文=内田暁、写真提供=小和瀬麻帆

プロ転向への不安や悩み

「自分は、プロとしてやっていけるだろうか……?」

 それはテニスに打ち込む多くの少年・少女たちが必ずと言ってよいほど、ある時点で向き合う問いである。もちろんテニス以外の競技でも、同様の悩みやためらいを抱える若い選手たちは多いだろう。ただテニスのように世界を活動の舞台とする個人競技では、プロになる年齢もその道筋も千差万別だ。早い選手ならば14歳でプロとしての道を歩み出すし、大学進学を経て22~23歳でプロに転向するケースも多い。

 もっともプロになったからといって、お金が稼げる保障はどこにもない。勝たなければ賞金は得られず、ツアーを転戦するとなれば多大な経費も必要だ。だからこそプロ転向か大学進学か、あるいはテニス以外で生きる道を選ぶかは重い選択であり、日本の場合は多くの選手が高校卒業を控えた時点で岐路に立つことになる。

アメリカの大学へ進学するという選択肢

©小和瀬麻帆

(写真提供:小和瀬麻帆=ジョージア大学在学中に劇的な逆転勝利を飾った)



 近年、そのような悩みを抱えるジュニア選手たちの間で、にわかに注目を集めている選択肢がある。それが、アメリカの大学進学。スポーツ特待生として奨学金を受け、NCAA(全米大学体育協会)でプレーしながら学位も習得する道だ。

「子供の頃から、英語を話せるようになれたらかっこいいな、外国に行きたいなという漠然としたあこがれがありました。そのうち、スカラシップ(奨学金)を得て勉強のサポートもしてもらえることを知り、『私も頑張ってみよう』と思ったんです」。

 決断の日をそう振り返るのは、2010年にジョージア大学に進学し、同校のテニス部のエースとして活躍した小和瀬麻帆だ。名門テニスクラブ“吉田テニス研修センター(TTC)”で腕を磨き、日本の一流大学からの誘いがありながらもアメリカの大学を選んだ彼女は、自分の進む道を自らの手で切り開いたパイオニア的な存在でもある。

 高校時にインターハイ優勝などの実績を残した小和瀬だが、すぐにプロになるには不安があった。そこで進路のみならず、テニスそのものとも向き合いさまざまな想いを巡らせるなかで、幼い頃からのあこがれを実現させたいとの願いが募った。

 ただアメリカの大学に行くとは行っても、具体的な策や情報源があった訳ではない。そこで彼女がやったこととは、「プロモートDVDを作って、手当たり次第に送ること」。動画付きのレジメを作成し、海の向こうへ働きかけたのだ。同時に彼女はTTCの関係者の伝手を頼り、デビスカップの元日本代表でありアメリカテニス界に知己の多いトーマス嶋田氏と連絡を取る。そのように情報収集とPR活動を続ける中、トーマス嶋田氏の協力を得られたことで、複数の大学のコーチからスポーツ特待生としてのオファーを受け取った。

 話が来るやいなやアメリカに飛んだ小和瀬は、自らの目で見たその中からジョージア大学を選び取る。最大の決め手は、なんといってもテニスの環境が素晴らしいこと。広大なキャンパスの中には、わずか20名のテニス部員のためにインドア12面、アウトドア4面ものコートが用意されている。ジムや下宿舎も充実しており、コーチやトレーナーはもちろん、栄養士や教育指導官など文武両面でのサポート体制も整っていた。

「こんなところでテニスができる機会は、そうそうない!」

新天地への旅立ちに、もはや迷いはなかった。

NCAAにおける日本人の地位を上げて新たな選択肢を作る

©Getty Images

(写真=強豪ケンタッキー大学に進学した足立真美)



 ジョージア大学で単複ともにエースの座につき、ダブルスではNCAAチャンピオンシップ準優勝に輝いた小和瀬の活躍は、日本のジュニア選手たちに一つの進路を示すと同時に、NCAA内における日本人の地位や注目度も上げただろう。近年では毎年男女複数名の選手がアメリカの大学へと進み、それぞれのチームで存在感を示している。2012年大阪スーパージュニア選手権ダブルス優勝などの実績を持つ足立真美も、海の向こうの大学に可能性を求めた一人だ。

 子供の頃からプロを目指しジュニア時代から世界を舞台に戦っていた足立だが、それでも高校卒業を目前にしてプロ転向には不安を覚えたという。

 そんな迷いを抱えていたとき、アメリカの複数の大学からfacebook経由で、スカラシップのオファーが届いた。

 アメリカの大学に行く道もある……そう考え始めた足立が真っ先に助言を求めたのが、強豪ジョージア大学で活躍していた小和瀬である。

「小和瀬さんにアメリカの大学について1から説明して頂いたり、オファーを下さった大学のコーチたちに進学に関する条件やルールなどを教えて頂いたりしました」。

 そうしているうちに、心は海の向こうへと傾いていく。足立が大学側から提示された条件は、授業料や下宿代、遠征費から用具代までカバーしてくれるフルスカラシップ。最大の懸念事項は英語だったが、統制されたシステムと高いレベルを誇るNCAAで、自分を試したいとの想いが上回った。強豪ケンタッキー大学進学を選んだ足立は、1年目からレギュラーに定着。2年目の昨シーズンは、全米大学連のベストダブルスチームの栄誉に輝くほどの活躍を見せている。

 その足立と入れ替わるように大学を卒業した小和瀬は、NCAA最後の試合を終えた時点で「私のテニス人生、これでよかった!」と、すっぱりテニスと決別できたという。その後は大学院にも進み国際ビジネスと経営学を学んだ小和瀬は、昨年帰国し現在は外資系の企業に勤めている。

 子供の頃に抱いた「プロテニス選手」とは異なる道を選んだ彼女の、今の夢は「世界を舞台に仕事をすることと、スポーツ界への恩返し」。特に直近の目標については、「もっと多くの方にアメリカの大学を知ってもらいたいですし、それによって日本のスポーツを盛んにしたいと思います」と目を輝かせた。

 その小和瀬の背を追って、既に足立のような選手が生まれている。

 アメリカでまいた夢の種は、早くも芽吹きはじめている。

小和瀬麻帆のNCAA体験記 不自由のない文武両道

日本テニス界のトップジュニア選手の間で、“進路”として注目されているのがアメリカの大学である。特待生として奨学金を得て、テニスと勉学を両立する文武両道の道。小和瀬麻帆さんは高校時代、国内のトップ選手でありながら、プロ転向、日本の大学進学ではなく、海外に可能性を求めた選手である。後進にも道を拓いた小和瀬さんのインタビューをお伝えする。

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レベルもスケールも桁違いのNCAA 小和瀬麻帆のNCAA体験記

アメリカのジョージア大学にテニス特待生として進学し、強豪校でエースとして活躍した小和瀬麻帆さんは、自身の経験を広めることで、進路選択に悩む後進に「このような道もあることを知らせたい」と熱く訴える。強豪ジョージア大学で活躍し、ダブルスでは全米学生2位になりながらも、小和瀬さんはプロの道を選ばなかった。大学でテニスを終えた後、彼女は何を思い、どのような道を選んだのか? そして今、胸に抱く将来の夢とは――。パイオニア的な存在として海を渡り、今は“セカンドキャリア”を歩む彼女の言葉をお伝えする。

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内田暁

6年間の編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスとして活動し始める。2008年頃からテニスを中心に取材。その他にも科学や、アニメ、漫画など幅広いジャンルで執筆する。著書に『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)、『中高生のスポーツハローワーク』(学研プラス)など。