文=池田敏明

ラグビーの国内最年長記録は43歳2日

 Jリーグでの史上最年長出場記録保持者は、言わずと知れた“キング・カズ”こと三浦知良(横浜FC)。50歳14日での最年長出場記録と得点記録を保持している。また、カズとともに日本サッカー界を牽引した中山雅史は、2012年に一度、引退を表明するも、15年に当時JFL所属だったアスルクラロ沼津で現役復帰。公式戦出場は果たしていないが、昨年のJFLで沼津が3位となり、J3昇格を果たし、中山との契約も更新したことで、49歳にして再びJリーグ選手に。日本中を熱狂させた“ゴンゴール”の復活に期待がかかる。

 Jリーグではカズが異次元の存在として君臨しているが、日本国内の他競技で長く現役を続けた選手は誰なのだろうか。プロ、あるいはそれに準ずるトップカテゴリーでの史上最年長選手を見てみよう。

 まずはプロ野球(NPB)だが、これはご存知の方も多いはず。“球界のレジェンド”こと、山本昌投手(中日ドラゴンズ)だ。日大藤沢高校からドラフト5位で中日に入団してから、29年間という長期にわたって現役生活を送り、通算219勝を挙げた。15年10月7日、広島カープ戦に先発登板して50歳57日という最年長出場記録を打ち立てた。ちなみに、山本はセ・リーグの投手であるため試合で打席に立つこともあり、13年8月28日には48歳11日という史上最年長での安打、打点記録も樹立している。

 ラグビーのジャパンラグビートップリーグでは、昨年12月18日のNTTコミュニケーションズ戦で、松園正隆(宗像サニックスブルース)が試合後半の残り10分という場面でフィールドに立ち、43歳2日という最年長出場記録を打ち立てた。従来の記録は松田努(東芝)が12年に打ち立てた41歳9カ月5日を大きく更新した。松園は記録更新を昨シーズンの自身の目標としており、達成を受けて今年3月、現役引退を発表した。

チームが西日本社会人Bリーグに属していた1996年から、21年間在籍したPR/HO松園正隆が引退。“マサさん”の愛称で親しまれたレジェンドは、43歳の誕生日から2日後の2016年12月18日、宮崎県でおこなわれたNTTコミュニケーションズ戦でトップリーグ最年長出場記録を更新していた。キャプテンも務め、トップリーグ出場は通算93試合、地域リーグを含めるとブルース公式戦出場数は158を数えた。
トップリーグ最年長出場記録保持者の松園正隆が引退… サニックス9選手退団|NEWS|RUGBY REPUBLIC(ラグビー共和国)

ハードな格闘技でも“レジェンド”が

 日本の国技である大相撲ではどうだろうか。江戸時代初期からという長い伝統を誇るだけに、遡っていけば想像を絶するような力士も存在しそうだが、記録が残っている中での最高齢は江戸時代の1700年代後半に活躍した宮城野錦之助で、52歳の時に現役最後の土俵に上がったとされている。最高位は関脇で、引退から2年後に54歳でこの世を去った。また、明治時代に活躍した鬼ヶ谷才治も51歳まで土俵に上がり続けた力士であり、最高位は小結だった。
 
 “平成の大横綱”と言われた貴乃花は30歳で、そのライバルであった曙も31歳で引退した。現在とは場所数も取り組みの数も違うため、単純な比較はできないが、宮城野、鬼ヶ谷とも、驚異的なキャリアを歩んだと言える。

 その大相撲からプロレス界に転身したグレート小鹿は、日本のプロレス界における最高齢レスラーとして、今なお現役生活を送っている。小鹿は1942年4月28日生まれで、現在74歳。大日本プロレスという団体の会長を務めており、『軍艦マーチ』に乗って登場しては、孫のような年齢のレスラーたちとのファイトを繰り広げている。15年7月には横浜ショッピングストリート6人タッグ王座を獲得し、日本最高齢でのタイトルホルダーにもなった。さすがに動きはスローモー(スローモーション)だが、この高齢になってもプロレスを成立させるのは見事だ。

 年齢に抗い、現役にこだわって長い競技生活を送るアスリートはどの世界にも存在する。彼らは現役生活を続けるために誰よりもストイックな生活を送り、体のケアを行い、若い選手のパワーやスピードに負けない新たな武器を模索しつつ、トップレベルを維持している。彼らのようにいつまでも戦い続ける大ベテランの存在があるからこそ、他の選手は向上心を忘れることなくプレーすることができるのではないだろうか。


池田敏明

大学院でインカ帝国史を専攻していたが、”師匠” の敷いたレールに果てしない魅力を感じ転身。専門誌で編集を務めた後にフリーランスとなり、ライター、エディター、スベイ ン語の通訳&翻訳家、カメラマンと幅広くこなす。