2012年2月24日、高校生で史上2人目となるA代表招集
ロシアW杯アジア最終予選の3月シリーズで、久保は強烈な輝きを放った。海外メディアは『スシ・ボンバー』と名付け、彼の所属するヘントがあるベルギー国内だけではなく、フランスやアメリカでも、久保の活躍は取り上げられた。当然、日本国内でも、世代交代の旗手として日本サッカー界の期待を一身に背負う存在になった。
一体、彼は何者なのか。そして、なぜ早々に日本代表にフィットできたのか。その答えの一端は、これまでの久保の軌跡を辿れば見えてくる。
11年、高校3年生の久保は、京都U-18に所属していた。Jリーグでは、原則としてトップチーム、サテライトチームに登録された選手のみが、試合に出場できる。ただし例外として同一クラブの下部組織に登録された選手は、所定の手続きを経て、「2種登録」選手としてトップチームが戦うJリーグの公式戦に出場できるようになるのだ。その能力が評価されていた久保は、この「2種登録」制を使って、2011シーズンの第8節のファジアーノ岡山戦でセンターフォワードとして先発起用され、トップチーム初出場を果たす。そしてデビュー戦で、いきなりゴールを奪った。華々しい一歩目を飾ると、そのシーズンは30試合に出場して10得点を記録。その活躍が評価されると、翌12年2月には97年に当時・清水ユースに所属していた市川大祐以来となる高校生でA代表に選出された。
当時の京都は大木武(現J2岐阜監督)が指揮を執っていた。大木は、狭いスペースをパスで繋ぎ、相手ゴールに迫る独特のサッカーを展開する。その中でも久保は、持ち味のダイナミズムを失わず、かつ監督の求めるサッカーにも順応していった。
世界中にスカウト網を張り巡らす欧州のクラブが、久保の存在に気付くのも早かった。トップチーム昇格1年目、実質プロ2年目の12年7月には、スイスのヤングボーイズが久保の保有権を獲得。ヤングボーイズは久保に経験を積ませるため、そのまま京都に期限付き移籍させるという形を取った。大きな期待を集めていた久保だが、そのシーズンはわずか1ゴールに終わり、シーズン終盤には定位置を失っていった。ゴールという結果は残せなかったが、「スペースのない中でパスを繋ぐためには、早い判断と技術が必要になるし、確実に上手くなった」と久保は、この時期を振り返っている。実際に、彼の『ボールを止める、ボールを蹴る、走る』という基礎技術は、この最も苦しかった時期にブラッシュアップされたと言える。
2013年6月18日、スイス1部・ヤングボーイズに移籍
©Getty Images 翌13年、日本で半年ほどプレーした久保は16試合で7得点を挙げる活躍を見せると、欧州のシーズンが始まる7月に、満を持してヤングボーイズに移籍する。当時、チームには元スウェーデン代表FWゲルントと新進気鋭のスイス人FWフライという2人のストライカーがいた。そのため、久保は主に〝ジョーカー〟として試合終盤に起用されることになる。求められるのは得点のみ。加入1年目は、34試合に出場したがスタメン出場は7度。その中で7得点を挙げたが、そのうち5得点を途中出場してから挙げている。「ここではゴールしか認めてくれない。『シュートを打つな』と言われていても、入ってしまえばOKという世界」。海外リーグで生き残っていくためには得点という結果が何よりも重要だと認識を強くしていった。
14-15シーズンの開幕を前に、ヤングボーイズには元フランス代表FWオアロが加入した。1メートル91センチの大型ストライカーで、決定力の高さにも定評があった。ここでクラブのサッカーの方針が変わる。まずはオアロの高さを活かすサッカーを志向するようになったのだ。スイス移籍2年目の久保は、その方針転換に順応して見せる。トップ下のポジションでスタメン出場の機会を増やしていき、クラブでの地位を確立していた。トップ下として求められる仕事は〝オアロの衛星〟。オアロの動きを見ながらフォローする役回りを与えられたことで、前シーズンのようにゴールに迫ることはできず、27試合5得点という結果に終わった。
シーズンオフの15年6月、大阪府内のトレーニング場で久保は「もっとフリーランニングの質を高めないと」と、課題を口にしている。16日のシンガポール戦で、日本代表のW杯アジア予選がスタートしたが、久保はそこに見向きもせず、自分の動き方を改善することに集中していた。
2016年リオ五輪は、チーム事情により出場かなわず。
©Getty Images 15-16シーズン、久保はヤングボーイズで完全に定位置を掴む。裏のスペースへ抜け出す動きはチームの大きな武器となり、オアロとのコンビネーションも成熟の時を迎えた。この当時、久保の最大のモチベーションは16年1月に開催されるリオ五輪予選アジア最終予選だった。
五輪出場が危ぶまれた世代。その救世主として久保は期待されたが、手倉森誠監督から与えられたタスクは得点力に加え、キープ力とポストプレー。チーム内にはスピードがウリの浅野拓磨や鈴木武蔵がいた。その選手たちのアジリティーを活かすためにも最前線の久保が、ボールを収める必要があった。そして五輪最終予選では全6試合出場し3得点を記録。チームは五輪出場権を獲得しただけではなく、アジア王者にも輝いた。
