エポックメイキングとなったこの出来事を、車いすテニス日本代表ナショナルチーム監督を務める中澤吉裕氏は万感の思いで見つめた。

「本当に信じられないような出来事でしたので、関係者としては嬉しいという言葉を飛び越えて、言葉が見つからないですね。本当に最高の瞬間でした」

 中澤氏は、1990年代から車いすテニスの指導者として携わり、車いすテニスのワールドチームカップには2001年のイタリア大会から参戦している。

「20年以上日本のトップ選手を見てきましたが、以前はこう(日本人グランドスラム決勝対決)なるとは思えなかったですね。だんだん日本選手の活躍が大きくなってきて、いつかこうなったらいいな、と思ったりすることは正直ありましたので、ついに来たという喜びが本当にあります」

 決勝では、上地(ITF車いすテニスランキング2位、大会時、以下同)が、大谷(10位)を6-2、6-1で破り、ローランギャロス女子シングルスで4回目の優勝を果たした。上地が、バックハンドグランドストロークのラリーを制したうえで、大谷をコートのバックサイドに追い詰め、上地がネットに出てポイントにつなげる形が多く見られた。そして、今回で17回目のグランドスラム決勝を戦った上地が、グランドスラム初の決勝進出を果たした大谷との経験の差を見せつけた。

「日本人同士の決勝は今までになかったので、ちょっと変な緊張感というか、もちろん楽しみではあったんですけど、何かいつも違う感じというのはもちろんあった。ただ、(自分が)やるべきことは決まっている。(大谷は)ローランギャロス初出場で、グランドスラム2回目で、まだまだ優勝させるわけにはいかない、というか。もちろんいい選手だと思いますし、これからもっと伸びてくるであろう選手だとは思いますけど、私もグランドスラムのシングルスで優勝するには時間がかかったので、そう簡単には取らせないという気持ちで入った。それがすごくいい形でプレーに出たと思う」(上地)

 一方、大谷は、ローランギャロス初出場ながら、準決勝で世界1位のディーダ・デグロート(オランダ)を倒すビッグアップセットを演じ、グランドスラム初の決勝進出を果たして自信を得ていただけに、上地への6度目の挑戦も跳ね返されたことを悔しがった。

「入る前は結構緊張していたんですけど、入ってからは落ち着いてできた。でも、スコアを結構離されたのは今の実力かなと思います。上地選手に初めての勝利をしたいという思いで取り組んでいたので少し残念でした。上地選手のディフェンスのボールが、自分にとっては苦しかった。ディフェンス力が高いと思いましたし、その中でどこで前へ詰めていくかというのもすごく勉強になりました」(大谷)

 ローランギャロス決勝を見守った中澤氏は、上地と大谷それぞれのプレーの印象を次のように語る。

「やはり場所に慣れているというか、上地選手の方が経験値もあり、一枚も二枚も上手だったのかな。大谷選手は、(準決勝で)世界で誰が倒すんだと言われているぐらいのデグロートを倒した後、みんなからの期待も大きかったと思いますので、いろんな意味で悔しい思いもあったのではないでしょうか。今回は上地選手のテニスがすごく良かったです。本当に素晴らしいプレーで、世界の女王だと感じました」

快挙、しかし日本メディアの報道の仕方に疑問

 今回のローランギャロスでの優勝によって、上地は、女子シングルスでグランドスラム8個目のタイトル獲得となった。

「(上地の強さは)技術的に本当に精度の高いボールを打てること。あと、ボールの軌道を変えたりする空間の使い方がうまい。これらが彼女のベーシックの強さになります。そして、さらに良くしていこうとするチャレンジ精神があります」

 このように上地の強さを説明する中澤氏は、上地がバックハンドのスピンに早く着手して、使い始めたことも付け加える。車いすテニスの女子は、バックハンドのスピンはなかなか打てなかった時代から、打てて当たり前の時代になっている。絶えず進化していこうという上地の姿勢が、女子の車いすテニスをリードしてきたともいえる。もともと高い軌道のボールを使っていたが、そこにバックハンドのフラットドライブ系の速いボールやネットに出てドライブボレーを使うことも織り交ぜ、強い気持ちでテニスを進化させようとしていることが上地のプレーからうかがえる。

