リ・カグン(李佳軍)について
名前 | リ・カグン(李佳軍) |
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生年月日 | 1975年10月15日 |
国 | 中国 |
出身 | 吉林省長春市 |
プロフィール | 1994年18歳で出場したリレハンメル五輪ショートトラック男子5000メートルリレーで7位、500メートルと1000メートルで16位。’96年世界選手権1000メートルで金メダルを獲得し、総合3位。’99年世界選手権は4種目を制し、総合優勝。’97〜98年、’98〜99年シーズンに2年連続でW杯総合優勝。’98年長野五輪1000メートル銀メダル、5000メートルリレー銅メダル、500メートル9位。2000年世界選手権1000メートルと5000メートルリレーで2冠を達成し、総合3位。2001年の世界選手権は2度目の総合優勝を果たす。2002年ソルトレークシティ五輪は4種目に出場し、1500メートルで銀メダル、5000メートルリレーで銅メダルを獲得。500メートルは10位、1000メートルは8位。2003年世界選手権は500メートルと1000メートルで2冠、総合2位。2004年世界選手権は1000メートルと5000メートルリレーで銀メダル、総合3位。4度目の五輪となった2006年のトリノ五輪は、1500メートルで銅メダルを獲得し、1000メートル6位、5000メートルリレー5位。大会後、引退。
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18歳にしてリメハンメル五輪出場
リ・カグン(李佳軍)が生まれ育ったのは中国の吉林省。寒さが非常に厳しい土地としても知られ、1月の最高気温の平均でさえマイナス9.6度という極寒の街。そのためかウインタースポーツが盛んな土地柄で、アジア冬季大会やクロスカントリースキーの大会なども行われていました。
そんな環境で育ったリは当然のようにウインタースポーツを始めます。中でも彼が最も力を入れていたのがスピードスケート。アイスリンクが多い街だったために練習を積み重ねるうちに彼はメキメキとその才能を伸ばしていきました。やがて、国際大会にも出場するようになりましたが、リが初めてショートトラックの大会に出たのは84年のこと。当時9歳にしてリは早くも中国を背負って立つほどの実力を兼ね備えていました。
この実力の高さから、リは間もなく中国のナショナルチームに加入。オリンピック選手としてメダル獲得を期待される存在になりました。そんなリは成長とともに実力をつけていき、男子では主戦級の選手に君臨。そして18歳になった94年、リメハンメルオリンピックに出場、個人種目では500m、1000mに登場し、5000mリレーでも団体戦のメンバーとして選出。結果は500m、1000mで16位、リレーは7位とメダルには届きませんでしたが、当時まだ18歳と若かったリは大いに注目される存在となりました。
急成長を遂げ、長野五輪で銀メダル
リメハンメルオリンピックの経験がリ・カグン(李佳軍)を大きくしたと当時のナショナルチームの関係者は口をそろえてこう語りました。と言うのもリメハンメルオリンピック後のリの成績がその後飛躍的に上昇していったことに由来します。
まずは96年に行われた世界選手権。ここで1000mの個人戦に出場したリは世界の強敵相手になんと優勝。自身初のメダルを獲得しました。この結果、リは総合でも3位に入り、スピードスケート大国、中国を背負って立つ存在になっていきました。
これで勢いに乗ったリは97-98シーズンも絶好調。ワールドカップでは総合優勝を飾るという快挙を成し遂げ、この年に行われた長野オリンピックでも主戦級の選手として登場。中国の威信にかけても負けられない大会ともいわれましたが、リはそんなプレッシャーを受けつつ、500m、1000mの個人種目に加えて、団体の5000mリレーにも出場。4年間でどれだけ成長したかを見せる大会にもなりました。
そして結果はまさにほぼ満点。500mこそ9位に甘んじましたが、1000mでは銀メダルを獲得。そして団体戦でも中国が3位に食い込む原動力になり、銅メダルを獲得しました。まさにリメハンメルオリンピックから急成長を遂げたことを示し、中国を背負って立つエースとしての存在感を見せつける形になりました。
アクシデントに遭うも、ソルトレイクシティ五輪で銀メダル
中国代表のエースとなったリ・カグン(李佳軍)。長野オリンピック後も好成績は続き、翌98-99シーズンも絶好調。このシーズンもワールドカップに出場して総合優勝を飾りました。さらに99年の世界選手権では1000mをはじめ4つの種目で優勝して、なんとここでも総合優勝。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで躍進を続けます。
連覇を狙った2000年の世界選手権では1000m、5000mのリレーで優勝。個人種目での優勝は多くあったリですが、団体での金メダルはこの時が初めての快挙。リの好成績だけでなく、中国チーム全体が躍進したことを現します。この好成績もあって、リはこの大会で総合3位に入りました。
世界選手権でのリの強さはその後も変わらず、01年もリは総合優勝を達成。自身二度目のタイトルを獲得し、間もなくに迫ったソルトレイクシティオリンピックでも活躍が期待されました。
迎えた02年のソルトレイクシティオリンピック。リは金メダルを目指し、得意の1000mをはじめ複数の競技に出場。しかし、1000mでは準決勝でまさかの転倒というアクシデントが。それでも巻き返して3位に入りましたが、ここで敗退かと思われました。しかし、このレースで失格者が現れたことでリはギリギリながら決勝進出。しかし、不運はまだまだ続き、決勝では全員が転倒する大ハプニングに巻き込まれてリはメダルを逃してしまいました。
ところが、1500mでは3位でゴールするも1位の選手が失格になり、繰り上がったリは銀メダルを獲得。距離こそ違えど2大会連続でメダルを獲得。さらに5000mでも銅メダルを獲得しました。
トリノ五輪で有終の美
リ・カグン(李佳軍)のその後も好調で、03年の世界選手権でも500mと1000mを制して二冠を獲得して総合2位、さらに世界選手権は04年にも出場して総合3位に入りました。
そしてリもこの頃30歳を過ぎ、スピードスケートの選手としてはピークを過ぎる年齢に。そのためリは次回のトリノオリンピックを最後に引退することを決意します。
そして迎えた最後のオリンピック。リは1500mに出場して銅メダルを獲得。最後を有終の美で飾りました。