文=山中忍

移籍金ゼロで元イングランド代表主将を獲得したアストンビラ

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今夏の移籍市場で「最高の戦力補強だ」と上機嫌だったのは、アストンビラのスティーブ・ブルース監督。まだ7月に入ったばかりのことで、クラブはチャンピオンシップ(2部)に落ちて2年目。移籍金が発生しなかった新戦力は、12月で37歳になるDF。それでも、ジョン・テリーを獲得したアストンビラ指揮官は、まるでビッグクラブで大物ストライカーを手に入れたかのような喜びようだった。

ブルースの心境は理解できた。プレミアリーグ復帰へのプレッシャーが高まる就任2年目に向け、不甲斐なくポイントを落とす癖があるチームには、ピッチ上で自身の片腕となれるリーダー格が欲しかったはず。すぐさまキャプテンマークを与えたテリーのリーダーシップは、チェルシーとイングランド代表の主将として折り紙付きだ。CBとしては、プレミア史上最高とも評された実力の持ち主。今夏にも、本人がユースから育った古巣との対戦を避けたがらなければ複数のプレミア勢が獲得を望んでいた。

意外だったのは周囲の反応。ブルースの興奮が伝染したかの如く、テリー加入を境にアストンビラの下馬評が急速に高まっていったのだ。昨季はロベルト・ディ・マッテオ前監督下のリーグ戦11試合で1勝しかできず、続くブルース体制でも中位止まりだったチームが、今季の昇格最有力候補と目されるようになった。下位なみの47得点だった攻撃力が問題でも、「テリーが入ったのだから」という調子で昨季から12ランク上昇の優勝を見込まれて今季開幕を迎えることになった。

テリーは周りの好き嫌いが激しく分かれるタイプ。「レジェンド」となったチェルシーの外では、ほぼ一様に嫌われてきた。不倫騒動、人種差別問題、袖の下疑惑といった過去を持ち、メディアで「不道徳」、「非人動的」、「強欲」といった言葉で形容されたテリーには、CBとして褒め称えるチェルシーや代表の番記者の中にさえ「好きにはなれない」という者がいた。

そのテリーのアストンビラ入りに対する好意的な反応は、人間としてとまでは言わないが、少なくとも「スポーツマン」としては世間で見直されたと感じさせるものだった。実際に「見直したよ」と言っていたのは、8月5日にビラパークで行われた開幕節ハル戦(1-1)で隣席にいた『タイムズ』紙のレポーターだが、他にも『デイリー・メール』紙などの国内紙や、ジャーメイン・ジーナスなど解説陣の間でも「リスペクト(敬意)」という言葉がテリーに関して頻発した。

約56億円の資産がありながらも現役続行を選択

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クラブを変える際に「新たなチャレンジ」を理由に挙げる選手は山ほどいるが、本当に敢えて困難な挑戦を選んだテリーの姿勢が広く人々の共感を呼んだのだ。年俸は昇格実現時のボーナスなどを含めれば500万ポンド(約7億円)規模になるレベルではある。だが収入を優先するのなら、現状の2、3倍は固い中国やアメリカに新任地を求めることができた。イングランドでは「半リタイア」と言われる移籍になるが、完全に引退しても一生安泰な身分でもある。資産価値4000万ポンド(約56億円)と推定されるテリーには、大好きなゴルフにでも興じながらリラックスした後で、第2キャリアと決めている指導者を本格的に目指す手もあった。昨季の大半をベンチで過ごしたままでは終われないという気持ちがあったとしても、先発を外れたきっかけは怪我の不運。そのまま現役を終えても、チェルシーで700を超える試合に出場し、600に近い試合で主将を務め、主要タイトル計15冠を手にしたステータスが汚されることなかっただろう。

それでもテリーはアストンビラとの1年契約を選んだ。舞台となるチャンピオンシップは、欧州主要リーグの2部の中で最も昇格争いが激烈と言われるリーグ。テリーにはチーム最大級の昇格へのプレッシャーものし掛かる。ホームの観衆には、開幕戦から敵のクロスや自軍セットプレー時のクロスが放り込まれる度に「テリー!」と声を上げるファンがいたが、結果が出なければファンの期待を裏切ったとしてメディアで真っ先に叩かれる。5節での引分け(1-1)を伝える国内紙のレポートは、与えたFKが失点につながったテリーの写真付きだった。

リーグ戦2連敗となった3節(1-2)では、アウェイに駆けつけた4000人のサポーターが指揮官へのブーイングで不満を示した。新キャプテンにすれば明日は我が身。情熱的なファン中でもハードコアな連中は、長らくチェルシーの象徴として目の敵にしてきたテリーにそうそう完全にはなびかない。

誰よりも本人が知っている。4年前の対戦時、ビラパークの観衆はチェルシー歴代得点王となるゴールを決めたフランク・ランパードには拍手を贈ったが、足首を痛めて担架で退場したテリーには罵声を浴びせた。アストンビラ入団会見で苦笑しながら明かした本人の記憶によれば、「そのまま死なせろ」と怒鳴られたという。イングランドのクラブでは定番の新戦力歓迎の儀式で『スタンド・バイ・ミー』を歌ったテリーは、自ら表紙を飾った開幕戦の観戦プログラム上で「緊張して2日間眠れなかった」と告白していることを考えればあり得ない話だろうが、できることなら数万の「12人目」の前でも「支えになってくれ」と熱唱して訴えたいはずだ。

テリーが「ピッチ上での結果で信頼を勝ち取るしかない」と繰り返す一方で、チームの滑り出しは芳しくない。開幕5戦を1勝2敗2引分けで、ブルースの首が危ういとの噂も立ち始めた。早くも厳しさが増す状況の中、36歳にして初の完全移籍を経験したアストンビラの新顔は、自身は新たな支柱としての信頼を、チームとしてはプレミア昇格を勝ちとるために汗を流している。ロンドン南西部郊外の自宅から片道2時間の車通勤を続けている。それが、心身や金銭の面でより快適な環境が用意されていた中で選んだ今季の居場所。リーグを下げて戦う覚悟を決め、テリーの株は上がった。

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山中忍

1966年生まれ。青山学院大学卒。94年渡欧。第二の故郷西ロンドンのチェルシーをはじめ、「サッカーの母国」におけるピッチ内外での関心事を、時には自らの言葉で、時には訳文として綴る。英国スポーツ記者協会、及びフットボールライター協会会員。著書に『勝ち続ける男モウリーニョ』(カンゼン)、訳書に『夢と失望のスリー・ライオンズ』(ソル・メディア)など。多分に私的な呟きは@shinobuyamanaka。