「努力が実を結ぶ」楽しさを感じた
ーー5歳でフェンシングを始めたと聞きました。かなり早いですよね。
西藤 父が地元・長野県でフェンシングのコーチをやっていて、その影響で始めました。先にフェンシングを始めていた姉を、母と一緒に迎えにいった時、初めてフェンシングを見ました。剣を持って相手と戦うフェンシングの見た目は、スーパーヒーローそのもの。当時、戦隊ものに憧れていた5歳の自分の目には、かっこよく映ったんです。そこから、フェンシングを始めました。
ーーお父様からはどんな指導を受けていたんですか?
西藤 時には厳しく、スパルタな指導を受けていました。それでも「試合に出て勝つ」ことが楽しくて仕方がなかったので、辞めずに続けられたんです。年齢を重ねるごとに、フェンシングの楽しさを自分なりに見出して行きました 。姉はヘルニアになったことがきっかけで引退しましたが、当時は「センスがあるお姉ちゃんに負けたくない」というモチベーションで練習に励んでいましたね。
ーー西藤選手は努力で追いつこうとしていたんですね。
西藤 そうですね、僕は不器用なので。新しいことを始めようとする時、すぐにコツをつかんでこなせるタイプではないです。その代わり、ひとりで努力できることが長所だと思っています。自分より上手な選手に勝った時、「努力をして結果を出す」楽しさを感じますね。
レジェンドから受けた刺激
ーー小学生の時に、太田雄貴さんと対戦したことがあると伺いました。その時のエピソードを教えてください。
西藤 京都で開かれている全国大会に、小学3年生の時に出場しました。その時、太田さんの地元が京都だったこともあって、大会内のイベントで、抽選に当たった子だけが太田さんと対戦できるんです。
抽選には外れてしまいましたが、当たった子の道具に不備があったため、他の候補を募ったんですね。「他にやりたい人!!」と言われて、思いっきり手を挙げました。見渡すと、僕しか手を挙げていなくて(笑)。たった5本の勝負だったんですけど、日本を代表する選手独特の雰囲気と、スピードやパワーに圧倒されました。
ーー実際に太田さんと試合をしてみて、心境に変化はありましたか?
西藤 「こんなにすごくなれるのか」と思い、自分の知っているフェンシングの幅が一気に広がりました。対戦中、殺気すら感じて怖かった印象は今でも鮮明に覚えています。この対戦をきっかけに、太田選手が取ることができなかった「五輪の金メダルを取りたい」と思うようになりました。
大人に手加減をされると、子どもは分かるじゃないですか。でも、太田選手は手加減をすることなく、“ガチ”で勝負をしてくれたんです。憧れを抱くと共に、彼を超えたいと思うようになりました。
ーー太田さんのご活躍によって、フェンシングの知名度が伸びた感覚はあったのでしょうか?
西藤 そうですね。北京五輪、ロンドン五輪と続いて太田さんがメダルを獲得したことを機に、フェンシングの知名度はぐんと上がりました。でも、そこから続くことができていないんです。世間的には、まだまだ「フェンシング=太田会長」のイメージが強いと感じています。
ただ、太田さんが会長になってから日本のフェンシングを取り巻く環境は圧倒的に変わりました。集客に重きをおいた取り組みをされたり、音楽やデジタルとも連動してエンタメ性を上げたり。実際にファンの数も増えましたし、選手としてはとても嬉しいです。
ガラガラの試合会場よりも、やはりたくさんの方が見ている中で試合をする方が選手のモチベーションが上がります。そうなると自然とよりレベルの高い戦いになって、競技自体のレベルも上がります。
この五輪で結果を残すことで、日本フェンシング界のさらなるレベルの引き上げに貢献したいと思っています。金メダルを取るのは、そのための一つの手段。あとはいちアスリートして、フェンシングを通じて私が伝えられることを発信していきたいという思いもあります。
本気で、“かっこいい”アスリートでありたい
ーーアスリートとして発信していきたいこと、というと。
西藤 日本でアスリートといえば、スポーツしかできないというイメージが強いと思います。アスリートに対するイメージが、必ずしもプラスのものばかりではないんです。
アスリート特有の強みは、目標設定能力だと思っています。自分が立てた目標に対して試行錯誤し、結果を出していく力を持っています。
私の場合、東京五輪で金メダルをとるという目標があります。4年に一度しかないたった1日のために、しかも世界に一つしかないものを目指して、人生を懸けて取り組んでいます。全くスポーツに興味がない方々からすると、とても馬鹿げた挑戦に見えているでしょう。
でも、「本気で人生を懸けて取り組んでいることがある」ことこそ、強みだと思うんです。
アスリートである以上、そんな“かっこいい”アスリートであり続けたいです。
ーー西藤選手自身が“かっこいい”アスリート像を体現していく、ということですね。
西藤 感動、希望、夢。スポーツを通じて、見ている人々に与えられる影響はたくさんあります。私自身、これまでスポーツからたくさんのことを教わりました。だからこそ、フェンシングを通じて、そして私のプレーを通じて、生きていく上で何かしらヒントを与えていきたい、と。
そういったロールモデルのような存在は、ある人にとってはアーティストやタレントかもしれないし、どこかの企業の社長かもしれない。それはわかりません。でも、私はアスリートである以上、アスリートとして自分ができることをしていきたいと考えています。スポーツが持つ価値を、1人でも多くの人に知っていただけるようにすることが、私の役割だと感じています。
【後編へ】
西藤選手を投げ銭で応援しよう!
以下に添付されている西藤選手の応援バナーから、西藤選手に投げ銭(お金を送る)という形で応援を届けることができます。東京五輪での金メダルを目指し、そしてスポーツが持つ価値を1人でも多くの方に知って頂けるよう、活動されている西藤選手を応援しよう!
後編はこちらから
“ファンの力”でヒーローになりたい。フェンシング・西藤俊哉
2008年北京五輪、2012年ロンドン五輪と続けて太田雄貴氏(現公益社団法人日本フェンシング協会会長)が銀メダルを獲得。日本ではほぼ無名だったフェンシングが、一気に注目されるきっかけとなった。西藤俊哉は、東京五輪で金メダルを獲得しこの功績を越えようと奮闘している。彼が次に語ったのは、日本フェンシング界の現状と、スポーツにおける応援の力についてだった。(この取材は1年前に実施したものです。延期された東京五輪が半年前というこのタイミングで、ご本人と調整の上記事の配信をしております。)