朝青龍にとっての武蔵丸

 横綱土俵入りの指導は通常、同じ一門の横綱経験者によってレクチャーされる。柏手を打ち、四股を踏んでせり上がる。見せ場を中心に伝授されるが、その他によくポイントの一つとして伝えられるのが1歩目の足だ。東西のそれぞれの徳俵付近から土俵中央に向かう際、正面側の足から踏み出す。東だと右、西は左からで、3歩で仕切り線付近に到達する。反対から踏み出すと歩数が合わないため、これまで何度か取材した横綱土俵入りの練習では、慣れないうちから1歩目について意識の徹底を図る場面が見受けられた。

 豊昇龍に土俵入りを指導したのが元横綱武蔵丸の武蔵川親方だった。元横綱朝青龍を叔父に持つ豊昇龍だけに、時代を超えた縁を想起させた。というのも、朝青龍の「思い出の一番」が武蔵丸戦だったからだ。2001年夏場所初日、新三役の朝青龍は下手投げで巨漢の横綱を見事に倒した。朝青龍は引退会見でこう明かした。「初めて三役に上がって初めて両親を招待した時だった。一番はそれしかない。誇りに思っている」。その後の飛躍に向けても自信のつく節目の白星。横綱に駆け上がって武蔵丸と東西の最高位に座った時期もあり、結果的に通算25回の優勝を重ねた。

部屋関係の妙

 武蔵川親方に教えてもらうことができた背景には、部屋関係の妙があった。立浪部屋は〝不世出〟の大横綱双葉山らを輩出した名門で、かつては自部屋の名前を冠した立浪一門(現伊勢ケ浜一門)に属していた。しかし、2012年の日本相撲協会理事選挙の際に師匠が一門外の貴乃花親方(元横綱)に投票したことで一門を離脱し、貴乃花グループ(のち一門)に加入。2018年に貴乃花一門の消滅などにより、出羽海一門に入った。

 一連の部屋の変遷は、一昔前なら想像できなかった。それが現実となって運命の糸がつながっていくのが、相撲界のロマンともいえる。武蔵川親方は自身以来となる一門の横綱に就いた豊昇龍に「長くやってほしい。毎場所、最後まで土俵を締めてほしい」とエールを送った。1月31日、明治神宮での横綱推挙式の後で初めて雲竜型をお披露目した奉納土俵入りには、元朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏もモンゴルから急きょ駆けつけた。まさに役者がそろった中での門出となった。

内規の主観性

 昇進に当たっては、番付編成を担当する相撲協会審判部内で初場所後は見送るべきとの声もあったといい、ファンの間でも賛否が渦巻いた。横審の推薦内規には成績面での項目として次のようなものがある。「2、大関で2連続優勝した力士を横綱に推薦することを原則とする。3、第2項に準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする」。優勝ということを軸に考えると、豊昇龍は内規を満たしたと扱うことができる。初場所を制し、昨年九州場所は千秋楽の相星決戦で大関琴桜に負けての13勝2敗で優勝次点。2場所連続優勝に「準ずる」、つまり「匹敵する」と判断しても不思議ではないからだ。

 議論が分かれた大部分は、内規の最初にある「1、横綱に推薦する力士は品格、力量が抜群であること」という項に絡んでのことだろう。初場所が12勝3敗、昨年九州場所は13勝2敗、ちなみに、その前の秋場所は8勝7敗。勝利数に着目すると、力量が群を抜いているかどうかを判断するのは、より主観的な要素が大きいゆえに、その時々の付帯状況やムードとも相まって意見が割れることがままある。

 25歳の豊昇龍は横審、相撲協会理事会を経て晴れて最高位を射止めた。世の中には「運も実力のうち」という言葉があり、角界の番付についての定説は「上がれるときに上がっておくことが大事」。豊昇龍はワンチャンスを生かした。昇進が時期尚早とする意見を封じ込めるには、春場所以降の相撲っぷりや言動に懸かっている。

序二段照ノ富士が語っていたこと

 豊昇龍にバトンを託す形となった照ノ富士。両膝のけがや糖尿病などで一度は大関から序二段まで落ちながら前代未聞のカムバックを果たし、横綱に上り詰めた。優勝10回の実績もさることながら、逆境でも諦めない生き様が残した影響は計り知れない。例えば元大関の朝乃山。昨年名古屋場所で左膝靱帯断裂など大けがをし、休場が続く。昨秋「中途半端な状態で出て再断裂したら取り返しがつかない。落ちるところまで落ちるけど、やるだけ」と悲壮な決意を口にした。三段目転落が確実な春場所で復帰の予定だが、照ノ富士の例があるだけに、幕内に戻っての活躍に期待が膨らむ。

 照ノ富士が「思い出の一番」に挙げたのが、長期休場から本場所に戻ってきた2019年春場所初日。西序二段48枚目で迎えた最初の取組で、復活劇の原点となった。観客もまばらな午前中の館内で、無事に白星で飾った後の支度部屋。自分で身支度を整えながら発した言葉が印象的だった。「下でいくら負けようが、体を鍛え直して幕内に上がることが大事。ちょっとずつ(調子を)上げていくが、それは今場所だけではなく1年を見ながら。人の前ではつらさを見せられない」。時間がかかっても絶対に幕内に戻る―。懸命に、そして真摯に相撲に向き合う強い信念が伝わってきた。

 勢いに乗って最初に大関に上がるまでは、本人いわく「イケイケ」。序二段からよみがえると、一歩ずつ鍛錬を積んで第73代横綱となった。満身創痍の中、最後の優勝は昨年名古屋場所。今回の初場所では4日目に2敗目を喫し、潔く伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に引退を申し出た。無用な言い訳をしなかった横綱としての立ち振る舞いは豊昇龍、そしてこれから出世を夢見る全力士のお手本になるに違いない。


高村収

1973年生まれ、山口県出身。1996年から共同通信のスポーツ記者として、大相撲やゴルフ、五輪競技などを中心に取材。2015年にデスクとなり、より幅広くスポーツ報道に従事