秋田の公立大学のラグビー部員である2人がこの式典に出たのは、前日までのワールドカップ日本大会で優勝した南アフリカ代表のリエゾンを務めていたからだ。リエゾンとは大会に出るチームの生活をサポートする世話役で、榎田、ジョシュの順に応募。審査の末、世界的強国の通称「スプリングボックス」に配属されたのだ。

チームが来日してからの約2か月間は大会組織委員会から支給された水色のポロシャツで汗をかき、最後の最後は気慣れぬフォーマルな装いでレッドカーペットを踏み、オーロラビジョンの光を浴び、世界的なスター選手を目にすることができた。2人は、チームスタッフからこう声をかけられたのを忘れない。

「君たちはチームメイトと同然なのだから、私たちと一緒にアワードへ出席するべきだ――」

■行動力でつかんだ。海外での出会いがきっかけ

全てのきっかけは、行動力だった。幼い頃から日本とアメリカを行き来する榎田は、「多様性を受け入れてくれる環境」に憧れ現在の国際教養大学へ入学。鹿児島玉龍高校時代に続き、ラグビー部へ加わる。3年生が留学(100校以上の提携校と交換留学をおこなう)、4年生が就職活動で忙しくなる学校の特色に応じ、2年時にチームのキャプテンを任された。

色々な国でラグビーをしたいと思っていた2018年には、個人的にシンガポールへ出かけた。現地で、知人に大会組織委員会の職員がいるという人物と出会い、ワールドカップのリエゾンを募集している報せを聞く。是非、関わりたいと身を乗り出した。大会組織委員会が研修の一環として企画した2018年6月のイタリア代表来日ツアーへ、約1週間、参加した。

選手が練習中に飲む水をボトルに入れたり、それぞれに買い物の方法などを教えたり、「選手にパスタを振る舞いたい」と言うチームマネージャーのために滞在先だった大分でキッチンを貸してくれるイタリア料理店を探したりと業務に忙殺されたが、テストマッチをピッチサイドで観られた。充実した気持ちで秋田に帰り、ジョシュに伝えた。

イギリス人の父と日本人の母との間に生まれたジョシュは、茨城の茗渓学園中、高で楕円球を追い、全ての授業が英語でおこなわれる大学に惹かれて秋田へ転居していた。同級生の熱い話でリエゾンに興味を持つのは自然な流れ。無事に審査が通ったこと、組織委員会が任命した配属先が過去優勝2回の南アフリカ代表だったことには、嬉しさもひとしおだった。

■世界最高峰のチームから学んだ2カ月間。対日本戦の裏側で

2人の感想は、「結果的に優勝チームに携われたが、それ以前にチームとして学ぶべき点が多かった」で一致した。

チームは9月上旬に来日。「日本の文化について確認したいことがある」と聞いてきたのは、リーダー陣の1人だった。駅で電車を待つ方法やエスカレーターに乗る時の作法などをスマートフォンにメモし、選手間の連絡ツールで共有していた。

9月20日の開幕後は、小さくとも強くて速いウイングのチェスリン・コルビがグラウンド外でも目立った。試合後は自身の出場、不出場を問わず、ロッカールーム周辺のごみ拾いを率先しておこなったのだ。

榎田はコルビの「こっちにビニール袋をくれ」に「僕たちがやるからいいよ」と応じた。コルビは「俺が、やりたいんだ」と譲らず、テーピングの切れ端や転がるボトルを拾った。

4年に1度の大舞台での成功を目指すチームにあって、2人はなるべく目立たないよう作業をしてきた。しかし、キャプテンのシヤ・コリシには毎朝「オハヨウ!」と目を見て挨拶される。練習後にグラウンドからホテルへ戻るバスがほぼ満席だった時、立って帰ろうと思ったジョシュへ「私の隣に座ればいい」と言ったのはヘッドコーチのラシー・エラスムスだった。ホテルマン、ランドリー業者に「イツモアリガトウ!」と笑顔を浮かべる選手は、1人や2人ではない。特に控えフッカーでベテランのスカルク・ブリッツは、常にポジティブな言葉を振りまくムードメーカーだった。

チームはニュージーランド代表との初戦を落としながら、以後は順調に勝って予選プール・Bを2位で通過。かたやホスト国の日本代表は予選プール・Aで全勝し、10月20日の準々決勝で南アフリカ代表とぶつかることとなった。

ホームカントリーがもっとも注目するゲームに際し、南アフリカ代表の練習や会見場には日本のメディアが殺到。英語とラグビーに精通した2人は、選手のインタビューの通訳を任された。

ホテルの大広間で、日本の記者からの質問、選手やコーチの答えを交互に訳す。エラスムスの「蒸し暑い状態からドライな状態になる日本の気候変動は南アフリカにいる時からわかっていました」という準備へのこだわり、フルバックのウィリー・ルルーの「今度の試合はどちらがプレッシャーをコントロールできるかにかかっている」という見立てなどが2人の声を介して報道陣に伝わる。自分の口癖で解釈した部分がそのまま記事に載ったことへ、ジョシュは気恥ずかしさを覚えた。

ジョシュ・ウェストブルックさん(国際教養大学4年)

当日の東京スタジアムで試合の準備をしていたら、日本代表が会場入りしてきた。大好きなリーチ マイケルが目の前を通るなか、榎田は黙々と作業した。ピッチサイドで見つめた試合は、26―3で南アフリカ代表が勝利。組み合わせ決定前はチームスタッフに「もし日本が勝ち上がったら君たちとの関係は終わりだ」と冗談を言われていたが、いざ試合が終われば大半の選手から「申し訳ない」と声をかけられた。

「君たちが南アフリカ代表を応援してくれていることはわかっている。だけど、自分の国を思う心の部分はどうしたって変えられないだろう」

決勝では、ニュージーランドを倒したイングランド代表を撃破。フォワードの強さを発揮して頂点に立ったのだが、榎田は「いまになって思えば」とこう振り返るのだった。

「海外の帯同でフラストレーションがたまるであろうなかでも、気配りの余裕がある。それは南アフリカ代表特有のものだと感じます。スキルはもちろん、人間関係が仕上がったチームでした。決勝戦であれだけのパフォーマンスが出せたのは、2か月の帯同中にできた組織力、異国への対応力があったからではないでしょうか」

12月に入ると、榎田は南アフリカに留学。ラグビーの道をさらに突き詰めるつもりだという。ジョシュはサンウルブズのチーム通訳を担当する。こちらもラグビーと関わってゆく。

大会組織委員会は、常々「レガシー」の重要性を謳っていた。大会を通して再確認されたラグビーのよさを日本全土で共有することこそが、「ラグビーワールドカップ2019日本大会」の開催意義だ。その「レガシー」を広める担い手には、2人の大学生も当然、含まれる。


向風見也

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年にスポーツライターとなり主にラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「Yahoo! news」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。