ら、それぞれ、その時期にいっそう大きな飛躍と変貌を遂げている。

清宮幸太郎選手も、このままではなく、大きな飛躍を遂げてこそ、プロ野球をリードするスーパースターの道を歩める。そのために、すぐプロ入りせず、アメリカ野球を経験するのも貴重な体験になるだろう。しかし、ここでも日本の野球界は選手の自由な成長を妨げる面倒な制約に縛られている。

大学の野球部に入れば、4年間はプロ野球に入れない。高卒で社会人に入れば3年間は拘束される。引き抜き禁止という、個人より組織を守る前提で選手は規制を受ける。

清宮選手の立場で考えれば、守備の課題、木製バットへの対応もあるから、すぐプロ入りせず、武者修行の期間があってもいい。だが、4年は長すぎる。最初は2年くらいを想定して、武者修行の環境に飛び込むのもいいだろう。ところが、国内であれば、独立リーグ以外に、準備ができたらいつでもNPBにチャレンジできる自由は許されていない。もしアメリカに行けば、今度はMLBとNPBの組織の壁に阻まれ、日本球界に戻る自由を奪われる可能性がある。

個人の自由が尊重される時代にあって、野球はその意味でも時代錯誤を抱えている。こんな課題についても、野球ファン、野球関係者はもっと現実的に議論を交わし、古い規則を変える必要がある。個人の才能を開花させる自由な環境を保証する野球界に生まれ変わってほしい。清宮幸太郎選手の進路は、そうした発想を合わせて考察されてこそ、野球界の発展、改革につながるだろう。18歳の少年に対して過大な期待かもしれないが、清宮がアメリカに武者修行に行くなどして、野球少年の新しい道筋を拓き、日米の組織も当然そうした選択を認めるルールを整備する先がけに清宮がなってくれたら頼もしい。

「野球を愛しています」、選手宣誓で言った言葉を、受けのいいフレーズとしてでなく、本当の意味で体現する野球人生を歩むことを、清宮幸太郎という希代のスター選手には期待したい。


小林信也

1956年生まれ。作家・スポーツライター。人間の物語を中心に、新しいスポーツの未来を提唱し創造し続ける。雑誌ポパイ、ナンバーのスタッフを経て独立。選手やトレーナーのサポート、イベント・プロデュース、スポーツ用具の開発等を行い、実践的にスポーツ改革に一石を投じ続ける。テレビ、ラジオのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『野球の真髄 なぜこのゲームに魅せられるのか』『長島茂雄語録』『越後の雪だるま ヨネックス創業者・米山稔物語』『YOSHIKI 蒼い血の微笑』『カツラ-の秘密》など多数。