サプライズの結果だが、近年まれにみる死闘だった

 いつものように、チャンピオンがステップを前後に刻みつつ生命線の左ジャブを突いていく。こうして自分の間合いを把握すると、打たせずに打つを徹底して一方的展開に持ち込むのが寺地の常だ。矢吹がパンチをつなげてきても直撃弾を避けながら、まずは無難な序盤に見えた。4ラウンド終了後に公開された途中採点は2-0(40-36、40-36、38-38)で挑戦者を支持。あとで矢吹本人が「40-36はチャンピオン(優勢)かと思った」と明かしたように、寺地にとっては厳しいジャッジだった。リードされるだけならまだしも1点も取れていないのは重圧がかかる。ここで歯車が狂ったのではないか。

 果たして、5ラウンドの寺地はポイント挽回を期して出た。それまで控えていた右も動員してプレスし始めた。そこに合わせる矢吹の右クロスが活きる。攻勢を強めたと同時に寺地には、これまで寸前でよけていたものが届くようになったのだ。そもそも判定勝負の展開になれば不利だと覚悟していたのは矢吹のほうだった。「ポイントを取られるのは想定内」と言い切り、そのかわりにボディも交えた強打でダメージを与えて攻め落とす作戦だった。ポイント優勢に進める中、セコンドからはディフェンスに留意して戦うよう指示があったが、あくまで攻撃スタイルを貫いた。

 試合がヒートアップする。それはチャンピオン寺地がリズムに乗り切れていない証拠でもある。中盤の矢吹は相変わらず寺地に細かいジャブは出させるものの、ペースまでは奪われない。強い右クロス、ストレートのような左ジャブを必ず返す。寺地の反撃に遭っても押されっぱなしにはならないチャレンジャースピリットこそは効果的だった。

 「78-74、79-73、77-75」。8ラウンドが終わり、この試合2度目の途中採点がアナウンスされると、矢吹の優勢がさらに明白なものとなっていた。

 しかしここからが本当の死闘だった。9ラウンド、寺地が起死回生の左ボディ。くの字になって窮地をしのぐ矢吹が踏ん張って打ち返し、攻防の中で寺地の右目上がザックリと切れる。迎えた10ラウンド。先に出たのは寺地だ。前ラウンドのダメージを残す矢吹に猛攻、後退を強いて逆転KOの一打を狙う。だが挑戦者はここも打って返して寺地に容易にフィニッシュをさせない。そして逆に左ボディアッパーを打ち込んだ。ガクッと寺地が下がる。攻守交替して矢吹渾身のラッシュ。よくぞこれだけの力が残っていたものと思わせる、体中が燃焼しているかのような攻撃。しゃにむに打つ挑戦者、力なくロープを背負うチャンピオン、レフェリーが割って入ったのはこのラウンド終了1秒前のことだった。

「具志堅越え」をひた走っていた安定感抜群の王者の敗北

 ただのチャンピオンが敗れたのではない。寺地は現役屈指の安定チャンピオン。8度の防衛戦で苦闘と呼べるのは最初のペドロ・ゲバラ戦ぐらいのもので、防衛疲れをうかがわせずにここまできた。かねて具志堅用高の持つ日本人世界王者の連続防衛記録“13”を塗り替えたいと公言しており、折り返し地点も回って快調に「具志堅超え」にひた走っていた。

 ただ、寺地自身に不安要素がなかったわけではない。8月下旬に寺地が新型コロナウイルスの陽性判定を受け、この一戦は当初の9月10日開催を延期。寺地は約10日間の自宅隔離を経て、肺などの各種検査をクリアし、結果的に試合は12日間のスライドで行われることになった。急ピッチで仕上げたものの、当日の動きにいかに影響を及ぼすのかは懸念されたところだった。

 試合後の寺地は負傷した右目上の治療のため病院に直行。メディアの取材に応じた父親の寺地永会長は拳四朗の調子が「ベストではない」と言う一方で対戦相手をこう称えた。「10ラウンドの拳四朗の攻撃に耐えた、矢吹選手が強かった」。あのラウンド、寺地会長は拳四朗の逆転勝利をほぼ確信していたのだ。

 「途中であきらめてしまいそうになりましたけど、最後まで頑張れました」矢吹はそう振り返った。殊勲の新チャンピオンの本名は佐藤正道という。矢吹のリングネームは『あしたのジョー』から拝借したもので、実弟の日本ランカー、政法は“力石”を名乗っている。キッズボクシングから始めてインターハイにも出たが、アマチュアでこれといった実績は残していない。リングネームを名乗ったのは、佐藤の名字ではありふれているというシンプルな理由からだ。

この試合で勝っても負けても引退のつもりだった

 その半生はありふれたものではない。1992年7月9日、三重県鈴鹿市の生まれ。学生時代はケンカもよくしてボクシングの道から外れていた。17歳の時、長女が誕生して実家を飛び出す。高校を卒業して、金をため、妻子を連れて一度上京している。東京でボクシングをするつもりが、計画通りに行かず、名古屋に戻ってプロになった。

 現在は2人の子どもの父親で、建築関係の自営業をしている。緑ジムへは以前のジムから2018年に移籍。その際ジムがかなり遠くなったが、引っ越しをするつもりはなかった。「子どもが転校しないといけないのはかわいそうだから」と父親の顔をのぞかせた。今年の七夕の短冊に子どもたちは「世界チャンピオンになって」と書き込んだ。

 試合が終わって、もう一度矢吹がファンを驚かせたのは、「この試合で勝っても負けても引退のつもりだった」と告白したことだ。それだけこの一戦にかけていたというのだが、晴れて世界を獲ってみても、引退か現役続行かはひとまず保留している。

「変な話、軽量級で命をかけて稼げるファイトマネーは(ある程度)決まっていますし。その安い金額に命をかけるまで稼げるとも思えない」

 矢吹はプロ入り後、数多くのケガと付き合ってきた。拳の骨折に腰痛。スパーリングでろっ骨を折り、帰り道で呼吸困難になって自分で救急車を呼んだこともある。階級最強の評価を受けるチャンピオンに挑んだ今回は、「この試合で死んでもいいと思っていた」とまで言った。実際その通りの壮絶なファイトを見せた勝者が、そんなシビアな現実を口にしていた。

VictorySportsNews編集部

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