文=渡辺友

1950〜60年代は日本黄金期。しかし時代の流れに取り残され…

 まず、簡単に日本の卓球史について触れてみる。今大会のメダルラッシュの中で「48年ぶりのメダル」などの表現が多く使われていたのだが、実は半世紀以上前、日本卓球界には黄金期があった。世界選手権初参戦となった1952年大会でいきなり7種目中4種目を制覇した日本はその後世界を席巻し、シングルスでは男子7名、女子6名の世界チャンピオンを輩出。50〜60年代に「卓球ニッポン」の時代を作り上げた。 

 しかし、輝かしい黄金期も長くは続かない。その原因のひとつが、時代遅れとなった日本式プレースタイルだ。日本が活躍した時代は、フットワークを生かし、すべてをフォアハンドで振っていく「オールフォア」全盛だったが、その後世界の卓球はフォアハンドとバックハンドの両方を操る「両ハンド」という、より効率的かつ実戦的なスタイルに変わっていった。日本もすぐその潮流に乗るべきだったが、オールフォアで世界を獲った偉大な先輩たちからの“金言”、そして日本的な“美学”が、オールフォアの“呪縛”として降りかかり、日本の卓球は時代遅れになっていく。それとは対称的に合理的な理論で力をつけてきた中国が台頭してきたことで、日本は世界の頂点から陥落。80年代から低迷期に入っていったのだ。

若手育成システムの確立で日本が復活の狼煙を上げる

©Getty Images

 その後日本は見事に低迷期を脱し、この十数年で再び世界のトップ集団に浮上を果たした。その要因としてあげられるのが「若手育成システムの確立」だ。時代遅れのスタイルを払拭すべく、日本卓球界は最新の卓球理論をもとに、早い時期からの若手育成を強化の主軸にしていった。

 その一環として、2001年に有望な小学生世代の選手を集めて結成されたのが「ホープスナショナルチーム」。年に数回合宿を行い、小学生のうちから世界で勝つことを意識したスタイル、最先端の練習法を指導していった。ちなみにその1期生にいたのが、のちのリオ五輪メダリスト水谷隼だ。選手育成と連動して、小学生選手の指導者を集めた研修合宿なども開催し、指導者間の情報の共有を図ったことで全国的なレベルの底上げにつながっていく。

 また水谷をはじめとする男子選手は、中学・高校時代からドイツに留学。ヨーロッパ式の両ハンドスタイルを学べたことも大きいだろう。

 このような若手の育成が功を奏し、日本の選手たちは徐々に世界で勝てるようになっていったのだ。

 競技開始の低年齢化。自宅でのエリート教育で有望な選手が続々と登場

「有望な若手の宝庫」と言われ、世界中から羨望の眼差しで見られている日本。今回の世界選手権で世界中の卓球ファンを驚嘆させたのが、13歳の張本智和だ。史上最年少で日本代表に選出されただけでも十分なニュースだったが、2回戦で日本のエース水谷から大金星をあげると一気に準々決勝まで駆け上がり、史上最年少でのベスト8入り。幼少期から「怪物」と言われ、もちろん今大会も期待はされていたが、「まさかここまでとは」と卓球関係者さえも驚いているほどだ。

 張本の両親はともに元中国の卓球選手で、現在は宮城県仙台市の卓球場で指導をするプロコーチ。そんな両親のもと、張本は2歳で卓球を始め、早くから頭角を現した。

 2歳で始めたと聞きびっくりする人もいるだろうが、この年齢でスタートするのは今の卓球界では決して珍しくはない。実は卓球ニッポン復活のもうひとつの要因が「競技開始の低年齢化」だ。

 女子シングルスで48年ぶりのメダルを獲得した平野美宇も卓球一家に生まれ、自宅の卓球場で母の指導のもと3歳からスタートしている。また、女子ダブルス銅メダルで、リオ五輪でも活躍した伊藤美誠も2歳の時にラケットを購入してもらい、自宅の卓球台で練習をしていた。

