アラン・シリトー「長距離走者の孤独」

 子供は無闇に走る。意味もなく、目的もなく、ただ阿呆のように絶えず駆けずり回っている。大人はどうだろう。都会だろうが田舎町だろうが、通りを物凄い形相で疾走している大人を見たことがあるだろうか?もちろん、走っている人間は大勢いる。しかしそれは健康のため、あるいはスポーツ競技のトレーニングのためであって、子供のそれとはまったく違う。大人が子供のように走り回っていたら、それは犯罪者か、それを追う者か、そうでなければ錯乱の人でしかないだろう。

 私は、ぼろぼろの新潮文庫版(1959年/丸谷才一・訳/河野一郎・訳)を持っているので、引用部も同書に依る。主人公、17歳のコリン・スミス少年は、英国各地にある感化院対抗の長距離クロスカントリー大会の選手に選ばれ、週に3日、朝5時から誰の監視もつかずに一人で監獄の外へ出て練習する特権を得た。模範収容者だったからではない。ひょろ長い体格から長距離走者の素質があると感化院の責任者から見込まれたからだ。

 こう書くと、感化院送りとなった札付きのワルが、長距離クロスカントリーという競技と出会ったことで、挫折を味わいながらも努力や成長する喜びを感じ、いつの日か改心していく物語を想像する人もいるだろう。しかしシリトーが描いたのはそんな陳腐で安っぽい更生譚ではない。

 イングランド中央部に位置するノッティンガムの下層労働者階級出身のスミス少年にとって「走ること」とは「逃げること」だった。真っ当な家庭の親なら心を痛めるだろうが、彼の親はむしろ「走ること」を推奨した。

 スミスは語る。

〈どのみち嫌いなことじゃなかった。走ることは、むかしからわが家では重んじられていたからだ——とりわけおまわりから走って逃げることは。競争ならむかしから得意だった〉

ありふれた話

 工場労働者だった父親は喉頭癌を患っても病院に行くことを頑なに拒み、自宅ベッドで血まみれになって死んだ。低所得者層にありがちな、社会福祉やボランティア、公共機関を忌み嫌う心性がスミスの家庭には横溢していた。

 母親は父親が存命中から、自宅にとっかえひっかえ男を連れ込み情事に耽ったが、衰弱した父親は止めることもできない。下卑た欲望を満たした男が帰ると父親は荒れ、母親に暴力をふるった。そんな両親はともに官吏や警察官を毛嫌いしていて、彼らに対しては常に挑戦的で非協力的な態度を貫いた。当然のことながら、そうした感覚はスミス少年の内面に根深く受け継がれていく。彼はテレビの刑事ドラマを見るたびに、思うようになった。

〈おれはいつでも、犯人がうまくずらかり、分け前を思う存分使ってくれりゃいいと願い、パンチを画面の中へぶちこみ(…)刑事を首固めで締め上げ、現金の袋を持ってずらかる奴を追えないようにしてやりたくて、ウズウズする手を抑えておくのが一苦労だったもんだ。ギャングが二、三人銀行員を殺したときでも、つかまらなきゃいいと願っていた〉

 赤貧に喘ぎ、犯罪性向のある親のいる家庭で育てられた子供がこうした心性を持つに至るのはごく自然なことであり、昔も今もありふれた話だろう。そして当たり前のようにスミスは不良仲間と万引きやかっぱらいに精を出すようになる。捕まりそうになったこともあるが、自慢の足とよく回る“ペラ”でまんまと逃げおおせることができた。だがそんな幸運が一生続くわけもない。

 17歳になったスミスは悪友のマイクとともに街のパン屋に忍び込み、首尾よく150ポンド入の手提げ金庫を盗み出すことができたものの、警察の家宅捜査でブツが見つかり御用となる。『(事件のほとぼりが冷めたら)そのうち海岸へ出かけ、さんざん楽しい目をし、ゲーム台でフットボールをしたり、ぐっと楽しませてくれそうな淫売を二人手に入れる』という悪童たちのちっぽけな夢はこうして泡と消えてしまった。

出目金

 イングランド東部に位置するエセックス州の感化院に収容されたコリン・スミス少年は週3回の練習日になると、サボることもズルをすることもなく、靄の立ち込める早朝の野原や鬱蒼とした森の中の小径を律儀に走り続けた。その姿に感化院の院長は鼻の穴を膨らませたことだろう。院長の願いは少年の更生などではなく、自らのチンケな名誉欲を満たすことでしかない。貧民街育ちの不良少年の本能はそう見抜いていた。

 老臭漂う、でっぷりと太った“出目金院長”はいかにも寛容そうな口調でスミスに語りかける。〈ここの施設にいるあいだ、われわれはきみを信頼したい〉〈もしきみがフェアプレイでやってくれるなら、われわれもきみに対してフェアプレイでいこう〉