16年8月に行われるリオ五輪本戦での活躍にも期待がかかったが、久保はチーム事情により出場が叶わなかった。ウリ・フォルテ監督は「周囲とのコンビネーションを作れる」と久保を重宝していた。久保自身が主力選手に成長していたことに加え、クラブ内に負傷者が続出するという逆風も吹いた。年齢制限のある世界大会への出場が叶わなかったが、久保はモチベーションを落とさずに、クラブの期待に応えてゴールを量産し続けた。このスイス4年目のシーズン、久保は積極的なドリブル突破も意識していた。スイス杯バツェンハイト戦では2人のDFを抜き去り、左足でゴール。さらに右足で直接FKを叩き込むと、最後は頭で押し込むという〝パーフェクトハットトリック〟を成し遂げた。そして同年11月、ついにヴァイッド・ハリルホジッチ監督から声が掛かる。それまでに久保は、公式戦25試合12得点とハイペースでゴールを奪い続けていた。
2016年11月15日、ハリルホジッチによってA代表スタメンに抜擢
16年11月15日に行われたW杯アジア最終予選サウジアラビア戦で、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は、周囲の「まだ早い」という制止を振り切ってFW久保裕也のスタメン起用を決断する。圧巻のポストプレーを見せる大迫勇也、攻守にハードワークできてドリブル突破が持ち味の原口元気とともに3トップを形成した。その際、ハリルホジッチ監督が久保に要求したのは一点。「裏のスペースに抜けろ」だった。前半早々に右ヒザを負傷し、45分間だけで交代せざるを得なかったが、監督の要求どおりにMF長谷部誠のロングフィードを最終ラインの裏に抜け出して受ける場面もあり、ポジティブな印象は残した。
同時にこの試合で、久保は大きな発見をしていた。自身と交代で出場した本田圭佑が絶妙なポジショニングとボールの受け方を見せ、チームの2点目の起点になった場面だ。「あのプレーは上手かった。これからに活かしたい」。自身も実際にプレーしたピッチで結果を出す背番号4のプレーを目の当たりにし、新たな課題に気づかされた。この1プレーを契機に、久保はパスをもらう前の自身の予備動作を見直し、磨きをかけていった。
2017年1月、ベルギー・ヘントへ移籍。美しいゴールを決め続ける
17年1月、久保はヤングボーイズからベルギー1部のヘントへ移籍する。欧州に渡ってからも、様々なことを貪欲なまでに吸収して成長を続ける23歳は、記録だけではなく、記憶にも残るゴールを増やしている。世界中で話題になったのは、3月21日のヘレヘン戦で決めた4人抜きのゴールだ。中盤でボールを受けた久保は、ぐんぐんと加速を続けてDFを寄せ付けずにボックス内に入り込むと、柔軟なボールタッチでマークを外す。飛び出してきたGKの鼻先でシュートを放ち、ゴールネットを揺らした。「まるでメッシのようだ」と大きな話題になったゴールは、世界中のメディアの話題となった。
ヘントへ移籍後、7試合で5ゴールとハイペースで、圧巻のゴールを決め続けている久保だが、セリエAを見続けて目の肥えているマウリツィオ・モラーナ代理人は、17年2月26日に決めたゴールを、現時点での久保のキャリア最高のゴールに挙げる。
その日はムスクロンとの一戦だった。前半30分、敵陣に入ったところでパスを受けた久保は、左サイドの味方にパスを展開すると、そのままゴール前のフリースペースに侵入し、リターンパスを呼び込んだ。そのパスを右足でDF2人の間に押し出し、一気にスピードアップ。DF2人を置き去りにすると、左足でゴールネットにねじ込んだ。「あれこそが玄人が見れば凄いゴール」と、マウリツィオ代理人は最大の賛辞を送る。ボールの受け方、ポジショニング、一瞬の判断力、絶妙なトラップ、抜け出し方、フィニッシュ精度。取り組んできたすべてが凝縮された1発だった。
マウリツィオ氏の絶賛するゴールは、クラブの2月の月間最優秀ゴール賞に輝いている。久保は1月にも月間最優秀ゴール賞を受賞しており、3月のヘレヘン戦でのゴールも3月の月間最優秀ゴール賞の有力候補であるため、3カ月連続で月間最優秀ゴール賞を受賞するという偉業を実現する可能性も高いのだ。
3月シリーズで2得点3アシストの大暴れ
ここまで長々と経歴を踏まえて書いてきたが、久保はシーズンごとに自身に足りないところを分析し、テーマを定め、その一つひとつクリアしてきた。またヤングボーイズやハリルジャパン、リオ五輪代表では、それぞれ違う役割をこなしてきた。そんな久保を間近で見続けて来たマウリツィオ代理人は言う。
「ユウヤの素晴らしいところは、チームに欠けているものを補える点。どの監督にも必要とされる」
ポストプレーヤーがいなければポストプレーをこなし、裏へ抜ける選手がいなければスペースを突く。必要ならば単独で仕掛ける技術も備わっている。自分の持ち味を最大限に出すのも選手として大事だが、チームに足りないものを補うのも大事。得点力に加え、選手としての引き出しが多いからこそ、ハリルホジッチ監督も久保に賭けたのではないだろうか。そして久保はその期待に結果で応えた。UAE戦で自身にとって代表初ゴールとなる先制点を挙げると、DFの裏を取ったMF今野泰幸の動きを見逃さずに、クロスをピタリと合わせて2-0の勝利に貢献。さらに続くタイ戦では、右サイドから2本のクロスで香川真司、岡崎慎司のゴールを演出し、自らも右サイドからカットインして左足で2試合連発となる豪快なゴールを叩き込んだ。
周囲からすれば、これまで本田の定位置でもあった右ウイングのポジションを、完全にモノにした感すらある。だが、UAEとタイの激戦を終え、久保は話す。
「まだ右サイドでのドリブルはスムーズに入れていない。今後の課題だし、仕掛け方をトレーニングします」。
日本サッカー界の新しい光になっても、何ら変わらない。6月のアジア最終予選イラク戦。また一つ大きくなった久保裕也が見られるはずだ。