長く世界に君臨したキングと、その後継者として期待されたひねり王子が苦況にあえいでいる。体操でロンドン、リオデジャネイロオリンピック個人総合2連覇の内村航平と、リオオリンピック団体総合金メダルメンバーの白井健三。10月4日にドイツ・シュツットガルトで開幕する世界選手権の5人の代表に、ともにその名はない。春からの代表争いに予想し得ない展開で敗れ去り、世界舞台に上がることすらかなわなかった。日本体操界の2枚看板に何が起きたのか、そして果たして来年の夏、新設された有明体操競技場での東京オリンピックで2人の雄姿は見られるのか。

内村の苦境は誰もが予想し得ない衝撃でいきなり現前化した。4月の全日本選手権予選。18年11月の世界選手権では9月に負った肩の負傷で個人総合を回避し、種目別に専念せざるを得なかった結果、鉄棒で2大会ぶりの優勝を逃す銀メダルに終わった。その後約半年間の試合間隔を開けての出場だった4月の全日本選手権の予選で、それは起きた。

5種目目の平行棒だった。苦痛に顔をゆがめて、自ら演技を中断して左肩を抱え込む姿。会場に広がる悲鳴に、事態の深刻さが浮き彫りになった。モリスエ(棒上後方かかえ込み2回宙返り腕支持)で肩をバーで打ち付け、肘下の感覚が消えた。落下後に再演技はしたが、そこで気持ちは切れた。

この日は1種目目のゆかから感覚の違いに悪夢の予感が漂った。案の定、2種目目のあん馬では落下。原因は加齢による慢性的な両肩痛で、本人の口からその現状が語られることはないまま試合に入っていたため、目の前で起きた現実と期待値とのギャップの大きさから、会場の戸惑いも否応に増した。

さらに火に油を注ぐ形となったのは試合後の本人の弁。上位30人が進む決勝進出を逃し、この時点で世界選手権の代表選考から脱落する現実に、本音を隠さない内村の発言は鮮烈だった。

「次には生きない」「笑うしかない」「全てが今日で終わった感覚。1年間が今日で終わった」「(東京オリンピックは)夢物語ですよ、いまのままじゃ。何とかしたいですが、何をすれば良いか分からない」
自身を嘲る笑みを浮かべていた。

世界選手権での敗北はあったが、誰しもが内村は勝って当然、東京行きは当たり前と思っていた中での予想外の低迷。それはその後も変わらなかった。
復帰戦となった8月の全日本シニア、腰痛を抱えたままの試技は、全日本と同じく2種目目のあん馬で落下。結果は5位。復活ののろしをあげるどころか、逆に不振を色濃くした。

「練習でできるのに試合でだめ。不思議な感覚。なぜか分からない」「(東京オリンピックは)ちょっと厳しいんじゃないか、素直に」
またもや隠さない心情は、やはり力がない笑いとともにあった。

この敗戦で打撃を受けたのは、今後の見通しが立たなくなったこと。いま現在日本協会が発表している東京オリンピックの代表選考方法では、最短ルートのみが明示されている。それが来春に控える国際大会のワールド杯の個人総合に出場し、全4試合で海外勢も含めた上位3人、かつ日本人最上位に入ることでの内定だ。その前段階が11月のスーパーファイナルであり、この大会の上位2名がW杯の派遣資格を得るルールとなっていた。内村は全日本シニアで85点以上を目安にスーパーファイナルへの推薦出場権を得る算段だったが、崩れた。最短ルートへの第一関門での脱落だった。

結果、残された道は選考会となる見通しの来春の全日本選手権、NHK杯で上位に入ることだが、雲行きは全く晴れない。

その発言を聞くと、曇り空を続かせる原因となっているのは、「キング」で居続けた期間の長さにもあると思えてくる。特に全日本シニア。あん馬の落下という再びの失敗に引きずられる形で、失望感と己への嘲笑を露見させる言動があったが、83点というスコア自体は30歳で故障明け、しかも直前には腰のアクシデントがあった体操選手にとっては決して後ろ向き過ぎる成績ではない。それがまるで一切の光明が見えないような言葉を続けた。

どの競技でもありがちなケースだが、長くトップで居続けた選手ほど低迷に敏感で、それは過剰が常。衰えだけが頭をもたげ、視野を曇らせる。「できないこと」を認めることができないことで、ますます出来なくなると悪循環の入り口にいま、内村も立っているように思える。世界のスタンダードを更新し続けてきただけに、日本のどの競技の日本人王者たちよりも、できなさを認めることは難しいかもしれない。ただ、復活の鍵は加齢でむしばむ肉体のほころびではなく、むしろほころぶことを正面から受け止める覚悟ではないか。

