カレン善隣軍
「何事も金が左右するのは、事実だろう」
つまりDKBAは、少数派のキリスト教徒が主導するカレン族の自治政府設立ではなく、同じように仏教徒が多数を占めるビルマ族との統合的な国家像を選んだのだった。しかし、いま彼が率いているのは、DKBA(カレン仏教徒軍)ではなく、まったく同じ略称を持つ反政府武装組織DKBA(カレン善隣軍)なのである。
その経緯は、彼の主張からすれば驚くには値しない。分離独立的な性格を帯びるKNLAから離脱したDKBAは、国家としてのミャンマー傘下に入り、国家への統合を拒否するKNLAと戦った。
それからほどなく、国家は〈国家における唯一の武力としての国軍〉の規定に沿い、DKBAに対して、武装警察の性質を有する国境警備隊(BGF)への編入を打診した。違法な武装勢力をいったん公的な軍事組織に吸収し、そこで給与を与えることによって、不正規兵をふたたびゲリラに戻さずに平時の生活へ軟着陸させるのは、武装解除の一般的方法論のひとつでもある。
この提案を受けて、DKBA(カレン仏教徒軍)の大部分は、BGFへの編入に同意した。そんな中、DKBAの第5連隊を中心としたグループは編入に従わず、ミャンマー国軍を攻撃、ふたたびKNLAと協力関係を構築し、反政府武装勢力に戻ったのだった。この勢力は当初、その中核部隊の名をとって「DKBA5」と呼ばれたが、現在(取材時)はカレン善隣軍(DKBA)を名乗っている。
運転資金
「国内統合の過程で、民間の武装勢力もまた、最終的に国軍に統合されることは理解している。それでも統合には、かつての敵に対する敬意が必要だ。BGFへの統合案には、若い兵士への敬意はあったが、もっとも長く戦ってきた者たち、具体的にいえば50歳を越えるベテランの兵士や将校への配慮がなかった。あったのは、言葉だけだ。言葉で飯は食えない。
だから、我々は立場を変えた。交渉のため、KNLAと協力関係を持っているが、我々が〈最高度の自治権〉を要求することはない。我々が欲しているのは、我々と、我々を支持する仏教徒のカレン族たち、それ以外のカレン族たちが今後の人生を食うに困らず、平穏に暮らすことができることだけだ。それが受け入れられるまで、我々はミャンマー政府から金を受け取らないことにした」
そんなわけで、DKBAは和平プロセス構築のために諸外国が用意した「運転資金」を受け取り、武装解除に向けた話し合いを進めている。
「金が回っている間は、戦う必要はない。もちろん状況は突然変わるから、その準備は怠らないがね」
インタビューは、休憩を挟んで2時間以上も続いた。将校が席を外したとき、取材班は彼に付き添う若者兵士に、入隊の時期を尋ねた。
「去年です」
武装解除の交渉期間中に組織を維持するための資金提供を受けるにあたっては、与えられた金を使って新兵を募ったり、武器を購入することは禁じられている。若者兵士を引き合いに出してその点を尋ねると、将校は嫌な素振りを見せ、若者兵士に退出を命じた。それから「彼は、カレン族とビルマ族の融和のために尽くすという志をもって、兵士に志願した。立派なことじゃないか」と言った。「彼について話せることは、それだけだ」とも言い、この話は終わった。
留学
そろそろ追い出されそうな雰囲気を感じたので、取材班のひとりが最後に回すと決めておいた質問を口に出した。
「あなたには家があり、奥様もいらっしゃる。今は、金銭的にも困窮していませんね」
「家族に苦労をかけた時期は短くなかったよ」
「お子さんも3人いらっしゃると聞きました」
「ふたりの息子と、娘がいる。誰から聞いたんだ?」
伝えて構わないと言われていたので、取材班はDKBAのとある〈スポンサー〉の名前を挙げ、「彼から話を聞き、一応、あなたに確認したいと思ったので尋ねました」と答えた。それから質問を続けた。
「あなたの3人のお子さんは〈難民〉ではないのに、どうして難民キャンプへ入れたのですか?」
この将校は、本来の家族情報を伏せて3人の子供を「難民キャンプ」に送り込み、難民キャンプの「自治」を牛耳る者たちと話をつけて、長男を米国、長女をカナダに送り込んでいた。そして、流暢な英語を喋る子供たちが留学先の国で集めた(寄附を含む)多額の送金を受け取っている。来年には、次男も欧州へ行くとも聞いた。
「おれだけじゃない。KNLAの幹部たちも同じことをしている。彼らにも理由を尋ねたか?」
将校は言った。
「英語を喋る傲慢な奴らがいなくなれば、この国はふたたびひとつになるだろう」
それ以上の言葉はなく、取材班は駐屯地から追い払われた。