34歳の新監督に託された新生・横浜高校

春夏全国制覇5度の名門・横浜高校(神奈川)。渡辺元智監督と小倉清一郎コーチの最強タッグで、常勝軍団を築き上げた。
今の横浜に、この2人はいない。名参謀・小倉コーチは2014年夏に退任、渡辺監督は2015年夏の大会を最後に勇退した。名将のあとを継いだのが、横浜のOBで、2人の教え子でもある平田徹監督だ。今年で34歳。国際武道大を卒業したあと、2006年からコーチ、2010年から部長として経験を重ねていた。

監督に就いてからは、2015年秋から2017年夏まで6季連続で神奈川大会の決勝に進み、夏は2連覇を果たした。ただ、甲子園では昨夏は2回戦で履正社(1対5)に今夏は初戦で秀岳館(4対6)に敗れた。

いずれの敗戦も、投手起用がカギだった。昨年は石川達也(法政大1年)、今年は塩原陸と、背番号10を先発に送るも主導権をつかむことはできなかった。この夏に関していえば、エース板川佳矢の状態が万全ではなかったという事情もある。
甲子園で勝ってこその横浜であり、常に「日本一」を求められている。前任者が偉大だっただけに、何かと比べられる。

「横浜の野球が変わった」とライバル校の監督ははっきりと言う。何が変わり、何が変わっていないのか。そして、何を変えようとしているのか。これまでの取材から見えてきた、平田監督の指導哲学を紹介したい。

横浜の野球を変えた“心”と“志”

雰囲気が変わったなと思ったことがあった。
2016年春の神奈川大会。仲間のフルスイングにベンチが沸き、ホームランが出ると全員で大喜び。笑顔で野球を楽しむ選手が多くいた。ベンチの顔色を気にせずに、自分たちで野球をやっているようも感じた。

「お客さんが試合を見たときに、『横浜高校の選手は楽しく野球をやっているな』と思ってもらえるようにプレーしよう」

大会前、選手に伝えたメッセージだった。こういう話をする指導者には初めて出会った。

平田監督には大切にしている信念がある。
「野球を始めたときの少年の“心”と横浜高校に進学を決めたときの“志”の2つを忘れずに3年間プレーしてほしい」

初めてグラブを買ってもらったときの胸躍る気持ち、「横浜で勝負する!」と決めたときの覚悟。この2つがあれば、指導者がうるさいことを言わなくても、主体的に野球に取り組めるはず。そう考えている。

まだまだ心が未熟な高校生となると、監督がいるから一生懸命やる、いないからサボるということが起こりうる。厳しい練習を課す野球部になればなるほど、耳にする話でもある。だが、これは平田監督がもっとも嫌うことだ。
「授業が終わってグラウンドに行くのがイヤになったり、いかに監督に怒られないかばかりを考えたり、実際にそういう高校生はいると思います。でも、それでは本当の意味での成長はない。指導者がいかに“うまくなりたい”“早く野球をやりたい”という前向きな気持ちにさせてあげられるか、環境を作れるか。そのためにも、苦言は呈しても、嫌味は言わない。一生懸命やっていることは認めて、褒めて、接するように心がけています」

この春から、筒香嘉智(横浜DeNA)と同級生だったOBの高山大輝氏がコーチに就いた。今の横浜の強みについて聞くと、興味深い話をしてくれた。
「練習をやらされている感じがまったくありません。こっちがうるさく言わなくても、自分たちで練習に取り組んでいる。向上心が強い。自主練習も本当によくやっていますね」

これこそ、平田監督が理想とする姿勢だろう。監督自らバッティングピッチャーを務め、30分でも1時間でも投げ続けることは、珍しくない。いい当たりが出れば、「ナイスバッティング!」と笑顔で褒める。

「言葉で教えるというよりは、一緒に練習をすることで、選手を育てていきたい。一緒にやるのは、私も楽しいこと。監督が前向きでワクワクした気持ちでいなければ、選手も同じ気持ちにはならないと思っていますから」

技術に関して、手取り足取り教えることは少ない。教え過ぎると、選手自身が考えることをしなくなるからだ。「こうやって打ってみたら」と助言にとどめ、そこからの創意工夫を求めている。

