ーー『蹴る』を撮ったきっかけは?
「最初、電動車椅子サッカーにはあまり関心はありませんでした。2006年に初めて見たのですが、その頃のルールは今とは全然違っていて、大きいボールを押し合う “おしくらまんじゅう”のような感じで、あまりサッカーという感じではなかったんです。その後、国際ルールが作られて、2011年、日本代表と関東選抜の試合を見たら、競技としても進化していて、そこに、関東選抜の永岡真理選手がいた。すごく目立っていて、次は日本代表に選ばれるのではないかと思ったんです。4年後にワールドカップがあるので、スタートのところからドキュメンタリーを撮れると思ったんです」
ーー障害者サッカー映画というジャンルにこだわっている?
「たまたまです。もともとサッカーが好きということもありますし、代表のサッカーのDVDを制作したことも一つの理由です。最初は障害者サッカーの映画を3本作るとは思いませんでした。どの障害者サッカーを撮った時でも思ったのですが、一つの障害にも多様性、重い軽いとかいろいろあって、一言では言えないんです。サッカーが題材としていいのは、複数の人が関わるので、その多様性を表現できることです」
ーー映画の中心として描かれる永岡選手はどういう方でしたか?
「まず気持ちが前面に出ているプレーヤーです。炎が見える。本当にそんな感じがしました。理屈ではない部分で、試合の流れを変えることもありました。気持ちの強さを感じました」
ーー撮影ではオーストラリア、アメリカといった海外の試合も取材していますね。
「大会や合宿は全部、練習にも毎週のように行きました。関東で合宿している時はいいのですが、日本代表の合宿はほとんど関西でありますから、宿泊費や交通費がかさみました。後半は選手たちの日常をかなり撮っていますが、選手のご家族の厚意に甘えて、ご自宅に泊まらせていただいたこともありました」
ーーそのワールドカップ(アメリカ大会)が2年延期になり、制作が長引きました。その際、ストレス性腸炎にもなったそうですね。
「延期によって、最初にタッグを組もうとした制作会社とは仕事ができなくなったんです。助成金を受けようにも、個人でやっていたので、申請さえもできない。そんな中、途方に暮れました。大変なこともあったんですけども、長くなったことで選手との関係がより密になり、内容的にはプラスに働いていたと思います」
ーー映画では、男性選手の入浴シーンも描いています。ここまで深く入り込んでいるのかと驚きました。介護職員初任者の資格まで取ったそうですね。
「選手がどんな障害を負っているかは、体を見せれば、かなり伝わるのではないかと思ったのです。実際、同じような障害を持っている方の体を触ると、一番理解できるんです。介護の仕事をやることにより、制作費の足しになるっていうこともあって、資格を取りました」
ーー「蹴る」という題名はどうやって決めたのですか?
「迷いましたが、最後に、一番シンプルなものにしようと思い、他のサッカー映画では絶対つけられないタイトルにしようと思いました、生身の足で蹴るわけではない、というある特殊性に着目し、『蹴る』ということをあえて出すのがいいと考えました」
ーー電動車椅子サッカーはSMA(脊髄性筋萎縮症)や筋ジストロフィー、脳性麻痺、脊髄損傷等により自立歩行できないなどの重い障害を持つ選手たちのスポーツですが、その魅力は?
「重度の障害を持っている人がこれほど激しいスポーツをやるっていうのは類を見ないと思います。歴史が新しいので、選手たちもいろんな戦術を考えながら、新しい歴史を作っています。皆さんが想像する以上にスピードがあります。知らない人はもう少しのんびりした感じをイメージされるようですが、もっと緻密で、ピンボールマシンみたいなスピードも魅力の一つです」
ーー国際ルールでは制限時速は10キロ。かなりスピードが出ますね。
「普通の人が小走りくらいの速度です。で、あの狭いコートでやっているから、スペースがなくなるので、どうやったらスペースを作れるか。シュートコースやスペースをいかに作るかが重要です。電動車椅子の性能も上がって、いろんなことのスピードが上がっていて、高度化、戦術化が高まっています。映画の中でもワールドカップの決勝で、フランスがパス交換して、ゴールを決めたシーンは、車椅子サッカーの今を凝縮したような部分です」
ーー6年間撮影する中で、その進化を目の当たりにしましたか?
「映画にも出てきますが、新しい電動車椅子“ストライクフォース”(米国製)の登場で劇的に変わりました。これに乗らないと、代表クラスにはなれない。本当は日本のメーカーが作ってくればいいじゃないかと思いますけれども、今のところはアメリカの独占です」
ーー電動車椅子サッカーは現在、パラリンピック種目ではありません。どんな思いがありますか?
「2024年のパリ大会では落ちてしまいましたから、次は2028年(ロサンゼルス大会)。決まってもだいぶ先になります。もちろん、パラリンピック種目だけがゴールではないですが、選手たちが目指すべきものの一つとして、そういう場があった方がいいと思います。重度の障害を持った人たちのスポーツは、ボッチャくらいしかないですから、こういうスポーツこそ取り上げるべきじゃないかなと思います」
ーー東京パラリンピック大会の期待感は?
「障害者スポーツへの関心が高まって欲しいです。でも、パラリンピックは障害者スポーツの一部でしかない。全部含まれていると思っている人が多いので、それ以外のところにも目を向けて欲しい。映画『蹴る』が、その一つのきっかけになってほしいと思います」
「映画『蹴る』は東京・田端のCINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)で公開中。5月25日から神奈川・横浜シネマリン、6月1日から大阪・第七藝術劇場で公開予定。」
◆中村 和彦(なかむらかずひこ)
福岡県出身。早稲田大学第一文学部在学中に助監督を経験、そのまま映画の道に進み大学を中退。 2002 年『棒-Bastoni-』で劇場用映画監督デビュー。その後サッカー日本代表のオフィシャルドキュメンタリーDVD『日本代表激闘録』シリーズ(2004~2017)のディレクターを担当しつつ、2007 年に監督第2作目、知的障害者サッカーのワールドカップを描いた『プライド in ブルー』(文化庁映画賞優秀賞受賞)を発表。 2010 年にはろう者サッカー女子日本代表を描いた『アイ・コンタクト』(第27回山路ふみ子映画福祉賞受賞)を公開。著書に、単行本『アイ・コンタクト』(岩波書店 2011 年刊)がある。