ダンス、ダンス、ダンス

 最初にスカウトされたのは、小学3年生のときでした。福岡のストリートダンスのイベントに出たあと。声をかけてくれたの、この人(現在のマネジャーでもある、池田さん)だったんですけど。

 イベントでたまたま福岡にいただけで、家は長崎なんです。実家は今でもそうですね。
 
 池田さんもたまたま福岡にいただけで、働いていた芸能事務所は東京だったし。だから、スカウトといっても、両親が名刺をもらって「まあまあ、考えてみます」みたいな感じでそのまま放置というか。みんなで長崎に帰って、そのうちに忘れちゃいました。あの頃は、芸能界にはそんなに興味がなくて。

 ダンスは、小1からやっています。きっかけは、友達ですね。仲の良い子がブレイクダンスをやっていて、楽しそうだったので。実際、ほんとに面白くて、ずっとやっています。中学生になったときも部活には入らず、ダンスチームで練習していました。

 ダンスの何が楽しいか……パッて言うのは難しくないですか。音楽は好きだけど、でも歌うのはそんなに得意じゃなかったとか、そういうのはあったかもしれません。歌ったり、演奏するより、自分の身体を動かすのが一番音楽を楽しめたんです。

2度目の池田さん

 中学校の2年生になったとき、家に帰ったら母に言われました。「なんか、スカウトの電話がきたよ」って。それがまたこの人です、池田さん。福岡で声をかけてもらった後、両親はきちんと断りの連絡を入れたみたいで、うちの電話番号を知っていたらしいんです。

 もう何年も前の話なのにそういう電話番号を残しているとか、普通に考えたらちょっと怖いですよね。芸能界に入っちゃうと、子役とかアイドルをスカウトする人にとっては、そういうのが普通だって分かりますけど、そのときは何にも知らないので。

「池田さんの会社(現在所属しているラフェイスプロ)が福岡にも事務所をつくることになったんだって。だから芸能活動してみませんか、だって」と。母が意外と積極的だったので、驚きました。

最初の仕事

 最初にいただいたお仕事は、あれですね、ファッションショー。アハハ、いや、ほんとアハハなんですよ、ほんとに。

 たぶん事務所に入ってすぐだったと思います。「熊本で、ファッションショーの仕事があるから」って言われて。家族も大喜びして、みんなで熊本に行きました。それで集合場所に向かうと、普通の商店街なんです。アーケードの途中に平台(木製の足場)で、細い道が造られていて。そのランウェイを私服で歩くんです。

 もちろん、お客さんなんていないですよ。見ているのは、ほぼ全員、出演者の家族で、ビニール袋を提げたおばあちゃんとかがチラ見して通り過ぎてゆく、みたいな。でも、なんかそれぐらいの感じから始められてよかったですけどね。

 まだ中学生だったので、事務所がやってくれるレッスンも土日だけで、それが逆に学校の部活動みたいで新鮮でした。ダンスのチームのほうはずっと前からやっているので、メンバーのことはお互いによく知っているし。

 芸能活動を始めると、やっぱり知らない人とかずいぶん年上、年下の人とか、なかなか話す機会も少ないような人たちとすれ違えるのが、面白いです。これが東京とか大阪とか、最初から芸能界の中心みたいなところで始めていたら、けっこう最初から派手な舞台に連れていかれちゃったり、そういうこともあったと思うんです。あと、怖い人もいっぱいいそうじゃないですか。なんか田舎というか、ほっこりした場所から始められてよかったなあ。

Dispatch 02 につづく


安達葵紬 あだちあおぎ
1999年3月4日, 長崎県生まれ. 二人組ユニット「カノサレ」のメンバーとしての活動を中心にモデル, 舞台などで幅広く活躍している.西日本鉄道株式会社のCM「空気イス女子高生」では高い身体能力を発揮. 映画『なつやすみの巨匠』(2015), 『ファンファーレ』(2023)では, 名だたる出演者のなかにありながら独特の存在感を放っている.


VictorySportsNews編集部