文=座間健司

大一番に向けて盛り上がるスペインの報道

“エル・クラシコ”の前に欧州チャンピオンズリーグ準々決勝が行われ、バルセロナのゲームが水曜日に終わった。ゆえに20日の木曜日から、ようやく地元メディアの“エル・クラシコ”に向けての報道の量が増え始めた。シャビ・エルナンデスら古巣への激励が含まれたコメントなど元有名所属選手のインタビューをはじめ、「ツイッターが“エル・クラシコ”に向けてメッシやクリスティアーノ・ロナウドの絵文字を始める」「ラ・ファブリカがラ・マシアを制する レアル・マドリーの下部組織がバルセロナよりも、今の各年代のスペイン代表に多くの選手を送り込んでいる」などニュースは多岐に渡る。

 そんな中、毎回お決まりと言っていいほど掲載されるのがデータだ。

 たとえばバルセロナのエースであるアルゼンチン代表メッシは、“エル・クラシコ”の歴代最多得点者だ。メッシはレアル・マドリー戦に32試合出場し、21ゴールを記録。2位はレアル・マドリーという常勝軍団の礎をつくりあげたディ・ステファーノで18得点、3位はクリスティアーノ・ロナウドで25試合に出場して16得点を決めている。ちなみに4位はクリスティアーノ・ロナウドが現在つける白の7番の前任者であるラウール・ゴンザレスで15得点だった。このようなエースの比較だけに留まらず、両監督の勝敗など豊富なデータで試合を紹介している。

今季、バルセロナ戦でミスジャッジのあった主審が担当

©Getty Images

 そんな中、今回の“エル・クラシコ”の報道で珍しかったのが、試合を裁く審判のインタビューが掲載されたことだ。今回のエル・クラシコを裁くのは、エルナンデス・エルナンデス審判だ。2015-2016シーズンのカンプ・ノウでの“エル・クラシコ”を裁いており、今回が2度目となる。彼にとって初めての“エル・クラシコ”は、1-2でレアル・マドリーが勝利した。

 今シーズンはベティス対バルセロナ戦の笛を吹き、バルセロナのジョルディ・アルバの明確に1メートル以上もゴールラインを割ったシュートを得点と認めず、さらには同じ試合でネイマールが明らかなファウルを受けてペナルティーエリア内で倒されたが、PKの笛は鳴らずに大きな注目を集めた。

 そんなエルナンデス・エルナンデス審判のインタビューが、20日にマドリー寄りのスペイン紙『マルカ』や『アス』に掲載された。目前の“エル・クラシコ”に向けて「選手たちとは普通に接するだろう。このゲームで笛を吹くことは、誰もができることではなく特権であり、クラブレベルにおいて地球上で最も重要な試合だ。選手たち、環境、スタジアムを導いていきたい」と話した。

 またこうコメントしている。

「すべてのジャッジを正確に、可能な限り最高のジャッジをしたい。なぜなら私たちのキャリアは、ジャッジが的確かどうかで再評価されるからだ。1部リーグの選手たちは、(審判を)もう1人のスポーツ選手として扱ってくれる。試合ではとても緊張度が高くなるが、彼らは私たちをプロフェッショナルとして見てくれる」

 話題となったベティス対バルセロナ戦のミスジャッジについてはこう振り返っている。

「あの日は家に戻った時に、(ミスジャッジもあり)調子は良くなかった。疑いの余地はない。人間だったらすべてを完璧にこなすことは不可能だ。ミスの許容範囲があり、自分が思う以上にミスを冒してしまうこともある。良いシーズンは、ミスよりも正確なジャッジが多い。人々はピッチにいない。だから、どうやってミスを犯すのか、失敗をするのか、理解できない。PKの笛を吹いたり、吹かなかったり、ミスジャッジは試合を決定づけることもある」

 審判にとっても“エル・クラシコ”は特別だ。長く1部リーグで笛を吹くなど実績のある審判が引退するシーズンに褒章として、“エル・クラシコ”の担当に任命されることもある。その一方で、エルナンデス・エルナンデス審判のインタビューからも読み取れたが、やはり大きなプレッシャーにもさらされている。

 とはいえ、彼が主審を務めるからレアル・マドリーが優位とは言えない。彼が初めて笛を吹いた2015-2016シーズンの“エル・クラシコ”では、1-1の同点で迎えた後半38分、DFセルヒオ・ラモスを退場処分にしている。それでもレアル・マドリーは数的不利の中で、C・ロナウドが決勝ゴールを挙げて勝利した。はたして自身2度目となる“エル・クラシコ”で、エルナンデス・エルナンデス主審は、全く目立たつことなく、この大一番を裁くことができるのだろうか。


座間健司

1980年7月25日生まれ、東京都出身。2002年、東海大学文学部在学中からバイトとして『フットサルマガジンピヴォ!』の編集を務め、卒業後、そのまま『フットサルマガジンピヴォ!』編集部に入社。2004年夏に渡西し、スペインを中心に世界のフットサルを追っている。2011年『フットサルマガジンピヴォ!』休刊。2012年よりフットサルを中心にフリーライター&フォトグラファーとして活動を始める。