代表選考レースの初戦となった4月の全日本選手権で、まさに天国と地獄を味わった。16日の予選は、ほぼミスのない演技で6種目合計87・332点をマークし、2位以下に0・734点差をつける会心の内容。並み居る実力者を抑え「8割くらいの自分の力を出せて、落ち着いて試合を運べた」と言ってのけた。2018年大会で谷川翔(セントラルスポーツ)が19歳2カ月で成し遂げた最年少優勝の記録更新も十分に視界に捉えていた。

 だが、2日後の決勝に悪夢が待っていた。最終種目の鉄棒。演技中盤の離れ技「伸身トカチェフ」で落下した際に両手をマットに激しく突き「ぼきぼきという何かしらが折れた音がした」と言う。痛みをこらえて、再びバーを握ったがすぐさま演技を中断。そのままフロアから退場し、向かった医務室で、中学時代から指導を仰ぐ大阪・清風高の梅本英貴監督とともに涙を流した。結果は6位。今後の選考会を踏まえると、十分に代表圏内の順位だったが、会場にいた誰もが東京五輪代表への道が途絶えたと感じとっていたはずだ。本人ですらそうだった。

「こんなことがあるんやと、現実なのかなという思いがあった。練習して必死に頑張ってきたのに、何が駄目だったんだろう。悪いことしたかなと思った。五輪とかじゃなくて、体操が嫌いになりそうで、体操を辞めようというくらいの思いがあった」。けがから約1カ月半がたった5月下旬、北園はオンライン取材で当時の心境をこう語った。この言葉には衝撃を受けた。北園の性格が自他共に認めるほどに超が付くほどにポジティブであることを知っていたからだ。かつて取材に「マイナスなことを言ったらマイナスなことしか起こらない」と話し、発する言葉はいつも強気で前向きだった。入学から身長が23㌢伸びた中学3年間は成長痛に苦しめられ、試合に出場できたのは1年に1回程度だった時期でも決して心は折れることなく「いま負けていたとしても絶対に東京五輪までにはひっくり返せる」と地道なトレーニングを重ねてきた。

 それだけに今回のけがが北園にもたらした絶望が伝わった。2013年9月、ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京五輪開催が決まった時はまだ10歳。その時から「東京で団体総合と個人総合で金メダルを獲得する」と公言し続けてきた。新型コロナウイルスの影響で1年延期がなければ、高校3年で迎えていた東京五輪。過去の五輪で唯一、体操男子で高校生代表となり、1988年のソウル五輪で〝清風コンビ〟として団体総合銅メダルに貢献した池谷幸雄、西川大輔のことを知り、中学校から清風の門をたたいたほどだ。全てを東京五輪に懸けていたと言っていい。

憧れのヒーローからの電話

 全日本決勝から3日たっても両腕が全く動かない状況で、それほどまでに思いこがれてきた大きな目標を一度は投げ出そうとしていた。だが、そんなときにかかってきた1本の電話が立ち上がるきっかけをくれた。スマートフォンに表示された名前は内村航平(ジョイカル)。連絡先は交換していたが、これまで一度も連絡したことはなかった。憧れのヒーローからの着信に驚きつつも、10分ほどの会話の中で内村から言われた「気持ちを切らさなかったら、絶対に戻ってこられる」の言葉に奮い立った。「もう一度頑張ってみよう」

 けがから約1カ月後に行われた5月16日のNHK杯(全日本選手権との合計得点で争う)では、テーピングで右肘を完全に固めている状況で演技構成を大幅に下げざるを得ずに9位に終わった。この大会で優勝した橋本大輝(順大)と2位の萱和磨(セントラルスポーツ)が代表切符を獲得。3位の谷川航(セントラルスポーツ)も代表入りをほぼ確定させ、実質残された最後の1枠を最終選考会の全日本種目別選手権で争う状況となった。

 北園が代表入りするために求められたのは、4月の全日本選手権で行った演技構成を予選、決勝でほぼ完璧にこなすこと。そのためにNHK杯から時間が限られる中で病院を3カ所回り、酸素カプセルに入ったり、超音波治療を受けるなど、やれることは全てやった。大会前日の会見では北園の表情に迷いはなく「肘の痛みはNHK杯が終わってからどんどん良くなっていて、技も前の構成にすべて戻して良い感じに仕上がっている。自分の力を出し切ったら代表になれる」と覚悟がひしひしと伝わってきた。

つかみ取った夢舞台への切符

 その言葉通りに、予選から圧巻の演技を立て続きに披露した。床運動で力強い跳躍技を正確に決めると、あん馬では身長156センチと小柄ながら腰高で雄大な開脚旋回で観客を魅了し、高得点を並べた。鉄棒の演技前には負傷した時の光景が頭をよぎり「めっちゃ怖かった」と言うが、五つの離れ技を決めて予選2位の14・866点をマークし、恐怖心に打ち勝って見せた。

 決勝でも勢いそのままに得点を積み上げた。そして迎えた最後の鉄棒。着地を完璧に決めると、代表入りを確信したのか、両拳を力強く握り、そしてあふれ出てきた涙を左手でぬぐった。代表決定後の場内インタビューでは「最初はこんなにできるなんて思っていなかったし、けがしたときを思い出したら、いろいろこみあがるものがあった」と語り、「僕だけじゃなくていろんな方の支えのおかげでこうして戻ってくることができた。感謝しても感謝しきれない」と思いを口にした。

 大阪市出身。3歳の頃、仮面ライダーをまねて側転を繰り返す姿を見た母親が体操クラブに連れていったことが原点のジムナストが体操人生最大の危機を乗り越えてつかみ取った夢舞台への切符。同じくこの大会で個人枠での代表入りを決めた内村も「丈琉の強さをひしひしと感じる大会でしたね。言葉じゃ表せない何かを持って生まれてきた選手なんだろうな」と称賛した。

 2019年の世界選手権で屈した強国ロシア、中国を打ち破り、16年リオデジャネイロ五輪に続く五輪2連覇を狙う男子団体総合。代表決定後の記者会見で北園は「決めないといけない場面で決めきる強さを発揮できた。この勝負強さは日本を引っ張っていく上で生かしたい。金メダルを死ぬ気で取りにいきたい」と力強く宣言した。

 思い返せば、2018年10月のユース五輪では、5月にあった代表選考会で左足首の疲労骨折が完治していない状態で代表の座をつかみ、個人総合と種目別で計5個の金メダルを獲得する偉業を成し遂げた。

 もちろん大会の規模は違う。だが何かを期待せずにはいられない、そんな可能性を秘めた18歳だ。


VictorySportsNews編集部