魅力あふれる若きMVP
一番の衝撃は高校2年生がもたらした。男子400メートル障害。京都・洛南高に通う後藤大樹が最終日の14日に行われた決勝で48秒09をマークし、2位に0秒75の差をつけて快勝した。前日の予選では1996年に為末大がマークした日本高校記録を更新していた。30年ぶりに時計の針を動かした翌日、さらに高校新、U20(20歳未満)日本新記録を樹立するだけではなく、今大会より低いハードルで競われるU18(18歳未満)の世界最高記録をも上回った。男子の大会最優秀選手に選ばれたのも当然だった。
千葉県出身で小学3年から陸上競技を始めた17歳。400メートル障害は高校入学後に本格的に取り組み始め、潜在能力が早々に開花。昨年の全国高校総体を1年生ながら大会新で制した。今年1月に語っていた目標は「今年は高校記録(49秒09)を出したい」。当初のターゲットより1秒も速く走った決勝は圧巻だった。隣のレーンの黒川和樹(住友電工)が序盤から飛ばしても慌てない。徐々に追い上げると最後の直線で一気に加速するように抜き去った。後になって「夢を見ているような気持ち」と述懐した。レベルは違うが、想起されるシーンがあった。2021年東京五輪。日本でも知名度のあるカルステン・ワーホルム(ノルウェー)が45秒94の驚異的な世界新を打ち立てた。後藤の終盤での力強い伸びに、その場面が少し頭をよぎった。
丸刈りの風貌ではつらつとした印象を与え、メディアとの受け答えは自然かつユニークで人心を掌握するタイプ。15日には早速、アジア大会内定選手の記者会見に呼ばれた。アジア大会に向け「やるからには一番上を目指して、自分自身も楽しめたらいいなと思っています。人を楽しませるエンタメ性を秘めた選手になるので、会場にいっぱい来てもらえたらうれしいです」。まさに怖いものなしの王者が現れた。
試行錯誤に差し込んだ光明
大会前から関心の的だったのが女子やり投げの北口榛花(JAL)だ。言わずと知れた2023年世界選手権覇者、そして2024年パリ五輪金メダリスト。67メートル38の日本記録保持者でもある。しかし昨年の世界選手権東京大会では右肘の故障もあって予選落ちに終わった。今年に入っても5月中旬のセイコー・ゴールデングランプリは60メートル36の5位。同下旬に中国の福建省で行われた世界最高峰シリーズ、ダイヤモンドリーグ(DL)第2戦は60メートル08で7位と本調子から遠ざかっていた。
しかし、日本選手権で復調気配が漂ってきた。5投目。見直しているフォームから、倒れ込みながら渾身の投てき。やりが62メートル86の地点に突き刺さるとスタジアムには大きな歓声が湧き起こった。北口自身も両手を広げながら跳びはねて笑み。この記録で逃げ切った。もちろん、自己ベストなどを考えると本来の記録ではない。それでも日本一を決める舞台で優勝してアジア大会への切符を手にした結果自体、今の北口にとって前向きな材料。「少しいい兆しが見えてきました」と一定の納得感を示した。
今季からコーチが変わった。さらなる高みを狙い、男子の世界記録を持つチェコのレジェンド、ヤン・ゼレズニー氏に師事し始めた。今は試行錯誤の段階といえる。ただアジアに目を向けると、強敵が出現した。北口が7位に終わったDL第2戦で、71メートル74のビッグスローを披露した中国の厳子怡(げん・しい)。18歳になったばかりで世界歴代2位、アジア新記録をマークした。今後2人が同じ大会に出場する場合、これまでより高次元の争いが期待される。北口は来年の世界選手権北京大会をも視野に入れながら「彼女に食らいつける準備をしなければいけないなと思う」とコメント。一歩ずつ完全復活への道を歩む五輪女王から、目が離せない。
箱根駅伝を超えた感覚
日本陸上界は今、熱視線を浴びている。昨年、世界選手権東京大会が大盛況に終わったり、100メートル走を題材にしたアニメ映画「ひゃくえむ。」が大きな話題を呼んだりと、強い追い風が吹いている。日本陸連によると、今回の日本選手権の来場者数は3日間合計で5万5598人。前回比で1万4000人以上も増えた。初日は平日の金曜日だったにもかかわらず1万3000人近く集まり、2日目の土曜日は2万5000人以上の大観衆で埋まった。
例えば、アジア大会男子1万メートル代表の鈴木芽吹(トヨタ自動車)の言葉が象徴的だ。鈴木は駒大時代、東京箱根間往復大学駅伝に4年連続で出場し、1年と3年の時に総合優勝に貢献した。正月の風物詩で強豪校の主力を担ってきた25歳の鈴木は日本選手権で1500メートルに参戦した。肌で感じた雰囲気をこう表現した。「箱根駅伝を走って、その時に『これ以上の歓声を受けながら走ることは今後ないんだろうな』と思っていたんですけど、昨年の世界選手権だったり、今回の日本選手権だったり、僕の感覚としては箱根駅伝を超えるような声援を受けられました」。トラックとロードの違いはあるにせよ、両方の舞台の経験者にしか分からない世界で、説得力を持つ。
今大会の主役、後藤も次のように実感を込めた。「日本選手権でもほぼ満席近く埋まっているシーンもあって、それを見てすごくテンションが上がって『やってやるぞ』という気持ちになりました。応援の力ってすごい」。快進撃の原動力になったという。アジア大会はよく〝オリンピックのアジア版〟と称される。実施競技は夏季五輪を上回る43。作家の三島由紀夫は生前、著書にこう記した。「陸上競技はオリンピックのもっともオリンピック的なものであろう」。五輪同様の総合大会で主幹競技が高い注目度をキープしていけば、アジア大会全体への波及効果は計り知れない。