トランプ大統領の直電と委員長の独断
米国代表FWフォラリン・バログンへの処分変更を巡る一件、そして準々決勝のフランス対モロッコ戦にアルゼンチン人審判団を割り当てた人事。さらには準決勝のスペイン対フランス戦においては、日本の中村敬斗に対して試合進行中にソックスを替えさせる指示を出して批判を浴びた主審を割り当てた件。いずれも規則違反と断定されているわけではない。しかし、「なぜそう判断したのか」という説明不足が、不信感を大きくしている。スポーツにおいて最も重要なのは公平性への信頼だ。その信頼が揺らぎ始めていることこそ、FIFAにとって最大の問題なのかもしれない。FIFAは大会を拡大した一方で、果たしてガバナンスは追いついているのだろうか?
今大会で最も波紋を呼んだのは米国代表FWバログンのケースだった。バログンは決勝トーナメント1回戦(ラウンド32)のボスニア・ヘルツェゴビナ戦で危険なプレーによってレッドカードを受けて退場となり、自動的に1試合の出場停止となるはずだった。しかしFIFAは規律委員会の裁量により、その出場停止処分の執行を1年間猶予すると決定。ベルギーとの決勝トーナメント1回戦への出場を認めた。ところが、その理由について十分な説明は示されなかった。さらにドナルド・トランプ米大統領がジャンニ・インファンティーノFIFA会長へ電話をかけ、処分見直しを求めていたことまで明らかになった。インファンティーノ会長は声明で「FIFAの司法機関は独立しており、自分は決定に関与していない」と強調した一方、「トランプ大統領から電話を受けた」こと自体は認めている。もちろん、政治的な働きかけが処分変更につながった証拠はない。しかし、タイミングが重なったことで「本当に独立しているのか」という疑念を生んだ。また、処分保留の裁定が発表されてから数日後の7月6日には、FIFAの規律委員会が「すべての具体的な状況と証拠を考慮して決められた」とする声明を発表したが、そこからさらに1週間後にはフランスのレキップ紙やイギリスのサンデー・タイムズ紙が、バログンの処分を変更する決定は、FIFA規律委員会の委員長が単独で行ったもので、他の17人のメンバーは相談を受けなかったと報じている。これが事実ならば、公正な議論を経ての決定なのか、プロセスに疑念が生じるのは否めない。さらには、ラウンド16のメキシコ戦でレッドカードを受けて退場処分となったイングランドDFジャレル・クアンサーにはFIFAから2試合出場停止処分の決定が下され、クアンサーは準々決勝のノルウェー戦、準決勝のアルゼンチン戦でベンチ外。このことからもバログンへの処分保留は一貫性を欠いた裁定であるという指摘が引きも切らない。
テクノロジーという盾の後ろで説明責任を放棄するFIFA
準々決勝イングランド対ノルウェー戦では、ノルウェーGKのロングボールが空中で急激に軌道を変え、「スパイダーカメラのワイヤーに当たった」ように見えた。競技規則では、ボールが吊り下げ設備に接触した場合はドロップボールとなる。ところがこの時はプレーが止まらず、その流れからイングランドのFWジュード・ベリンガムが、この試合を振り出しに戻すゴールを決めた。ノルウェーは猛抗議した。FIFAは後日、「コネクテッドボールのセンサーには接触記録がない」として判定を支持したが、映像を見る限り当たっているようにも見えるため、「映像とセンサーのどちらを信じるのか」という新たな議論が起きた。ワイヤー問題だけではない。VAR・センサー技術への不信も募った。今大会ではVARが介入しない場面、微妙なオフサイド判定、Connected Ball Technology、などについて説明不足との声が多く挙がっている。技術そのものより、なぜその判定になったかを十分説明しない運用が批判されているのだ。W杯は世界で最も注目されるスポーツイベントである。だからこそ、勝敗だけでなく大会運営にも世界中の視線が注がれる。公平であると誰もが納得できて初めて、「世界最高峰」の大会は真の価値を持つ。
48カ国化で露呈した『笛の質』の低下
もう一つ大きな議論となったのが各試合における審判団の人選だ。