劇的に増えた本塁打と三振は変化の現れ

野球に目を向けると、チームの本塁打数が劇的に伸びた。
2000年に入ってから、横浜は夏の甲子園に9度出場。チーム本塁打を比較すると、明らかな違いが見える。2016年からが平田監督になってからの数字だが、14本は神奈川大会の記録である。

【横浜高校の本塁打数】
●2000年=3本
●2001年=2本
●2004年=4本
●2006年=10本
●2008年=0本
●2011年=0本
●2013年=2本
●2016年=14本
●2017年=14本
*甲子園メンバー18人での比較。2008年のみ6試合で他は7試合

一方で、増えた要素がもうひとつ。それが、バッター陣の三振数だ。

【横浜高校の三振数】
●2000年=19個
●2001年=25個
●2004年=18個
●2006年=24個
●2008年=12個
●2011年=14個
●2013年=20個
●2016年=25個
●2017年=49個

もちろん、イニング数や相手ピッチャーの力量によって数字は変化する。とはいえ、この2年間の本塁打数は圧倒的であり、今年の三振数の多さも目立つ。

平田監督が就任してから、「バットを強く振って、遠くに飛ばす」ことに力を入れている。シーズン通して、木製バットでのロングティーに取り組み、総じて飛距離が伸びた。

「軸が崩れてしまうと、ボールは遠くに飛んでいきません。軸を作るためにもロングティーはいい練習だと思っています。それに、野球選手の本能として遠くに飛ばすのは楽しいもの。素振りをするよりも、一生懸命に取り組んでいます」

ただ、強く振る意識が三振数の多さにつながっているとも見て取れる。追い込まれてから、ボール球に手を出す選手が増えた。このあたりが今後どのように変わっていくか。
本塁打数が増えたのは、トレーニングや食事に力を入れ始めたところもある。これまでの横浜は、全国の強豪に比べると細身の選手が多かった。平田監督は「走りすぎると体が大きくならない」という理由で、グラウンド内を走る伝統の“ダービー”をほとんどやらなくなった。体を鍛えてパワーをつけたうえで、伝統の細かい野球を加えていけば、さらに強くなると考えている。

新たな伝統を築きつつある横浜高校

試合中の采配に関しては、さまざま経験を積むことによって、変化していくだろう。

今夏の神奈川大会準決勝では、こんなシーンがあった。1点リードの5回表、無死一二塁のチャンスで3ボール1ストライクからバスターエンドランを仕掛けるも、高めのボール気味の球に手を出してショートフライ。結局、無得点に終わった。もし逆転負けを喫していたら、勝負の分岐点になったのではないか。采配の意図を聞くと、「流れを引き寄せたいと思ったのですが、私のミスです」と素直に口にした。

夏はレギュラー番号を付けた3年生が2人だけで、新チームには有望な下級生が残る。渡辺監督が辞めたあと、「中学生のスカウティングで苦戦するのでは?」と見られていたが、そんなことはない。スカウティングを担当する金子雅部長がこまめに情報を集め、中学野球の練習や試合に足を運び、信頼関係を築いている。主体的に伸び伸びとプレーしているチームの雰囲気に魅かれて、横浜入りを決める中学生も多い。

この2年間――、甲子園で結果を残せなかったのは事実であるが、一方で新しい横浜の魅力が生まれつつあるのもまた事実だ。時代が変われば、手法は変わる。監督が変われば、チームの色も変わる。
「伝統にとらわれている間は新しい伝統は築けないと思っています」

信念に揺るぎはない。選手の主体性を育み、選手とともに汗を流し、強い横浜を作り上げていく。

<了>


大利実

1977年生まれ、横浜市港南区出身。スポーツライターの事務所を経て、2003年に独立。中学軟式野球や高校野球を中心に取材・執筆活動を行っている。『野球太郎』『中学野球太郎』『ホームラン』(廣済堂出版)、『ベースボール神奈川』(侍athlete)などで執筆。著書に『高校野球 神奈川を戦う監督たち』(日刊スポーツ出版社)、『変わりゆく高校野球 新時代を勝ち抜く名将たち』(インプレス)がある。