■系譜

前回大会の日本代表は世界的な名将、エディー・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)に率いられた。強化のために、かつて例を見ないほどの猛練習を課した。数カ月間にわたった宮崎合宿。朝6時からの3部練習は当たり前で、ジョーンズHCが「南アフリカやオーストラリアの選手は耐えられない」というほどの過酷さで徹底的に体を鍛え上げた。日本の特長である「愚直さ」と「規律の高さ」に着目した上でのハードワーク。耐えて自信をつけた選手たちはW杯の大舞台で躍動した。

日本のラグビー史にさん然と輝く実績を残したチームがある。〝北の鉄人〟と評された社会人チーム、新日鉄釜石だ。東北地方の高校出身の選手が多い中、明治大から入った松尾雄治という名選手を中心に、強さを誇った。大漁旗がはためくスタンドの応援をバックに、1978~84年度まで日本選手権7連覇を達成。快挙の裏にあったのはやはり厳しい練習の積み重ねだった。

これを実感したのが、現在日本ラグビー協会の広報部長を務める藪木宏之氏。選手としては神戸製鋼のスタンドオフとして活躍し、平尾氏とともに新日鉄釜石の後に1988年度から日本選手権7連覇を果たした。藪木氏は「映像で見たことがあるけど、釜石さんが強いときはめちゃくちゃきつい練習をやっていた。松尾雄治さんが率先してね」と証言。そして「神戸も平尾さんが引っ張ってきつい練習をして、本当に泥くさいラグビーで勝ち続けた。2015年の日本代表も同じように練習を重ね、選手たちの表情は自信に満ちあふれていた」。偉業を成し遂げた集団に見られるハードワークの系譜があった。

■常識破り

一昔前の「きつい練習」といえば、鬼コーチが目を光らせるなど、しごきにも似た光景を連想するが、平尾氏のそれは全く違った。1988年に神戸製鋼の主将になって以降、自主性を重んじる練習方法を取り入れてラグビー界に一石を投じた。例えば春シーズンの全体練習をたったの週2回に減らした。常識破りで一見、楽そうだが実像は異なる。藪木氏は「みんなラグビーに飢えた状態。集中力がすさまじく、ハードだった」と説明する。

全体練習が少ない分、残りの日は各選手が考えながら準備。やる気に充ち満ちた状態でチーム練習に臨んだことが、極めて充実した内容につながった。象徴的だったのがタッチフットボールの練習。タックルの代わりにタッチで相手を阻むもので、これが延々と続いた。時間が経過するにつれ、スタイルも変化。疲労からタッチが届かなくなって足を払うようなタックルになっていき、FWの選手たちは体格を生かして相手を吹き飛ばすようになる。自然と格闘技的な要素が入り込み、よりラグビーに近い激しいモードに突入していった。藪木氏は「タッチフットという点でみればルール違反だけど、平尾さんは何も言わなかった。エキサイトしてみんなが集中して練習の中身が濃くなり、それを良しとした。走ることとコンタクトが融合し、実際にかなりきつい練習だった」と話す。〝平尾イズム〟が浸透したハードワークで鍛えられ、時代を切り開いた。

■先取り

平尾氏が現役時代の1989年、あるインタビューで残した言葉が印象的だ。「日本の指導者は、発想面で柔軟性が乏しいと思います。自分がやった練習方法を、また子どもの指導に使うのは大いに考えものだと思います。そもそも試合にそぐわない練習が多すぎます。練習に入る前に、練習の倍考える。こういう気持ちが大切なのではないでしょうか」。とかく「ブラック部活」などが問題となっている昨今でも通用する、示唆に富む考え方だ。

先取った事柄は他にもある。日本代表における外国出身選手の重用だ。ラグビーでは36カ月継続して居住するなどの条件を満たせば代表資格を得られる。前回W杯の南アフリカ戦での大金星では、最後の逆転トライをニュージーランド出身のカーン・ヘスケスが奪った。今年のW杯日本代表は31人のメンバーのうち、これまでで最多の15人が外国出身。一般社会でも多様性が見直される世情で、一つの象徴的な事象でもある。

平尾氏は1997年に34歳の若さで日本代表の監督に就任すると積極的に外国出身選手を起用した。ニュージーランド出身のアンドルー・マコーミックを代表史上初となる外国出身の主将に任命。外国勢の多さに当時は批判の声も上がったが、平尾氏は「強化の立場から、いい選手を選んだ」と言い切った。資格のある選手から、出自にこだわらずベストの人選を行った。その中には、若き日のジェイミー・ジョセフ現日本代表HCもいた。早期の好結果に結びつかなかったことで2000年に監督辞任を余儀なくされたが、現在の代表に通じる土台をつくった。

■素顔

人気テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった京都・伏見工(現京都工学院)高時代や、同志社大在学時を含め、スター選手として注目を浴び続けた。特殊な状況下で、時代を一歩先んじる目や斬新な発想を生かしながら確固たる足跡を残してきた。それらを育んだ礎は素顔から垣間見ることができる。

例えば人との接し方。平尾氏の運転手役も務めるなど、公私にわたって行動を共にした藪木氏は「後輩の意見を含め、とにかく人の話をよく聞いていた。全然高圧的ではないし、変に気を使われるのを嫌っていた。本音でディスカッションするのが好きだった」と明かす。社会的な地位が向上しても意見の違う相手を頭ごなしに否定することはない。謙虚に耳を傾け、よりよいものを取り入れながら物事を創造していく姿勢がにじみ出る。

その一方で、画期的な練習スタイルを導入したように信念に基づいた行動も取った。平尾氏が行きつけだった神戸市内のバーの店主で、プライベートでも親交のあった片山幸彦さんは「人にこびないというところは一貫していました。そこは全然ぶれませんでした」と述懐。神戸製鋼でも年上の選手らをうまくまとめ上げて過去に類を見ないチームスタイルを貫き、新たなリーダー像を確立した。

■W杯

日本のスポーツ界に新風を吹き込み、多方面に影響を与えながら疾走した平尾氏の人生は2016年10月、53歳で幕を閉じた。かつての教え子、ジョセフHCが率いる現在の日本代表。前回W杯のチーム同様、午前から3部練習を実行するなど宮崎合宿でハードワークを積み、ラグビーファンの夢を背負う存在だ。自国でのビッグイベントを天国から見守っているであろう「ミスターラグビー」。W杯に際し、改めてその偉大さを思う。

高村收

著者プロフィール 高村收

1973年生まれ。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事