▽無念

 このコーチとは梅原孝之氏。瀬戸は少年時代から薫陶を受け、今や押しも押されもせぬ個人メドレーの世界チャンピオンになった。まさに二人三脚での歩み。しかも昨年からの流れが秀逸だったことから、今回の決断は余計に驚きを持って受け止められている。世間ではよく、本当の夫婦仲というものは当人同士にしか分からないなどと言われるが、その言葉を想起させるような出来事。一部では、遊興にも積極的な瀬戸の姿勢によってひずみが生じたとのうわさも飛ぶほどだった。

 昨年は世界選手権で200mと400mの個人メドレー2種目を制し、五輪切符を獲得した。今年に入ると両種目で自己ベストを更新し、200mバタフライでも世界歴代3位に匹敵する日本新記録を打ち立てた。その際に「自分でもびっくりです。すごく自信になりました」と口にしていた。五輪イヤーに突入して順調な仕上がりを示し、期待は膨らんでいくばかりだった。

 上げ潮に水を差したのが新型コロナウイルス。世界中で猛威を振るい、3月24日に東京五輪の1年延期が決定した。目標にしてきた対象が目の前からなくなることのやるせなさ。瀬戸が心境を表明したのは2週間余り過ぎた後の4月10日だった。自身のツイッターに「気持ちの整理ができず、今までコメントを出せずにいました。喪失感で抜け殻になりました。すぐ気持ちを切り替えて来年頑張りますなんて言えなかったし今でもまだ完全に切り替えられてない日々が続いています」と率直につづった。膨大な無念さが胸に去来したゆえに、1年後に向けて覚悟を新たにする際、指導者を含めてこれまでの環境を変えたい気持ちが湧いても不思議ではない。

▽リスク

 アスリートとコーチの間柄という観点から、世界トップクラスの状況で関係を解消する例が近年、他の競技でもあった。女子テニスの大坂なおみ(日清食品)だ。2年前の夏、全米オープンで日本勢初の四大大会シングルス制覇の偉業を成し遂げた。昨年1月には全豪オープンでも優勝。四大大会2連続制覇の快挙で世界ランキングでもアジア勢初の1位に上り詰めた。

 しかしその翌月の2月、突然コーチのサーシャ・バイン氏との決別を表明した。パワフルなプレーが持ち味の大坂はバイン氏の下で課題だったメンタル面を向上させ、大きく飛躍した。名実ともに世界ナンバーワンになった途端の交代劇はさまざまな臆測を呼んだ。関係者によると、さらなるレベルアップを求めての決断だったという。その後、大坂は「キャリアでの成功よりも自分の幸福感の方が大事」と理由を説明したが、バイン氏と離れた後、下降線が待っていた。

 ほどなく新コーチにジャーメーン・ジェンキンス氏を迎え入れたものの、ツアー大会で決勝まで進むこともままならず、6月に世界1位から陥落。プレーに精彩を欠き、四大大会のウィンブルドン選手権では屈辱的な初戦敗退を喫し、ジェンキンス・コーチとの契約を解消した。テニスでは結果が伴わないと短期間でコーチを代えることはさほど珍しくはないが、栄光に導いてくれたコーチと絶頂時に離別することのリスクが如実に表れた結果となった。

▽賭け

 大坂のテニス同様、個人競技の競泳も頂点を狙うには基本的にコーチの助力が不可欠である。ひとたびプールに入ると頼れるのは自分だけという孤独な闘い。普段の練習時から客観的な視点でアドバイスを授けてくれる存在は貴重だ。

 男子ゴルフのタイガー・ウッズ(米国)は世界最高峰のマスターズ・トーナメントを史上最年少の21歳で制するなど、世界のトップを走り続けてきた。途中で私生活のトラブルやスランプに直面しながら克服。昨年のマスターズでは43歳で劇的なメジャー通算15勝目を挙げた。若い頃はブッチ・ハーモン氏という名高いコーチの指導を受けた。その後はコーチを代えながら、年齢に応じて自らのスイングと向き合い、実績を積み上げた。瀬戸は5月24日に26歳の誕生日を迎える。同じようにそのときどきに適したコーチが必要になってくる。

 4月下旬、自宅の庭に簡易プールを広げてその中を泳ぐ動画をインスタグラムで公開した。腰にチューブを装着して位置を固定し、水をかく映像はテレビのニュースなどで大きく取り上げられ、前向きな姿勢を取り戻している姿を披露した。ポジティブさは瀬戸の強さを支える要因の一つ。梅原コーチとの関係解消で自らに刺激を与え、新しい境地を切り開ける可能性もある。ある種、劇薬のような賭けである。

 瀬戸にとっては五輪の金メダルは悲願だ。初出場の2016年リオデジャネイロ五輪は銅メダル1個に終わった。それだけに「オリンピックは自分にとって何ものにも代えがたい夢の舞台です。来年でも再来年でもいつやっても絶対に金メダル獲ってやると強い気持ちを少しずつ作っていき、また再スタートをします!」と心境を記していた。コロナも関連した運命のいたずら。自分を見失っては元も子もない。2021年の夏まで1年余りで王者の真価が問われる。

VictorySportsNews編集部

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