文・写真/新川諒
86年ぶりの優勝でレッドソックスのバンビーノの呪いを解く原動力に
2004年レッドソックスは86年ぶりとなるワールドシリーズ優勝を果たし、長らく語り継がれていた“バンビーノの呪い”を解いた。グラウンド上のさまざまなドラマだけではなく、周囲の注目はチーム作りを舵取っていたセオ・エプスタインにも向けられた。2002年当時、MLB史上最年少の28歳でGMを任されたエプスタインは的確なトレードなどを敢行し、着実に優勝に向けたチーム作りを行っていった。ボストンでは絶大なる人気を誇ったノーマー・ガルシアパーラをシーズン中にトレードに出すなど、時には非情な決断を求められたが……勝利のために必要なピースを次々と獲得。今、振り返れば、ガルシアパーラーがトレードされた相手がシカゴ・カブスだったのは、なにかが繋がっているようで不思議である。
2011年からスタートした優勝への道筋
ボストン・レッドソックスで成功した改革を自軍にも求めて、シカゴ・カブスは2011年にエプスタインを招聘した。2011年10月26日に開かれた就任会見では、カブスの伝統を守りつつも勝てるチーム作りをシカゴのファンに約束。だが、そのためには時間を擁することも伝え、“呪い”というものは信じていないと強く主張した。実際にエプスタインは、ボストンでも86年間優勝できていないという事実から逃げずにチャレンジすることを受け入れて、その戦いに挑んでいる。
エプスタインは、シカゴでもレッドソックス時代と同様に組織全体を正面から見つめ直すことからはじめる。ワールドシリーズ制覇という目標から遠ざかっていた理由を洗い出し、機能していなかった部分を改善すると会見でも語っている。その問題を解決するためにまずは、最高のベースボール・オペレーションズを作り上げると宣言し、ボストン・レッドソックス時代も共にチームを優勝に導いたジェド・ホイヤーをGMとして迎え入れ、自身はその上の役職に値するプレジデント・オブ・ベースボール・オペレーションズに就いた。目先の勝利だけではなく、シカゴ・カブスを常勝軍団にするためにスカウティングやファームのてこ入れからまずは開拓していった。
弱小から常勝への布石 変わりはじめたシカゴ・カブスのカルチャー
わたしは、2013年から2シーズンこのカブスに在籍したことがある。実はセオ・エプスタインが舵取りするチームで働くのは、2010年のボストン・レッドソックスに次いで2度目だった。カブスのキャンプ地アリゾナで再会したときも、「俺に付いてきたのか?」と冗談を言われたのはいまも鮮明に覚えている。
カブスは、2013年に66勝96敗と惨敗し3年後に優勝を果たすとは誰もが想像できないようなチームだった。当時のシーズンにメジャーで出場した選手のうち、今回優勝を決めたチームに残っていた選手はたった6人。どうしても注目が集まるいわゆる一軍のメジャーのチームに目が行きがちだが、実はこの間ドラフトやトレードでの選手育成に力を注いでいた。ドラフトでは全体2位指名でチームの柱にまで成長したクリス・ブライアントを指名。シーズン中のトレードでは先発ローテの一角を担ったジェイク・アリエタ、そしてブルペンで貴重な役割を果たしたペドロ・ストロップやカール・エドワーズJrなどを獲得していた。
チームの弱点を補うような選手獲得を着実に実行し、2016年に108年ぶりの優勝を果たすチーム作りが進んでいたのである。その布石は編成面だけではなく、100年以上の歴史を誇ったリグレー・フィールドまでにも及んでいた。2014年シーズン終了時から「1060プロジェクト」と題して球場だけでなくその周辺地域も巻き込んだ大幅な改修工事を開始した。毎年オフに少しずつ改修に取り組み、今年の開幕は新たなクラブハウスが誕生していた。今夏、わたしもシカゴを訪れこの空間に足を踏み入れたが、わたしが2013年~2014年シーズンを過ごしていたメジャー1狭いと言われていたクラブハウスの面影はなく(実際にはバッティングケージへと変貌していた)、何倍もの規模になっていた。
裏方として非常に肩身の狭かった空間は生まれ変わっており、選手、コーチ陣、スタッフにとってリラックスできる素晴らしいスペースへと変貌していた。さらにはアリゾナ州メサ市で26年間使用していたホホカム・スタジアムから、2014年には別の場所に建設した新施設スローン・パークへとキャンプ施設を移している。ちょうどこの変換期にアリゾナ州にいたため、引越し作業を他のスタッフと共におこなったのはいまでは良い思い出だ。チームにとってはふたつの家であるリグレー・フィールドの改修と新たなキャンプ施設スローン・パークの誕生により、なかだけではなく、外からの見た目に関しても、シカゴ・カブスはカルチャーを変えていったのだ。
常勝軍団へのスタートとなる可能性も?
「Lovable Losers (愛される敗者)」からの脱却により、来季以降も間違いなく注目の的となるのはシカゴ・カブスだろう。なぜならこのチームは108年ぶりの優勝だけを目指して作られたチームではなく、野手の平均年齢27.4歳を見ても分かる通り、将来性のあるチームだからだ。さらに、リグレー・フィールドの周辺には新たにオフィスやホテルなども建設される予定でブルペンも大きく変わる予定となっている。
エプスタインは就任当初から我慢することをファンだけに求めていたのではなく、チーム内でも、常に動き出すタイミングを見計らっていた雰囲気さえあった。「勝利を狙いに行くタイミングはここだ!」と思えば、無理を強いてでもジョー・マッドン監督を招聘したり、絶対的左腕であるジョン・レスター獲得に乗り出したりするなどの勝負どころを弁えた交渉もおこなってきた。
マッドン監督は優勝直後のインタビューで、「これが“Breakthrough Year(打開の年)になるかもしれない)と話した。この優勝により、長らく戦ってきた迷信から開放され常勝軍団となる軌跡が生まれたのではないだろうか。
レッドソックスも86年ぶりのワールドシリーズ優勝を果たした3年後には再び、頂点に立っている。勢いのある若い選手が多く在籍するシカゴ・カブスにとっては3年もの月日はかからないかもしれない。就任会見で、「呪いを信じていない」と語ったエプスタイン。そして優勝直後には、「呪いなど関係ない」と語った指揮官。このふたりの、“呪い”などには囚われない緻密なプランこそが歓喜を生み出した要因のひとつであることは間違いないだろう。
スポーツの世界に限らず、すべてがプラン通りに行くことなど不可能に近いのかもしれない。ただし、エプスタインは就任から5年でしっかりプラン通りにシカゴの街に優勝をもたらすことができた。緻密なプラン、勝負勘、そして信頼できる仲間たちがいれば不可能なことはないということをエプスタインが再び証明したのである。
(著者プロフィール)
新川諒
1986年、大阪府生まれ。オハイオ州のBaldwin-Wallace大学でスポーツマネージメントを専攻し、在学時にクリーブランド・インディアンズで広報部インターン兼通訳として2年間勤務。その後ボストン・レッドソックス、ミネソタ・ツインズ、シカゴ・カブスで5年間日本人選手の通訳を担当。2015年からフリーとなり、通訳・翻訳者・ライターとして活動中。