白井健三にあっては、克服しなければいけないのは採点傾向と、その採点傾向への向き合い方だ。

内村同様に苦難の発端はケガだった。3月の3月のアメリカンカップ前に負った左足首の影響から崩れていった。4月の全日本選手権ではも低迷。30位でNHK杯に出る資格は得たが、その後に訴えた言葉がケガ以上の深刻さを浮き上がらせた。

「うまくいったところでEスコアが出なかった心残りが大きい。意味がわからないですね、ゆかがあの点になる意味が。自分で分かってないですし、いろんな先生方にもっと話を聞かないと。体操人生で一番着地が止まったゆかだと思ったんですよ。だけど8・2しかでない。なんなのかを知らないと。いまは何を直したいかが分からないので。
止めろと言われたから止めたのに、同じ点しかでないという、そういう疑問が残っている中で演技したくないので、『引くなら引けよ』と思います。止めにいっているんだから出すなら出してほしいし、じゃあ止まってない演技はもっと引くなら引けよと思います」。

憤りはなぜ起きるのか。白井自身がこだわっているのは技の出来栄えを評価するEスコア。10代で種目別の世界王者に原動力はなにより、他では真似できなかった超高難度のDスコアだったが、6種目通じて戦えるオールラウンダーとして一皮むけていくためには、Eスコアの安定こそが鍵だった。

ただ、その方向性は東京オリンピックで戦うために必須ではあったが、問題は自分ではコントロールできない体操界の流れにあった。リオデジャネイロオリンピック前から国際連盟の懸案事項となっていたのは、DスコアとEスコアのバランス。白井に代表されるように超速で進歩する技の難度に対して、その驚きと目新しさが奪っていたのが技の正確性への評価だった。難しさへの注目でおざなりとなっていたEスコアの見つめ直し、その結果として、美しい日本の体操への再評価が起き、それがブラジルでの団体総合金メダルにつながった流れがあった。

では現在はどうか。正確さの重要視の流れは続いている。ただ、現在の世界をけん引するのは日本ではなく、中国とロシアだ。その特徴は競技規則に書いてある減点をされないための当たり前の演技をすること。つま先を伸ばし、着地では腰を曲げずなど、技を難しくしようが丁寧に演技し続けること。これが勝者の条件となった。当然と言えば当然ではあるが、難度偏重だった体操界に大きな揺り戻しがきており、来年の東京までこの流れは持続しそうだ。

翻り、ではその中で白井はどのように評価されているのか。憤りの「審判批判」の根源もこの流れへの意識にある。6種目それぞれのスペシャリストに共通して言えることだが、突出した技を繰り出してきた先駆者たちの評価にブレーキがかかっている。それが白井ならゆかだ。4回ひねりなど、一世代前では想像もできなかった技を駆使し世界に登場した10代の頃ならば、多少は着地の乱れや、ひねり時の足割れなどは目をつぶってこられた。それがパイオニアへの敬意でもあっただろう。ただ、いまは審判も慣れている。目新しさはなくなり、むしろ気になるのは競技規則の減点項目に該当するような小さな乱れの連続。特にゆかは着地が最も多い種目で、比例して減点も多くなった。これに納得がいかないため、過激とも見えるような「批判」が口を飛び出す。

本来持っているポテンシャルは世界でも群を抜く。来年の東京の代表にも、ゆかを跳馬の得点だけで入れる可能性もあるだろう。ただし、問題視すべきは演技外へのコントロールできない部分への憤りに心が占められていること。世界選手権代表漏れした夏以降もケガが続き、全日本シニア選手権も欠場した。体ももちろんだが、いかに精神面での覚悟を決めて臨めるかが、これからの結果を左右することになりそうだ。

2枚看板が不在の世界選手権の見通しは決して明るくない。中国、ロシアに伍することができる陣容、実力であるとは言えない。むしろ、「丁寧さ」をどこまで他国が高めてくるのか。それ次第では日本は3位だった昨年以上に苦境に陥る可能性もなくはない。その時に国内では内村、白井の待望論が起きるだろう。ともに各自の理由で心身で厳しい状況に陥り、その声にこたえられるかどうか。母国でのオリンピックを前にして正念場を迎えることになる。


VictorySportsNews編集部