 一方、グランドスラム初の準優勝を果たした大谷の強さを、中澤氏は次のように説明する。

「大谷選手は、健常者の時にテニスをしていてインターハイにも出たことがありました。もともとテニスの技術は持っていたけれど、やはり一番苦労したのは車いすの操作。そんな簡単に車いすに乗って、世界の頂点に行けるほど甘くはない。彼女の強さは、それを身に付けようとまず思ったところから始めて、それを実現した。そして、現在も進化していて、自分の思い描いているテニスに近づいているところが彼女の強さです。車いすに乗ったテニスになると、戦い方が違うという気づきや発見があると思う。そういう意味では、さらにチェアワークが良くなって、スキルも上がってより良くなると思います。すごく強い意志をもってプレーしていて、世界で勝つために、より厳しく自分をコントロールできるようにしていると思います」

 そして、忘れてはならないのが選手をサポートするコーチの存在だ。上地を指導する千川理光(ちかわまさあき)コーチ、大谷を指導する古賀雅博コーチ、それぞれのサポートが無ければ、グランドスラム決勝での日本人対決の実現はあり得なかったと中澤氏は考察する。

「どの選手にとってもコーチの存在は大きい。やはり真剣に取り組んでいる選手になればなるほど、コーチの存在は非常に大きい。また、コーチにとっても、選手の存在が大きく、お互い信頼し合ってやっていく。本気で人生をかけてやっているわけですから、情熱も含めてすべてがないといけない。選手にとって、コーチはいろんな意味で協力してくれる、心の支えになっている」

 ただ、車いすテニスの日本女子勢の快挙とは裏腹に残念だったのは、日本メディアの報道の仕方だ。テニス界だけにとどまらず、スポーツ界全体にとっても大変価値ある出来事だったにもかかわらず、試合翌日の地上波テレビでは、30秒~1分ぐらいのニュースになったものの、特集されるようなニュースにはならなかった。また、新聞やスポーツ新聞などでは一面にならなかった。

 たしか東京オリンピック・パラリンピックには、オフィシャルパートナーと謳われている新聞4社があったが、一体どこに目をつけているのだろうか。オフィシャルメディアの役目をきちんと果たせているのか疑問が残った。

東京パラリンピックへの期待と課題

 現在、男子車いすテニスで世界1位の国枝慎吾も、上地と大谷によるグランドスラム決勝対決の実現を喜んだ。国枝は、グランドスラムのシングルスで24回(オーストラリアンオープン10回、ローランギャロス7回、USオープン7回)の優勝を果たしており、ダブルスも合わせると45回で、男子史上最多グランドスラム優勝回数となっている。パラリンピックでは、2008年北京と2012年ロンドンの男子シングルス、2004年アテネでは齋田悟司と組んだ男子ダブルス、合計3個の金メダルを獲得している。そんな国枝が面白い指摘をしてくれた。

「日本の車いすテニスの層の厚さを、大谷さんが見せつけた。男子も、眞田(卓)君(10位)とか三木(拓也)君(12位)がいて、女子の選手もちょっとずつ出てきている。日本は、トップ20に関して、男女も一番多いんじゃないかな」

 国枝の指摘どおり、10月19日付けのITF車いすテニス世界ランキングでは、シングルスのトップ20に、男子、女子、クァード(四肢麻痺の意。上肢にも障害があるクラス)、それぞれの部門で、日本選手のランクインが最多となっている。

 まず、男子では、世界1位の国枝を筆頭に日本勢4人で、男子強豪国のフランスとオランダはそれぞれ3人で日本が上回っている。一方、女子では、世界2位の上地を筆頭に日本勢が5人で、女子強豪国のオランダの3人よりも多い。さらに、クァードでは、日本勢が4人おり、イギリスとアメリカの3人を上回っている。

 日本の車いすテニスが、世界のトップレベルにある現状を踏まえると、いやがうえにも期待が高まるのが2021年に延期になった東京パラリンピックだ。ローランギャロスの表彰式で、上地は、東京パラリンピックの決勝でも日本人対決が実現することを望んだ。

「来年の東京パラリンピックまで時間があるので、彼女(大谷)ももっとプレースタイルとか磨いてくると思います。来年に限らず、グランドスラムでも対戦できる機会がもっと増えたら嬉しいな」

