謎のDOMO
雪国新潟生まれの山本は雄弁な男ではない。しかし、本間の話になると、途端に彼の目は大きく見開かれる。
「外交官として世界各地に赴任すると、異国の地でたくましく生きる同胞たちに出会います。そんな幾人かについて、私はこれまでに数冊のノンフィクションを著してきました。けれど、コロラドで出会った本間さんほど波乱万丈な人生を歩んできている人は他にいません。知れば知るほど、彼の人間力の大きさと発散されるエネルギーに圧倒されるのです」
山本は分厚い原稿用紙をグイと突き出し、そして語り始めた。
在デンバー日本総領事館に赴任した山本がコロラドにやってきたのは、2005年のことだ。コロラドでの生活が1年ほど経った頃、コロラド空手界の重鎮から“コロラド武道師範会”なるものに誘われた。
その会はコロラドで活躍する空手、柔道、剣道そして合気道のそれぞれの師範格のメンバーが集まり、「DOMOレストラン」で会食を行うというものだった。「DOMOレストラン」は合気道道場の敷地にあるレストランということだった。
それまで山本は行ったことがなく、総領事館のスタッフに「どんなレストランなの?」と尋ねてみたが、皆あまり話題にしたがらない雰囲気であった。
デンバー市街外れにあるそのレストランは「合気道日本館総本部」敷地の一角にあった。表通りの黒塀正門にはかがり火が焚かれ、日本的風情を醸し出していた。
敷地の中に入ると案内の女性(東南アジア系)が待っており、「こちらです」と日本庭園に案内された。池にかかる太鼓橋を渡りながら「見事だ……」と思わず山本は呟いた。
さすが合気道の先生が作った屋敷だと思いながら進んで行くと、庭園レストランの奥に作られた大きな東屋とテーブルがあり、そこには既に4名の師範が着座しているのが見えた。幹事役の師範の方が、「山本領事、こちらへどうぞ」と、一番奥の席に招いた。
「これから始まる師範会なるものがどんなものか」と、山本は心の高ぶりを覚えながら席に着いた。テーブルには既に所狭しと居酒屋風の日本料理が並んでいる。
本間との出会い
しばらくすると、「いやぁ、皆さんお忙しいところ、ご苦労様です。お口に合うかどうか分かりませんが、いつもながらの田舎料理を用意させて頂きました。ゆっくり召し上がって下さい」
配膳用の丸いお盆を持った中年のおじさんが、愛想よく挨拶した。腰には使い古した酒屋の前掛けをしている。その風体は「居酒屋のオヤジ」にしか見えない。
だが、「本間先生、今日はお世話になります」と、幹事役の空手の師範がそのおじさんに向かって言ったのだ。「先生?」、山本は挨拶の言葉を忘れるほど驚いた。
同じ師範格でありながら、他の師範の方々に礼を尽くして、配膳に気を配りながら、師範会の会話に加わってくる。その話しぶりは東北訛りで気取りがない。言われなければ完璧な「居酒屋のオヤジ」なのである。
その居酒屋のオヤジさんがこんな事を言った。「先週バングラデシュへ行ったんですがね、いやぁ、貧しい子供たちが沢山いて、大変なところですよ、いつ行ってもあそこは」。
「本間先生は世界各国の貧しい子供達のために、ボランティア活動をしているんですよ」
怪訝な顔をしていた(のであろう)山本に対して、傍にいた柔道師範がそう説明した。「本間先生は、今回はどちらの国を回って来られたのですか?」と剣道師範が尋ねた。
「最初にモンゴルに入って、それからフィリッピンのミンダナオ、その後はネパールのカトマンズ……」
その居酒屋のオヤジ、いや本間はネパールの後バングラディッシュ、インドと回り、約1カ月の旅程をこなして帰って来たという。