準々決勝フランス対モロッコ戦では、主審を含む審判団がアルゼンチン国籍で構成されたことが各国メディアで取り上げられた。アルゼンチンは勝ち残っており、将来的にフランス、あるいはモロッコと対戦する可能性が残されていた。FIFAの規則上、この任命が禁止されているわけではない。それでも「より疑念を招かない人選はできなかったのか」という声が挙がるのは自然だろう。このケース以外にも審判アサインの問題が不信感を膨らませている。準決勝のスペイン対フランス戦では、日本のグループリーグ第3戦スウェーデン戦で主審を務め、日本が後半11分に前田大然のゴールで先制した直後に、中村に対して短いソックスを替えるように指示を出したエルサルバドル人のイバン・バートン氏が主審を務めた。日本サッカー協会の宮本恒靖会長から公式の場で苦言を呈されているバートン氏は、スペイン対フランス戦の前半にあったスペインのFKの場面でバニシングスプレーを忘れる粗相。また、スペインFWラミン・ヤマルが飛び込んで倒れた場面でフランスDFにファウルを宣告してスペインにPKを与えたジャッジは、主審としての能力不足ではないかと批判された。FIFAは48か国大会となって試合数が32カ国開催時よりも大幅に増えた(64試合から104試合へ増加)ため、従来以上に多くの審判を起用している。しかし、選考基準、評価方法、なぜ重要試合を担当したのかなどがほとんど説明されておらず、「公平なのか」という疑問が残っている。審判に必要なのは公平であることだけではない。公平であると誰もが信じられることも、同じくらい重要だ。だからこそ、運営側には説明責任がある。処分基準はなぜ変わったのか。なぜその審判団だったのか。透明性の高い説明があれば、多くの疑念は最初から生まれなかったかもしれない。
『夢の門戸』という名の過酷なマネーゲーム
FIFAのインファンティーノ会長は次回2030年大会で64チーム参加案を出している。これは1930年にウルグアイで第1回ワールドカップが開催されてからちょうど100周年という特別な節目であることが理由とされている。だが、サッカー界では賛否というよりも、反対や懸念の声が優勢だ。48チーム大会で露呈した課題が解決されないまま、さらに64チームへ拡大することには疑問がある。これまでの32チーム大会では64試合だったものが、今回の48チーム大会からは104試合に増加し、ここからさらに64チーム大会が開催されるとなると、大会方式によっては試合数が130試合を超える可能性がある。そもそも今大会は 1998年から7大会続いた32カ国から48カ国へと出場国を1.5倍に増やしたことが批判されていた。大会の価値が下がるとか、各大陸予選の緊張感が損なわれるとか、指摘されている点は複数あるが、中でもハッキリしていたのは運営負荷の大幅な増大だ。試合数は104試合となり、審判、VAR、規律委員会、競技運営、ボランティアなどすべての負担が急増した。その結果、審判レベルのばらつきやジャッジに関する説明の不足、判断の一貫性欠如が目立つようになったという指摘が相次いだ。また、試合数のさらなる増加に伴い、選手の疲労は限界を超える可能性も出てくる。近年はFIFPRO(国際プロサッカー選手会)も、「試合数はすでに限界」と警鐘を鳴らしており、質を維持できるかは大きな疑問だ。それに、試合数だけでなく、会場不足や警備体制、ボランティア、VAR運営、審判確保といった運営コストは飛躍的に増加する。さらに、出場国の実力差がさらに拡大することも否めない。一方的な試合が増え、大量得点試合が増えそうだ。新興国が経験を積む意義はあるが、競技レベルとのバランスが問われるだろう。これらの理由からも、規模の拡大にはそれに見合う説明責任や統治体制の強化が不可欠だという議論につながるはずだ。
ワールドカップの門戸を広げることは、多くの国に夢を与えるという点で意義がある。一方で、2026年大会では判定や規律処分、運営の透明性など、拡大大会ならではの課題も浮き彫りになった。64チーム化を議論するのであれば、まず問われるべきは「大会をどれだけ大きくするか」ではなく、「これだけ大きくなった大会を公平かつ円滑に運営できるのか」という点ではないだろうか。そうした土台への信頼なくして、さらなる拡大への理解を得ることは容易ではないだろう。