亜範
本連載の柱のひとつである本間学とビレイ牧師の出会いは、本間が主宰する亜範の活動がもたらした出来事だ。では、亜範(あはん)――米国における非営利団体としての登録は AHAN――とは何か。
きっかけは、2001年の911同時多発テロだった。これまで記してきた通り、本間は植芝盛平と合気道によって人生の端緒を掴み、米軍とアメリカによって幸福と社会的成功を得た。差別や貧富の差など問題は数あるが、それでも、長きにわたって、本間はアメリカという社会、国際政治におけるアメリカという政治的存在に一定の信頼を置いてきたのだった。けれど、911同時多発テロはその感情の平穏に決定的な亀裂を入れた。
亜範とは「アジア的な価値観に基づいて、世界に範を示す」という、本間の新たな目標を表す言葉だ。本間は、主としてアメリカ国内でおこなってきた人道支援事業を世界各国に広げることを決めた。それが可能だったのは、合気道の弟子として本間に指導を受け、免状を授かった者たちが、世界各地に散らばっていたからだった。
モンゴル
やると決めたら、本間の行動は早い。911同時多発テロが起きたのは、2001年だ。その翌年、本間はプエルトリコ、メキシコ、ブラジル、チェコ、ポーランド、モンゴル、ネパールで、亜範の活動を開始した。
具体的に何をおこなったのか、当時のスタッフが残したモンゴルでの活動記録をもとに振り返ってみたい。
モンゴルの弟子から「マンホールチルドレン(孤児)たちのシェルターや支援施設の多くが資金難に喘いでいる」と聞いた本間は、モンゴルで合気道の指導(講習会)をおこなうとともに、まず3年間の区切りで、それらの孤児救済施設に資金援助をおこなった。その際、現地施設には定期的なレポートを求め、それらのレポートを資料として、米国や日本で広報活動を実施した。3年後、それらの施設にはスポンサー(海外の支援者)がついた。
本間が次の支援対象に選んだのは、ドイツの民間団体がモンゴル国内で設立した「子供能力開発学校」である。学校と言っても私塾のため、モンゴル政府の援助は受けられず、教科書も行き渡っていない。約70人の子供達の1カ月の予算は450ドルから500ドル。アメリカの中流家庭の子供ひとりの幼稚園費用ほどしかなかった。
本間は、モンゴルの伝統的な馬頭琴など情操教育のための楽器を購入し、寄付。モンゴル馬頭琴普及協会の協力を得て、子供たちが指導を受けられるよう調整した。加えて、米国から3台のパーソナルコンピューターを取り寄せ、電話回線の開設工事もおこなったのだった。
ビレイ
世界各地でこうした活動をおこなっていた最中、本間はビレイ牧師の存在を知ったのだった。そして2011年の7月、ふたりは出会った。本間は即座に、ビレイ牧師を支援することを決め、アメリカへ帰国。
自分の弟子や交流のある他流派の弟子たちから成る「ビレイハウス建設チーム」を率いて、ビレイ牧師のもとへ戻ってきたのは、出会いからわずか2カ月後のことだった。本間とチームは、ビレイ牧師らと共に、それから2週間の猛烈な肉体労働に励み、30人あまりの孤児たちが寝泊まりできる宿泊施設(ビレイハウス)の基礎工事と組上までを済ませたのだった。
そして12月13日、ビレイハウスは正式にオープニングを迎えた。