■苦闘
戦列に戻ってきたのが8月3日のワールドカップ(W杯)東京大会だった。200㍍個人メドレーは決勝で2分0秒03の3位に終わった。自身の持つ日本記録は1分55秒07。まだまだ遠いのは仕方ないにしても、目標タイムとした日本水泳連盟設定の「インターナショナル標準C」の1分59秒23にも及ばなかった。これは日本代表候補入りの基準で、クリアしておきたいタイムだった。翌4日の200㍍自由形は19位で予選落ちに終わった。
練習を続け、月が変わっても好転しなかった。9月中旬の茨城国体。200㍍個人メドレーは1分59秒76にとどまって2位となり、またしても「インターナショナル標準C」に届かなかった。これにより、代表の強化拠点を優先的に利用したり代表合宿に参加したりする前提を満たせず、復活計画に狂いが生じることになった。
■メンタル
休養によって、泳ぎ込みが不足している点は仕方がない。それよりもやっかいなのが、練習ではある程度の手応えをつかみながら、本番でその成果が出ない状態が続いているということだ。茨城国体でも、練習を積んでの仕上がりは良かったというが、得意種目の200㍍個人メドレーで不本意なタイム。萩野は「レースで力を出し切るところが弱い」との言い回しで悩みを打ち明ける。そこにはメンタル面の影響が予想される。
活躍の度合いが大きい人ほど、落ち込んだときのギャップが目立つ。小学生時代から同世代の先頭を走っていた萩野。栃木・作新学院高3年だった2012年ロンドン五輪の400㍍個人メドレーで3位に入り、高校生の五輪メダリストとなった。華々しい経歴と打って変わり、歯車が狂ってレースで結果が出ず、ついには今年に入って競技から一時離れることを選択した。その際に発表したコメントには「理想と現実の結果の差が少しずつ自分の中で開いていき、モチベーションを保つことがきつくなっていきました。今は競技に正面から向き合える気持ちではないことを受け入れ、今回の決断にいたりました」とあり、精神面の影響が大きかったことをにじませている。
■信じる
他の競技でもメンタルに由来するスランプを告白している一流選手がいる。プロ野球で史上最多3度の三冠王に輝いた落合博満氏だ。著書「勝負の方程式」の中で絶不調に陥る過程には技術面と心理面の2通りがあると指摘。心理面のケースについては、嫌いなピッチャーが登板する場合、前日から気がめいって、打席で好結果が出ずにますます気持ちがふさぎ込んでいくパターンがあるという。「周囲が、絶不調と騒ぎ立てる。年齢からくる限界などという。こんな声が、さらに追い打ちをかけてくる。心が、技術を食ってしまうのである。(中略)こんなとき、人から同情の声をかけられるほどいやなことはない。哀れみをかけられているようで、余計気分が悪くなる」と複雑な胸中を明かしている。その上で、悪循環から脱するには「自分を信じる強い精神力」や「周囲の不愉快な声を聞かない」ことの大切さを挙げている。
大相撲で歴代3位の優勝31回を記録した元横綱千代の富士の故・先代九重親方。小柄ながら稽古とトレーニングで筋肉の鎧を身にまとい、大きい力士を次々になぎ倒していた。生前「いざ本場所の土俵に上がったら、信じられるものは自分自身しかない。そのためにも稽古場が大事だ」とよく言っていた。今の萩野はレースに臨む際、自らを信じることができる段階に至っていないのではないだろうか。
■成功体験
東京五輪の代表切符が懸かるのは来年4月の日本選手権。そこまで約半年となり、残された時間は刻一刻と少なくなっていく。萩野は練習プランの変更を余儀なくされ、秋口の海外合宿を取りやめた。国内での試合出場を優先し、実戦感覚の回復に努めるためでもある。
大きな逆境を克服した経験がある。リオ五輪前年の2015年6月、フランスでの合宿中に自転車で転倒して右肘を骨折。全治2カ月と診断され、その年の世界選手権を欠場した。実戦復帰まで5カ月もかかったがきっちりと照準を合わせ、リオ五輪代表を決める2016年4月の日本選手権で出場3種目を制覇と完全復活。リオ本番での五輪2大会連続メダル獲得につなげた。
このときは骨折という目に見えるアクシデントで今回とは事情が少々異なるが、困難を乗り越えたという成功体験は体内にインプットされているはずだ。さらに9月、シンガー・ソングライターのmiwaさんと結婚することが明らかになり、冬場には子どもが誕生する予定という。発奮材料がある上に潜在能力は折り紙付きだ。「目標は複数種目の金メダル」と語っていた萩野。自分を信じる心を少しずつでも取り戻すことできれば、どん底からのカムバックに光が差し込むかもしれない。