そもそも掛け声は何のために出すのか

いつのころからか張本智和選手の掛け声「チョレイ」が話題になり始めた。先日訪れた卓球クラブでも、小学校低学年の子供たちが練習の合間に「チョーレイ♪チョーレイ♪」となにやら楽し気に歌っていた。そういう微笑ましい光景を見るのは楽しいが、一方で「相手をチョロイとバカにしているのではないか」とか「両親が中国出身だから中国語なのではないか」とか、あまりにも見当違いな解釈も耳にする。この辺で一度「チョレイ」に関する真実を書いておきたい。

まず確認しておきたいのが、そもそも掛け声は何のためにするのか。試合中の選手たちは、練習で身に着けたはずの動作が緊張によってブレたり、あるいは逆に、条件反射として身についてしまった反応がネックとなり、それから外れる動作が意識してもできなかったりといった、心が引き起こす現象と必死に戦っている。勝利への渇望と敗北の恐怖の狭間で揺れ動きながら、自らの心と身体をコントロールしようと必死だ。強烈な自己肯定を意図した掛け声は、その手段のひとつである。敗北の恐怖に抵抗し、油断の誘惑を振り切るための自らへの叫びなのだ。

そんな選手たちが、遊びで卓球をしている者ならいざ知らず、掛け声で相手を侮辱しようとか、オリジナルの掛け声で自己顕示欲を満たそうなどと考えるわけがない。そんな余裕はない。それは、選手たちが何と戦っているのかを知らない傍観者、見物人の発想である。選手は、自分との闘いで手一杯なのだ。

掛け声の目的がそのようなものである以上、そこで使われる言葉は、意図して考えるものでは有り得ず、周りの影響を受けて無意識に身に着くものである。選手に「声を出せ」と言う指導者は多いが、何と叫ぶかを指示する指導者はいない。理由は贅言を待たない。

張本選手が「チョレイ」と叫ぶのは、同世代の男子選手たちが類似した掛け声をしているからに他ならない。有名になっているのが張本選手しかいないだけのことだ。張本選手だけが別系統の掛け声を使っていたらそれこそおかしい。実際、卓球の試合会場に行けば「チョレイ」に類似した掛け声「ショレイ」「ジョレイ」「ジョライ」などがあちこちで聞かれる(水谷隼選手の世代では「ショー」が主流だ)。これらはそもそも言葉ではないので区別することは難しい。くしゃみを活字にしようとするようなものだ。

張本選手の掛け声は筆者にはどちらかといえば「ショレイ」に聞こえるが、最初に掛け声を記事にした記者には「チョレイ」と聞こえたのだろう。それが活字になって人々にもそう聞こえるようになっただけのことだ。もし最初の記者が「ジョレイ」と書いていたら「除霊だ、相手を悪霊呼ばわりしている、張本はオカルトだ」と言われたことだろう。そのレベルの話なのだ。

張本選手に掛け声の意味など聞いてもわかるわけがない。張本選手だけではなく、掛け声の由来をわかる選手などいない。山をなぜヤマと発音するのかと聞かれても答えられないのと同じだ。

それを明らかにするのはむしろ我々ジャーナリストの仕事である。

過去には福原愛の「サー」も話題に

歴史を遡れば、1950年代には日本の卓球選手が「ヨシ」と言っていたことが記録に残っている。戦後間もない当時、反日感情が激しいロンドンで世界卓球選手権が行われたとき、日本選手が「ヨシ」と言うと、バッドマナーとしてミスにされたのだ。「ヨシ」はもちろん日本語の「良し」だ。

やがて、当時、攻撃卓球で世界を制覇した選手のひとりである荻村伊智朗(世界選手権金メダル12個、後に国際卓球連盟会長)がスウェーデンを指導したことから、日本式の攻撃卓球がヨーロッパ全土に広まった。その過程で、日本選手の技術だけではなく、その掛け声「ヨー」「ヨッシャ」が世界中に広まった。それは現在も残っていて、今行われている世界卓球選手権ハルムスタッド大会を見れば、日本以外の国の選手が「ヨー」「ショー」を連呼しているのがわかるはずだ。選手たちがその由来を知る由もないことは言うまでもない。

1980年代後半、ある試合のテレビ放送で、スウェーデンの選手が「ヨー」と叫んでいるのを聞いたアナウンサーが「ははあ、人間が気合が入ったときに出る声は各国共通なんですねえ」と言ったものだった。解説者もそれに同意したのには心底驚いたが、これは人類共通なのではなく、卓球界の共通事項であることは、他の競技を見ればわかるだろう。

2000年代になると、愛ちゃんこと福原愛選手の「サー」が話題になった。その過熱ぶりは現在の「チョレイ」以上で、何と言っているのかを声紋分析で解明しようという番組まであったし、「ターと聞こえるからヤッターのターではないか」と真顔で語るニュースキャスターまでいた(これまでに聞いた、掛け声に関するもっとも見当はずれの発言だ)。

愛ちゃんが「サー」と言っていた理由は明白だ。当時の女子卓球選手たちみんながそう言っていたのだ。マスコミも世間も今にも増して愛ちゃん以外の卓球選手には興味がなかったから、そんな当たり前のことさえ調べないか、調べていても報道しなかったのだ。

「サー」の由来はもちろん「ヨッシャー」の後半が「サー」になったものだ。女子のこの掛け声の系譜は根強く、現在の十代の女子選手には「サーサーサーサー」とウミネコのように短く4回鳴く一派も存在する。

「ジョレイ(チョレイ)」に話を戻せば、その成り立ちは「ヨッシャー」→「シャー」→「シャラッ」→「ショライ」→「ショレイ」という経緯をたどったものと考えられる。後半になぜラ行の音が入ったのか確かなことはわからない。単に語感の心地よさから加えられたとも考えられるし、かつて使われていた「ヨッシャ、ラッキー」が縮まったものとも考えられる。

1990年代に週刊誌で連載された松本大洋の青春卓球マンガ『ピンポン』では、登場人物が得点をしたときに「シャッ」に混じって「シャラッ」と言う場面が2度ほど出てくる。松本は実際に卓球のインターハイ会場などを綿密に取材して、リアルな描写をしたことが知られているから、松本がその場面を描いた1990年代半ばには、少なくとも一部の高校生が「シャ」の後にラ行の音を付け加える掛け声をしていたことが伺える。

「ヨシ」から「ショレイ」への変化は、「コンニチハ」に丁寧を意図する「デス」がついて「コンニチワッス」となり、「チワース」→「チィース」と原型を留めないまでに変化した挨拶のようなものなのだ。

掛け声は選手が意図して考案するものではなく、周りの影響を受けて無意識に身に着けるものだ。卓球の強さや文化の優劣などによって広まる方向が決まり、偶然によって変形し、枝分かれし、あるものは消滅し、あるものは生き残る。

張本選手の「チョレイ」も愛ちゃんの「サー」も、現在残っているほとんどの卓球選手の掛け声は、かつて世界を制覇した日本の卓球の「ヨシ」が長い年月で形を変えたものだ。そういう歴史の厚みを、これらの掛け声は示している。考えてみれば感動的なことではないだろうか。

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伊藤条太

卓球コラムニスト。1964年、岩手県生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績。東北大学工学部を経てソニー株式会社にて商品設計に従事。卓球本収集がきっかけで2004年より月刊誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年、ソニーを退社しフリーに。近所の小中学生に卓球を指導しながら執筆活動にいそしむ。著書に『ようこそ卓球地獄へ』『卓球天国の扉』等。『奇天烈逆も~ブログ』更新中。