文=下薗昌記
Jで味わった指導者として最大の挫折
ヘッドコーチという肩書きではあったものの事実上の監督だったガンバ大阪では開幕からの公式戦5連敗で、早期解任。2012年に、指導者としてはJリーグで挫折を味わった呂比須ワグナーは、母国ブラジルで「ワグネル・ロペス」として着実に実績を積み重ねて来た。
名目上の監督だったセホーンとともに日本を去った後も、ガンバ大阪の戦いぶりはチェックしていたという呂比須は「自分たちの責任は感じたし、残念だった」と振り返ったものの、彼にとってガンバ大阪での解任劇は指導者のキャリアにおける最大の挫折だった。
2013年にサンパウロ州の中堅クラブを率いて、再起を期した呂比須の胸にあったのは日本へのリベンジ。ガンバ大阪ではブラジルでのトップカテゴリーに相当するブラジル全国選手権1部での指揮経験がなかったことから、ライセンス問題に抵触した呂比須ではあるが2014年4月、当時全国選手権1部を戦っていたクリシウーマの監督に抜擢されたのだ。
ワールドカップブラジル大会が開幕する前日、筆者はサンパウロ市内で呂比須を取材する機会に恵まれたが、開口一番、口にしたのが日本へのこんな思いだった。
「日本を見返そうと思って頑張って来たし、全国選手権1部までたどり着けた」
資格上、すでにJリーグの指揮を執ることが可能だった呂比須だが、「これでJリーグで監督が出来るね」という筆者の問いには「今はもうJリーグで指揮を執りたいとは思わない。それよりも、ACLに出場するクラブの監督に就任してJリーグのクラブを倒したいんだ。実際に韓国のクラブからオファーはあったからね」。
2014年当時はまだ、ガンバ大阪での失敗をトラウマとしていた呂比須。残留争いの渦中にあったクリシウーマを立て直しきれず、4カ月あまりで解任の憂き目を見た元日本代表FWではあったものの、その後は全国選手権2部クラブの中堅どころを転々とし、着実に実績を積み重ねて来た。
2015年にはブラジルの指揮では初のビッグクラブとなるゴイアスの監督に就任。15試合で10勝4分け1敗という文句のない成績を残しながらも、クラブ幹部との折り合いが悪く、解任されたものの、そのサッカー自体は手堅いものでブラジルメディアからの評判も上々だ。
ブラジルで高い評価を得ながらも電撃退任
©共同通信「研究熱心」。呂比須を語る母国のメディアが決まり文句のようにつける肩書きだ。攻撃的なチーム作りを指向しながらも、率いるチームはタレント不足だったり、資金難に喘いだりする中堅クラブが大半で現実的な戦いを強いられて来た呂比須。そんな呂比須に白羽の矢を立てたのが長らくブラジル全国選手権2部に低迷しているパラナだった。パラナ州選手権の準々決勝では名門、アトレチコ・パラナエンセに惜敗したものの、国内最大のカップ戦、コパ・ド・ブラジルではチームを16強に躍進させるサプライズを起こし、評価を高めていた呂比須。しかし5月5日、パラナは電撃退任を発表する。
〈素晴らしい結果をありがとう、ワグネル〉。
全国選手権2部の開幕を前に、チームを去った指揮官に対してパラナの公式ツイッターが残したメッセージが呂比須への評価を物語るだろう。
「長年待ち望んでいたチャンスについて、今週電話をもらった」と会見で明かした呂比須だが、ブラジルで実績を積み重ねて来た苦労人に、日本への遺恨はない。
2015年3月、筆者が再び取材した際には「シーズンが始まってまだ20日ほどだったから解任はショックだった。当時はまだ私にも経験が足りなかった。いつか、また機会があればJリーグで監督をしてみたいね」と、新たな野望を口にしていたのだ。
日本では誤解されがちだが、日本に帰化したブラジル人は日本人になるわけではない。ブラジルは国籍法の関係で国籍離脱を認めてないため、呂比須はあくまでもブラジル側では「ワグネル・ロペス」なのだ。このため、S級ライセンスは取得していないものの、もはや彼にJリーグで指揮を執る障壁は存在しない。
ガンバ大阪では名目上の監督だったセホーンとの棲み分けが思うようにいかず、事実上の「二頭体制」として迷走。呂比須自身も「ああいう形はやっぱり難しかった。やっぱり指導者は1人じゃないとダメだと思った」と反省を口にしているが、次に就任する際は「呂比須監督」の手腕が問われることになるはずだ。
2013年以降は、かつてFC東京や大分で活躍したサンドロをヘッドコーチに従え、二人三脚で実績を積み重ねて来た呂比須。ビッグクラブでの実績はないものの、残留争いや昇格争いを目指す「弱者」を率いて現実的な戦いの中に身を置き続けて来た。
ガンバ大阪での挫折からはや5年――。サッカー王国で積み上げて来た経験値を「監督」という肩書きで証明することになる。