▽掛け軸

3月25日午前、昇進の使者を迎えた朝乃山が「相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と伝達式で口上を述べた。テレビのニュースやワイドショーなど、メディアにも多く露出した。会場となったのは、高砂部屋の春場所宿舎でもある久成寺(くじょうじ)だ。実は37年前、朝乃山の師匠、高砂親方(元朝潮)も同じ久成寺で大関昇進の伝達式を行っていた。師弟が時代を超え、歴史ある同じ場所で看板力士になることを宣言するという奇跡的な一幕だった。

「大ちゃん」の愛称で親しまれた師匠は現役時代、巨体を生かした馬力を武器に活躍。愛嬌のある風貌もあり、人気を博した。2002年に高砂部屋を継承してからは朝青龍を横綱に育て上げたが、朝青龍が暴行問題の責任を取る形で2010年に電撃引退した出来事もあった。逆境に陥りながら、親方はその後「定年までにまた横綱、大関を育てたい」と目標を掲げていた。今年の12月に65歳となり、日本相撲協会の定年を迎える。後述するような確かな指導法を貫き、ラストイヤーに朝乃山の昇進で見事に夢を実現させた。

伝達式のシーンで、部屋の奥に多くの手形が押された掛け軸が存在していたのにお気づきの方がいたかもしれない。部屋関係者によると、これは元横綱朝潮で先々代に当たる5代目高砂親方から、久成寺の先代住職に贈呈されたもの。第42代の鏡里から第60代の双羽黒まで、存命していた歴代横綱17人の手形が記されている由緒ある代物だ。土俵の鬼と呼ばれた初代若乃花や大鵬、北の富士、千代の富士らそうそうたる日下開山たちのものが集まっている。これまで未公表だったが、晴れの舞台ということもあり、特別にお披露目となった。貴重なものがさりげなく飾られている点は、高砂部屋の懐の深さを象徴している。

▽宿舎事情

久成寺の所在地は大阪市中央区中寺。地下鉄「谷町九丁目」駅を出て、大きな通りから1本入ったところにある。周囲にも多くの寺院が点在する。角界用語に興味のある方はご存じかもしれないが、有力な後援者を意味する「たにまち」という言葉の語源となったエリアである。話は明治時代にさかのぼる。谷町に大の相撲好きの歯科医がいて、治療にやって来る力士からは診察料を取らなかった。それどころか、食事などもごちそうして大盤振る舞いしたという。力士の間で評判になり、いつのまにかひいき筋のことを「たにまち」と言うようになった。今では相撲界以外でも広く用いられている言葉だ。

現在、谷町エリアに宿舎を置くのは高砂部屋くらいで、部屋の歴史の奥深さが如実に表れている。世の中の移り変わりの中で、地方場所の宿舎確保に苦慮する相撲部屋もあると聞く。高砂部屋に視点を移すと事情が異なる。愛知県蟹江町にある名古屋場所の宿舎、福岡市中央区にある九州場所宿舎。いずれも長い間借りているお寺を拠点としている。角界関係者によると、一般的にお寺の住職が代替わりするタイミングで相撲部屋への貸し出しを辞めるパターンがあるといい「いろいろと大変な面もある」との声も聞かれる。

各地の家主と長く良好な関係を築くことは、はたから見るほど簡単なことではない。その時代の経済状況もあれば、家主の考え方の変化もある。また、相撲部屋の面々との相性や個人的感情もあり、縁が切れる原因はさまざまだ。それだけに、親方や力士に限らず、所属している行司、呼び出し、床山、マネジャーらを含め、高砂部屋全体としていかに後援者たちと友好関係を築き、しっかり支えてもらっているかということの一つの指標といえる。

▽大阪太郎

現師匠と朝乃山はともに近畿大相撲部出身だ。それを含め、角界屈指の名門に数えられる高砂部屋は大阪とは切っても切れない縁がある。5代目高砂親方の第46代横綱朝潮は春場所にめっぽう強く〝大阪太郎〟の異名を取った。優勝5回のうち4回は春場所。しかも横綱昇進を決めたのも1959年春場所だった。弟子だった現在の7代目高砂親方も現役時代に1983年春場所で大関昇進を決め、2年後には唯一の幕内優勝を春場所で果たした。

現師匠は「高砂という親方になってみると、すごさとか歴史というものを感じる」と実感を込める。伝統の重みを背負いながら、信念に基づいた指導を貫いてきた。朝稽古には常に姿を見せ、弟子の状況をつぶさに観察してポイントを押さえた言葉を掛ける。例えば昨年春場所中、朝乃山が生もので食あたりに見舞われた際には厳しく注意した。体が資本の力士にとって食事は極めて大事。今後の力士人生にも必要な自覚を強く促した格好だ。一方、今年の春場所では、朝乃山が13日目に白鵬に一方的に敗れた夜には「全然当たれてないぞ」とひと言。ねちねちした小言よりも、受け入れやすいアドバイスだろう。これに触発されるように残り2日間は立ち合いで強く当たり、大関の座を手繰り寄せた。

力士以外への気配りも見逃せない。朝乃山の伝達式の会場設営では、実務部隊の行司や呼び出しらに事細かな口出しをせずに大枠を任せた。金屏風や赤いじゅうたんに彩られた見事な舞台が出来上がり、呼び出しの利樹之丞は「師匠に信頼していただいているという感覚があり、私たちも力を合わせて円滑に準備を進めることができました」と明かした。

朝乃山は伝達式を終えると部屋関係者に対し、一連の作業などに関して礼をして回ったという。高砂親方は言う。「実るほどこうべを垂れる稲穂じゃないけど、強くなればなるほど注目される。己を磨かないと」。谷町の寺でスケールの大きな新大関が誕生し〝大阪太郎〟のジンクスも継承。いわば高砂部屋の総合力が垣間見えた。

高村収

著者プロフィール 高村収

1973年生まれ。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事