 かなり早い幼少期に卓球を始めて、両親の指導で強くなるというのが、世界で活躍する選手になるためには当たり前のことになりつつある。日本チームを牽引する、水谷隼、石川佳純もその例にもれず、早くから両親の指導を受けて開花した代表例だ。

 この低年齢化の背景にいるのが、卓球界最大のスタープレーヤー福原愛である。幼少期から「泣き虫愛ちゃん」として日本中で慕われ、トップアスリートとして活躍した福原に憧れ、小学生入学前から競技をスタートさせる“親子鷹”が急増した。

 つまり現在の日本卓球界の若手の活躍は、一般レベルでの競技開始の低年齢化と、ナショナルチームレベルでの育成が見事にマッチングした結果と言えるのだ。

第2集団を抜け出し、中国の背中が見えてきた日本

©Getty Images

 日本の大躍進で注目を浴びた今回の世界選手権だが、一方で「結局、中国には勝てていない」「浮かれるにはまだ早い」という厳しい意見も聞こえてくる。確かに中国と日本にはまだまだ大きな差があるのは事実だが、V字回復を見せている現状は素直に称えても良いと思われる。

 ここ数年、日本は常に「打倒中国」を掲げてきたが、あくまで日本の立ち位置は第2集団の中のひとつ。中国対策を意識しすぎて、ヨーロッパの伏兵に足をすくわれることもしばしばで、韓国やドイツなどのライバル国の壁も厚かった。しかしやっと、日本は第2集団から一歩抜け出し、単独2位として中国に挑戦状をたたきつける存在になってきたのだ。低迷期を知るファンであれば、現在の躍進は実に喜ばしいことだし、多くのメディアで報道してもらえること自体も幸せなことである。

 では上り調子の日本が、2020年の東京五輪で打倒中国を果たすにはどうすれば良いのだろうか。具体案については様々な識者が言っているように、サービス、そして3球目攻撃(サービスを出し、相手のレシーブに対する攻撃)の強化が重要だろう。

 ただこれに関しては、日本サッカーでお決まりのように言われていた「決定力不足」のようなものと少しニュアンスが違う。日本の卓球選手は、現時点でもサービス力、3球目攻撃の精度は決して低くはない。しかし、あまりにも隙のない中国選手を打ち砕くためには、卓球において最も重要と言われる「サービス&3球目攻撃」を鍛えて、ラリー戦に持ち込む前に点を狙うしか打開策がない、というのが現状。そもそも長年頂点に君臨する中国がわかりやすい弱点をさらけ出すはずもなく、日本としては「心技体智」あらゆる側面で強化していき、真っ向勝負で戦える地力を2020年に向けて着実に高めていくしかないとも言える。

 卓球において中国を追い抜くというのは並大抵のことではないが、中国の選手も同じ人間である以上、ほころびがないわけではない。そして、今の日本には冷静な大人たちの予想を気持ち良く裏切ってくれるフレッシュな勢いがある。平野美宇がアジア選手権で中国勢を3連破して優勝したが、一体誰がそんなことを予測できただろうか。13歳の張本智和が世界選手権で水谷を破って大暴れするなど想像もできなかったはずだ。

「何が起こるかわからない」というのはスポーツにおける常套句だが、その言葉を体現しているのが今の日本の卓球界。2020年の東京では、誰も予測できない劇的なクライマックスが待っているのかもしれない。

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渡辺友

1979年生まれ。東京都立大卒(専門は昆虫の系統分類学)。卓球専門月刊誌『卓球王国』の編集者・記者として12年勤務し、大会・技術・用具など卓球界の様々なニュースを取材。2016年から独立し、現在はフリーのライター・編集者として活動しながら、都内の卓球スクール『タクティブ』でコーチ業を行う(日本体育協会公認コーチ資格取得)。