 この上地からの言葉を大谷は励みにして、上地にも認めてもらえるような実力をつけたいと誓う。

「今後もっと頑張ろうと思いますし、(上地に)もっと認めてもらえるように頑張っていかないといけないと思います」

 日本代表ナショナルチーム監督として、中澤氏も選手たちへ寄せる期待は大きい。

「私の立場として、誰に期待しているというのは良くないので、どの選手にも期待して、各クラスで上位進出を目指してメダル獲得を狙っていくだけです。1年延期なったことは否定しても何も動かないので、スタッフとして全力を尽くしてやるだけです。ただ、1年延期になって、不利になるというかギリギリだった選手にとっては良くない1年の場合もあるので難しい場合もあります」

 そして、長年車いすテニスに携わってきた中澤氏は、パラリンピックが東京で開催される意義はとてつもなく大きく、日本車いすテニス界に大きな財産を残すことになるだろうと信じている。

「アピールできることは数知れないので、意義はすごく大きいと思います。20数年前は、日本中の皆さんが車いすテニスのことを知らなかったと思います。国枝選手を筆頭にどんどん強くなってくれて見る機会が増えた。見てもらうと、すごいねといういろいろな意見が増えながら、ジュニアでもやりたいという子が増えてきた。次世代の子供たちの合宿をやったんですけど、今の子供たちは、非常にレベルが高い。東京で開催されて、男子も女子も史上最強といわれる日本の強い選手たちの活躍を当たり前のようにみんな見る。そこでレベルの高いものを見られて、(子供たちは)そのレベルからスタートする。東京で世界のトップレベルを、日本のスタンダードとして見ることができる。これは本当にすごいことだと思っています」

 現在、新型コロナウイルス感染症のパンデミックは続いているが、東京オリンピック・パラリンピックを迎えるまではまだいい、問題は終わってからだ、ということに多くの関係者が気づいており、戦々恐々としている部分がある。潮が引くようにスポーツおよびパラスポーツへの関心が失われ、一気に手を引く企業やメディアが現れてくるかもしれない。その時に、本当の企業姿勢やメディアの報道姿勢が問われていくことになる。

「東京オリンピック・パラリンピックが終わった後も、パラスポーツを支えていけるような日本であってほしい。強いだけではなくて、みんなも車いすテニスを応援してくれるような。現状では強くて注目されているけど、パラリンピックが終わった後も、みんながちゃんと見ていてくれるのか、これだけ競技レベルが上がってきた中で、みんながどう感じているのかが課題です」

 この中澤氏の言葉は、多くのスポーツおよびパラスポーツ関係者の気持ちを代弁しているのではないだろうか。そして、「(パラリンピック後も、パラスポーツへのサポートを)続けてくださいと言いたいです。続いていかないと、成長していけないので」という未来への願いも中澤氏は言葉に込める。

 車いすテニスの日本選手たちが到達した世界レベルの強さを維持しつつ、さらに進化を遂げるために、そして、東京パラリンピックを見た子供たちが、車いすテニスを始めて成長していくために、東京パラリンピック以降のサポートは必要不可欠だ。

「今は、最高のパフォーマンスを発揮してもらえるように選手のための環境を整備することを努力していきたいです。まだ言葉としていろいろ整理できていない部分もあるんですけど、終わった時に初めてよくわかるかもしれないですね。東京で良かったねという風になる可能性は十分にあると考えています」(中澤氏)

 ローランギャロスで実現した上地と大谷の決勝対決は、東京パラリンピックでの活躍を予感させるようなものになった。そして、選手、選手関係者、大会関係者、協賛企業、メディアなどからさまざまな思いが集まる東京オリンピック・パラリンピックが、たとえコロナ禍であっても、未来へのレガシー(社会的遺産)を少しでも多くの人々にもたらしてくれることを願わずにいられない。


神仁司

1969年2月15日生まれ。東京都出身。明治大学商学部卒業。キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)勤務の後、テニス専門誌の記者を経てフリーランスに。テニスの4大メジャーであるグランドスラムをはじめ数々のテニス国際大会を取材している。錦織圭やクルム伊達公子や松岡修造ら、多数のテニス選手へのインタビュー取材も行っている。国際テニスの殿堂の審査員でもある。著書に、「錦織圭 15-0」(実業之日本社)や「STEP~森田あゆみ、トップへの階段~」がある。ITWA国際テニスライター協会のメンバー 。