最近は不振が続いていた。リリースには「自分が『こうありたい』という理想と現実の差が少しずつ自分の中で開いていき、モチベーションを保つことがきつくなっていきました。今回を機に、自分の心ともう一度しっかり向き合いたいと思います」とメンタル面を原因に挙げた。連想させるのが〝燃え尽き症候群〟。早くに頂点を極めたゆえに迷い込んだとも捉えられる。

追われるものの孤独

競技人生を振り返ると、幼少の頃からその年代の先頭をひた走ってきた。同じ1994年生まれの瀬戸大也(ANA)が昔から目標にするほどの存在だった。ただ瀬戸も400㍍個人メドレーで世界選手権を制するまでに力をつけ、リオ五輪では銅メダルを獲得。競り合う形になっていた。最近ではレースで好結果の出ない萩野とは対照的に、瀬戸は昨年12月に世界短水路選手権で金メダルを獲得し上昇気流に乗ってきた。そして今年2月のコナミオープン。同種目を制した瀬戸に対し萩野は予選7位で決勝を棄権。心配の声が高まっていた。

追うものと追われるもの。立場の違いの大きさを指摘した偉人がいる。大相撲で〝不世出〟と呼ばれる横綱双葉山だ。現在と違い、1年に2場所しかない戦前に計12回優勝。そして何より、69連勝という大記録を樹立した。当時は約3年も負け知らずだったことになる。白鵬が2010年に近づいたものの63連勝でストップするなど、69連勝は未だに破られておらず、不滅とさえいわれている。

引退後、日本相撲協会の時津風理事長になった双葉山。実体験に基づき、著書などで勝負についてさまざまな考察を述べている。その中の一つ、「私の履歴書―最強の横綱」(日経ビジネス人文庫)で、追い付こうとする努力は経験上さほど難しくなく、ひとたび頂点に立った後、ライバルたちに追い越されまいとする努力の方が格段に難しいと説明している。曰く「若いときは、ある目標をもって『あれを倒そう』と思う。けいこも張りがでて、激しくやれる。いったんその目標に追いつき、追いこすと、この心境は非常に孤独でさびしいものだ。なんとも名伏しがたい、ものたらぬ気持ちにおそわれる。しかも『追いこされまい』とする地味な努力は、なお、いっそう継続していかねばならないのだ」(表記は原文のまま)。トップに君臨し続けた人にしか分からない、多大な精神的な負担を告白している。

ゴルフのレジェンドも

トップ選手の〝燃え尽き症候群〟は、さまざまな競技で例が散見される。例えば、世界の女子ゴルフ界をけん引している韓国勢のレジェンド、朴セリが挙げられる。世界最高峰の米ツアーに本格参戦1年目の1998年、20歳でメジャー大会の全米女子プロ選手権と全米女子オープン選手権を連続して制覇。一大旋風を巻き起こし、母国では国民的なヒロインになった。その後も米ツアーで勝利を重ねてメジャー制覇も果たすなど、世界のトップクラスとして名をとどろかせた。

韓国ではこれをきっかけに国内のゴルフ熱が高まり、親は子どもたち、特に女の子にゴルフを習わせるようになった。競技力も向上し、アマチュアレベルの国際大会では日本をしのぐ成績を収めるようになった。朴セリの影響でゴルフを始め、プロになった韓国女子選手は「朴セリ・キッズ」と呼ばれ、現在では世界中で活躍している。日本でおなじみのイ・ボミや申ジエらもそうだ。

そんなパイオニアが2005年、大きなスランプに陥る。予選落ちや棄権が目立ち、優勝なしに終わった。指の負傷もあって米女子ツアーから離れた。10代の頃からゴルフの練習に明け暮れたことが影響。本人は後になって「ゴルフが嫌になった」と述懐している。

反対にトップの実力を維持しながら選手生活を一気に駆け抜けたパターンもある。女子ゴルフでみればアニカ・ソレンスタム(スウェーデン)が当てはまる。彼女はよく自らのことを「self motivator」と表現していた。つまり、モチベーションを周囲との順位の比較などに求めず、自分の中にやる気の源を見つけ、それに向かって練習に励むタイプという意味だ。米ツアー通算72勝、メジャー10勝と数々の栄光を手にし、2008年に38歳で現役を引退した。

距離を置いて復活

朴セリとソレンスタム。国籍をはじめそれぞれにバックグラウンドを抱えながら一時代を築き、世界中のファンから愛された存在だった。共に確かな功績を残したという点で見れば、2人の選手生活は尊く、キャリアの重ね方は人それぞれ違って当たり前という結論に至る。萩野と瀬戸の歩みについても同じことが言える。

うつ病など精神的に落ち込んでいる人に「頑張れ」と声を掛けるのはご法度との説がある。本人なりに頑張っているのに周囲から「頑張れ」と声を掛けられると、自分の努力がまだまだ足りないと思われていると考えてしまうという。こうした点を鑑みると、萩野に対しても、今は静かに見守るのが一番いいのではないかと思う。

朴セリは大きな不振に陥った翌年の2006年、全米女子プロ選手権で華麗に復活した。最終日に強豪のカリー・ウェブ(オーストラリア)とのプレーオフに突入すると、パー4の1ホール目で、残り約200㍎の第2打をカップの数㌢手前につけるスーパーショットで劇的な勝利。涙のメジャー制覇は人々の感動を呼んだ。本人は2005年後半に戦列を離れた後、帰国して友人と時間を過ごすなどしてリフレッシュしたことをカムバックの要因に挙げた。「言ってみれば普通の生活というものを送っていましたが、以前の自分にはそんな時間はありませんでした。クラブを握らない時間を過ごしたことで、ゴルフの楽しさを再認識できました。また新しい自分がスタートすると思います」。これでよみがえると結局、ツアー通算25勝を重ねて世界殿堂入りし、2016年に39歳で引退した。一時的に競技から距離を置いたことが奏功し、巡ってきた栄冠。そんなドラマチックな復活劇が用意されているスポーツはもちろん、ゴルフだけではない。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事