〈われわれは勤勉な作業と、よい運動選手がほしいんだ。もしきみがこの二つをわれわれに与えてくれるならばだ、われわれもきっときみの力になり、誠実な人間としてふたたびきみを社会へ送り出すことを約束してもいい〉

 院長がこう宣うに至り、スミスの腹は完全に決まった。彼は言う。〈おれはきっとあのレースには負けてやる。おれは競走馬じゃないからだ〉と。

 スミスにとって出目金院長は、これまでもこれからもずっと自分を取り囲み、分別顔で圧迫し続けてくるであろう世間の象徴だった。

スミスは走る

 感化院対抗長距離クロスカントリー大会で優勝者を出し、ちっぽけな自尊心と名誉欲を満たし、出世の芽を伸ばしたいと願う院長に一泡吹かせてやる。そんな反逆心を抱いて走りはじめたスミスだが、いつしか走ること自体に得も言われぬ歓びを覚えるようになっていった。彼のみずみずしい言葉が耳を傾けてほしい。

このおれこそ世界に生み落とされる最初の人間なんだぞと自分に言い聞かせ、まだ鳥たちも囀りだす勇気が出ない早朝の霜をおいた草の中へぴょんと飛び出るや否や、おれは考えはじめる。そしてそれが楽しいのだ

 煤けた街路を逃げ回ってばかりいた少年は、凛と冷えた野原や森の深遠な空気の中、生まれてはじめて自分の身体を自分のものとはっきりと感じ、凍てつく樹木と水の世界を颯爽と駆け抜けていく。

〈おれは夢見心地で走路をまわり、曲がっていることも知らずに小径や細道の角を曲がり、川があることも知らずに小川を飛び越え、姿も見えない早起きの乳しぼりにおはようと呼びかける(…)たったひとり、この世の中に飛びだせる長距離走者だということはありがたいことだ〉

 大会ではスミスの思惑通り、ギリギリまで先頭を走ったところで、突如歩を止め、わざと負けて、院長に赤っ恥をかかせることに成功した。本心ではトップでゴールテープを切りたかったかもしれないが、裏街に生きるワイズガイ(無法者)の矜持がそれをさせなかった。阿呆面で優勝を成し遂げ、“あちら側”の老人から笑顔で肩を叩かれ、健闘を称えられる汚辱に耐えられるはずもなかった。数カ月後、彼はシャバに出ると、即刻628ポンドの金をせしめ、元通りの生活に戻った。

 おそらく、その後もいいことなど何もない人生が続いていくだろう。しかし17歳のときのほんの一瞬、彼は子供の頃のように、目的もなく、ただ走ることの歓びを取り戻した。森を駆け抜けながら感じた、誰とも共有できない、自分だけの輝かしい記憶は彼の体の奥深くに刻み込まれ、人生唯一の金字塔となったことだろう。

私の友人、マナブ

 17歳のコリン・スミス少年は、縦横無尽に野山を駆け回ることで、一片の、清々しい記憶を自らの身体に刻むことができた、かもしれない。だが、悲惨な環境に育った不良少年たちの大半は、一瞬でもそんな僥倖にあずかることもなく、年月とともに無惨に淀み、腐臭を放つ沼のなかにただただ沈み込んでいくのが普通だろう。スミス少年は幸運だった。

 では翻って、私の友人マナブはどうだったのだろう。彼の生い立ちや性向、暮らしぶりは、スミス少年ととてもよく似ていた。今から3年と少し前、こいつは世界中を席捲したコロナ禍を知らずに他界したが、わずか45年の生涯のなかで、スミス少年が味わったような清冽な気持ちに満たされたことが、一度でもあったのだろうか。
 
 マナブにとっても「走ることは」はずっと「逃げること」だった。その度合いはスミス少年のはるか上を行っていたと思う。彼が走っている姿を、最初に見たのは十数年前の師走、新宿歌舞伎町のど真ん中だ。しんしんと冷え込む夜、一番街でポン引きをしていたマナブに、熱々のカップ酒でも差し入れてやろうとやって来たのだが、いつもの場所に姿がない。
しばらく待っていると、いまはもうないコマ劇場のほうから、ごった返す酔客を押しのけながら、物凄い勢いで走ってくるひょろ長い男を見つけた。

「どけ、そこのハゲ!」

後編へ続く

根本直樹

 1967年、群馬県生まれ。立教大学・文学部仏文科中退。『週刊宝石』記者を経て、フリーランス。編著『歌舞伎町案内人』(李小牧/角川文庫)を始め、在日中国人社会の裏側やヤクザ、社会の底辺に生きるアウトサイダーを追い続けている。著書に『妻への遺言』(河出書房新社)など。