クルーザー級のジェーク・ポール(米国)は著名なユーチューバー出身と異色で、昨年に当時58歳のマイク・タイソン(米国)に判定勝ちしたことで知られる。相手は30勝(28KO)1分けの世界ボクシング協会(WBA)ライト級王者、ジャーボンテイ・デービス(米国)。特異な言動、あるいは高いKO率で絶大な人気を誇る両者の激突は空想の世界で語られてきたが、いよいよ現実のものになりそうだ。世界中の注目を集めるのは必至だが、巨大マネーを生む動画配信サービスが関わり、階級別で争われる競技の原則を度外視するマッチメークは大きな波紋を広げている。また、デービスは日本関連の出来事もあり、最近は勢いに陰りが見える。抜群のセンスと野性味を併せ持つスターは、この一戦からどこへ進んでいくのか。
色物的存在とホンモノ
ポールは身長185㌢の28歳。50戦全勝のフロイド・メイウェザー氏(米国)と対面した際、かぶっていた帽子を奪って激怒させるなど過激さが話題を呼び、インスタグラムのフォロワーは2800万超、Xが約470万に上る。ボクサーとしては色物的な存在。12勝(7KO)1敗でも、まともな相手が少ないと批判されている。ただソーシャルメディアを活用する手法で常に注目を浴びてきた。ハイライトのタイソン戦は1ラウンド2分の8回戦という変則試合。ネットフリックスで1億800万人の視聴者を呼び込み、ポールは4000万㌦(約59億円)を得たとされる。
地力向上もうかがわせる。今年6月にクルーザー級でフリオ・セサル・チャベス・ジュニア(メキシコ)に10回判定勝ちすると、WBA同級14位にランクイン。世界タイトル挑戦の権利を手にするまでになった。ネットフリックスが3億人以上の視聴者数を見込むデービス戦に向けてこう意気込んでいる。「自分のモットーは、いつ、どこでも、誰とでも闘うことだ」。強気でXに記した。
「タンク(戦車)」の愛称で親しまれるデービスは身長166㌢の30歳。世界3階級制覇を成し遂げており、いわゆる〝ホンモノ〟の王者だ。かつて自動車でひき逃げ事件を起こすなど素行の悪さも目につくが、ひとたびリングに上がれば強烈なパンチで相手を倒すスタイルがファンの心をわしづかみ。サウスポーで左から繰り出す強打を武器にする。特に2020年10月にメキシコ生まれのレオ・サンタクルスを一発で沈めた左アッパー、2022年5月の無敗対決でローランド・ロメロ(米国)を一撃で倒した左フックは印象深い。
階級の制限体重差は約30㌔も開き「エキシビションマッチ」と表現する海外メディアもある。試合時の体重差がどれほど縮まるかは未知数。それでも当て勘のいいデービスの左がポールにまともに当たると倒せるのではないか―?ファンの間に興味が渦巻いているのは確か。試合のプロモーターは「ともにZ世代やアルファ世代に刺さる選手。この対決で次世代の〝ボクシング界の顔〟が決まる」とあおり立てる。
興味本位先走りの危うさ
ともに巨額のファイトマネーを稼ぎ出しているボクサー同士だけに、カード実現の下支えには潤沢な資金を操る動画配信サービスの存在がある。今回はネットフリックス。同社は9月13日に米ラスベガスで開催されるメガファイト、世界スーパーミドル級主要4団体統一王者のサウル・アルバレス(メキシコ)と41戦全勝(31KO)のテレンス・クロフォード(米国)の一戦も配信し、ボクシング界でも存在感を増している。テレビ局では予算的に放映権料をまかない切れず、動画配信サービスが独占配信などでビッグイベントを後押しする現象はスポーツ界全体に広がっている。
例えばボクシングで世界スーパーバンタム級4団体統一王者、井上尚弥(大橋)の試合は9月14日の防衛戦(IGアリーナ)を含め、NTTドコモの映像配信サービス「Lemino」による独占配信がおなじみ。サッカーの2022年ワールドカップ(W杯)アジア最終予選で、日本代表のアウェー戦がDAZN(ダゾーン)でのみ中継されたのは記憶に新しい。日本が本大会出場を決めたシドニーでのオーストラリア戦が地上波で扱われず、世間を騒がせた。8月25日にはネットフリックスが来年3月に行われるワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本での独占放送権を獲得したと発表した。動画配信サービスへの傾倒は、放映権料などが高騰する人気スポーツでは自然の流れと捉えられる。
ボクシングでは、不可能と思われたカードの実現はファンにとっては喜ばしいし、業界にとっても注目度アップで大きなメリットを享受できる。しかし、今回のポール―デービスは興味本位の面が先走りすぎ、競技の本質を失ってしまう危険性がある。ボクシングは安全面からも、数百㌘単位で階級が細分化されている。〝スイートサイエンス〟の異名を取るように、鍛え上げた肉体と研ぎ澄まされた技術を駆使し、同程度の体重で攻防を展開するのが本来の姿。デービスに敗れた経験があるライアン・ガルシア(米国)は世界最大のプロレス団体を引き合いに「ボクシングはWWEになってしまった」とXで批判した。何事も進取の精神は大切だが、目新しさや過激さを追求するあまり、競技の根幹を失ってしまっては元も子もない。
却下された誕生日旅行
それにしても、ここ最近のデービスは精彩を欠いている。昨年6月にフランク・マーティン(米国)にKO勝ちしてタイトルを防衛するまでは良かった。けちのつき始めは日本と関連があった。故郷ボルティモアのメディアによると、昨秋、日本への旅行を裁判所に却下されたのだ。2020年のひき逃げ事件の影響で観察下に置かれており、国外へ行くにも裁判所の承認が必要だった。デービスの代理人は却下される前、次のように説明していた。「デービス氏は日本滞在中、浅草寺や明治神宮、渋谷の交差点、広島などを訪れ、日本文化を体験して素晴らしい日本食に触れることを希望している」。2021年12月の試合では、トランクスの腰部分に「SAITAMA 犬」との文字をあしらったことがあるなど、日本文化へ興味を抱いていることがうかがえる。申請の際には直筆の書簡をしたため「どうか私のお願いを承認してください」と裁判所へ訴えていた。しかし、自身の30歳の誕生日に合わせて計画していた11月の旅行の許可は得られなかった。落胆は想像に難くない。
その翌月には、報道陣に「このスポーツはゴミ。うんざりだ。大金を稼いで抜け出すことにする」と口にしたといい、2025年で引退するとも発言した。今年3月には格下と目されたラモント・ローチ(米国)戦でプロ初の引き分けに終わって連勝ストップ。おまけに9回に自ら膝をついてコーナーに戻った動作が物議を醸した。ダウンにカウントされず、こう釈明した。「髪に付いていたグリースが目に入り、燃えるような感じになったんだ」。この試合後、米専門誌「ザ・リング」による全階級を通じた最強ランキング「パウンド・フォー・パウンド」でトップ10から脱落した。
ローチとの再戦が8月中旬に噂される中、7月にはドメスティックバイオレンスの容疑で警察に逮捕された。事案はその後取り下げられたが、ローチとの再戦は実現せず、代わりにポール戦が組まれた。若い頃からセンセーションを巻き起こしてきたが、ここに来て競技への情熱が下火になっている気配もある。前代未聞のポール戦は言葉通り、金儲けだけのためなのか。今後の人生の分岐点になる可能性すらある。