東京ドームでボクシングのイベントが開催されるのは、今回が4度目。タイソンが2度、そして井上も2度目である。井上の大橋秀行・大橋ジム会長は今後もドーム興行に興味を示している。そうなると井上が3度目の主役を張ることが想像されるが、ゆくゆくは新たなスター誕生にも期待したい。
さて、東京ドーム初のボクシングは1988年3月21日に行われた。オープンしたばかりのドームのこけら落としに、WBA(世界ボクシング協会)、WBC(世界ボクシング評議会)、IBF(国際ボクシング連盟)統一ヘビー級チャンピオンのタイソンの防衛戦が企画された。タイソンの人気ぶりは日本でもすさまじく、試合を放送した日本テレビは祝日のお昼という時間帯で平均28・8パーセントの高視聴率をマークした。
1988年、ドームの原風景。354秒で終わったタイソン・フィーバー
その日は内外のVIPが来場していた。モハメド・アリ、シュガー・レイ・レナード、アレクシス・アルゲリョらリングのスーパースター。白井義男、輪島功一、具志堅用高ら日本の元世界チャンピオンたちももちろん集まった。ボクシング以外から三船敏郎、上原謙、ジャイアント馬場、江川卓……5万1000人観衆注視のなか始まった試合は正味354秒で終わった。タイソンのダイナマイトパンチをくらった元王者トニー・タッブスは2ラウンドともたなかったのだ。
試合は呆気なく終わったが、タイソンはこの一戦に備えて約1ヵ月も日本に滞在しており、一挙手一投足がメディアに報じられた。まさにタイソン・フィーバーと言うべき現象だった。
評判の強さを存分に見せつけ、大成功に終わったタイソン興行。地球上で最も強い男は2年後再び東京ドームに来襲した。二番煎じという言葉があるように、2度目が最初の時ほど関心を集めるのは簡単ではない。しかも前回は完成したばかりの日本初の屋根付き球場見たさのファンも多かった。それでも結果的に、日本最多となる観客が入った。
この日もリングサイドは華やかだった。当時は不動産王だったドナルド・トランプがおり、横綱千代の富士もいた。この4日前に世界チャンピオンになった若き日の大橋秀行の姿もあった。大橋は日本人挑戦者の世界戦連敗記録をストップした新ヒーローだった。
試合が始まるまでは、王者タイソンが挑戦者のジェームス“バスター”ダグラスを何ラウンドで仕留めるかに興味が集中していたが、いざゴングが鳴ると、精彩を欠くタイソンがダグラスのワンツー、右ストレートに苦戦。ダグラスの攻勢に追われ、自らクリンチに行く場面もあった。それでも8ラウンドに右アッパーでダウンを奪い、豪腕の威力を示したが、この絶好機もロングカウントでフイに。そして10ラウンド、ダグラスのコンビネーションから右アッパーを食らったタイソンは顔を跳ね上げられ、さらに右、とどめの左ストレートでキャンバスに沈んでいった。
口からこぼれたマウスピースを拾ってかろうじて立ち上がったが、そのとき主審のカウントはテンに達していた。5万1600人はタイソンの無敵神話崩壊という歴史の目撃者となった。
モンスターに死角なし。ドームの魔物を払拭する「絶対王者」の矜持
世界にショックを与えた一戦はいまも世紀の番狂わせとして語り継がれている。このインパクトが強いため、前回の井上−ネリ戦でも「何かが起きる東京ドーム戦」は一つのジンクスに数えられたほど。実際、井上はネリの左でキャリア初のダウンを喫したが、今回の中谷戦を前にあらためて聞かれると、「別にドームだからとかは関係ない」と断言した。あれはネリが自分をダウンさせる一撃を当てたにすぎず、その意味では東京ドームとは別の会場でも起こりえたものだと説明した。このあたりの冷静さを見るにつけ、モンスターに隙はなさそうだが——。