オットーボック・ジャパンは、下肢切断者に走る喜びを感じてもらうことを目的とした無償のランニング教室(ランニングクリニック)の実施や今夏のパリパラリンピックで17回目となった無償の修理サービス(国籍、メーカーなどの制限なし)が評価されて受賞に至った。
そんな彼らが11月24日には神奈川・横浜市内で富士通と共催で「ランニングデー」を開催。パラリンピックの陸上男子で2大会メダリストの山本篤さん(新日本住設)と、パリパラリンピック陸上女子代表の兎澤朋美(富士通)さんがゲスト講師として出席し、下肢切断者でスポーツ義足を使用する10人の参加者に対して、走り方のコツなどをレクチャーした。
イベントにはスポーツ義足初心者からパラ陸上経験者まで、小学6年生から社会人までと幅広い年齢層の10人が参加。参加者同士の自己紹介を通じて交流を深めた後は、世界の舞台を知る山本さん、兎澤さんが、サッカーボールを使ったトレーニングや義足を効率的に使うための動きを説明した。山本さんと兎澤さんは参加者と近い距離で時には厳しく、時には優しく指導し、さらには参加者の義足の調整も手伝うなど、トップアスリートの知識や経験を惜しみなく伝授した。約4時間のイベント内では選手がこなすような本格的なプログラムもあり、参加者が汗をかきながら「これはきつい」と苦笑いを浮かべる場面もあったが、参加者同士の励まし合いなど、自然な会話や一体感を生み、参加者10人の一体感がぐっと深まった。イベント後の兎澤は「ここで会ったメンバーは何らかの縁だと思う。毎年コミュニケーションツールでグループをつくっていて、私たちも入るので、そこでいろいろと情報交換してもらうのもありだと思う。この出会いを生かしてこの先につなげてほしい」と呼びかけた。
パラスポーツへの理解度が年々高まる中で、オットーボック・ジャパンはかねてよりパラスポーツを積極的にサポート。下肢切断者を対象にしたスポーツ義足イベントを2015年から執り行ってきた。深谷香奈社長は「切断者の方たちの可能性を広げることを目的に、私たちは義肢装具メーカーとして取り組み、日常生活やより自立した生活をしていただくためのあらゆる支援をやっている。スポーツ義足イベントは、もちろんゴールではないが、これが『私たちが目指しているものだよ』という表現の1つの方法であり、私たちが目指すべき形の1つだと考えている」と意図を明かした。
日本では21年東京パラリンピックをきっかけに、パラスポーツへの認知度が一時的に上昇。ただ、東京パラリンピック後は「メディアの方などに取り上げていただく回数も減っているし、なかなか継続してパラスポーツのイベントに携わってくれる企業さんが少なくなっている」というが、富士通やアシックスらの力を借りてパラスポーツの発展に尽力している。
その功績が認められ、8回目を迎えた「HEROs AWARD 2024」に選ばれた。「今まで一緒に活動してくれた企業さんや団体さんが自分たちのことのように喜んでくれたのを見て、一緒にやってきてよかったなと思えた。30人くらいの小規模な会社なので、イベントを毎年続けていくのは大変だが、元気をもらえたので非常にありがたかった」と感謝する一方で、大きなチャンスが到来したとの見方を示す。
「一企業がたくさん取り上げていただくことは難しいが、『HEROs AWARD』に選んでいただいたことで、より違う場所でも目にしてくださる方が増えると思う。他の受賞者さんや『HEROs AWARD』に関わるさまざまな競技のトップアスリートや競技団体の方に知っていただけることにも大きな意味があるし、アスリートのファンの方などに知っていただくことで、裾野が広がると期待している」
パラリンピックは1948年にルードウィヒ・グットマン博士の提唱により、英国・ロンドン郊外の病院内で催された車いすのアーチェリーの競技会が起源。第二次次世界大戦で負傷した兵士たちのリハビリが目的だった。「スポーツはリハビリとしても社会復帰としても、1つの道であり、すばらしい手段」とメリットを口にする一方で、最大の目的は日常生活を少しでも早く取り戻すことだ。「まずは日常生活で自立を必要としている方もたくさんいるのが現実。そういった方々の自立を支えない限りは、社会復帰できる方が増えていかない。だからこそ、スポーツに限らず広い視点でユーザーさんの声を届けられるようにしたい」と展望を語った。
直近ではランニング教室だけでなく、ゴルフ教室なども企画した。他にも日常生活に基づいたさまざまなイベントを計画。そんな深谷社長は、最後に理想の社会像を教えてくれた。
「下肢を切断された方や車いすに乗っている方や、さまざまな障害がある方も暮らしやすいような環境をつくりたい。何かを失ったとしても、できる限り早く生活を取り戻せたり、自立できる環境が平等な社会だと感じている。障害のある方も暮らしやすい環境なら高齢者の方でも動きやすいし、障害がある方が自立できるような社会であれば、誰もが働きやすい環境だと思う。そういった国になってくれることが私の夢です」
イベントは同会場で行われていた小学生が対象のかけっこ教室の参加者との合同リレーで締めくくられた。スポーツ義足で走る参加者と子どもで構成された混合チームのリレー対決では、障害など関係なく、全員が同じ目的に向かって全力で走り抜ける風景が見受けられた。
東京パラリンピックを通じてパラスポーツへの理解度が深まったとはいえ、まだまだ道半ばの段階。今後もオットーボック・ジャパンは、夢に向けて精力的に活動を続けていく。