文=杉園昌之

レナチーニョが関東1部クラブに加入した理由

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 5月13日、冷たい雨が降り注ぐ中、小学校の跡地につくられた東京多摩フットボールセンターのピッチで、30歳になったレナチーニョが懸命にボールを追っていた。J1の川崎フロンターレで活躍したドリブルが得意なブラジル人の風貌と体型は、日本を離れた7年前からそれほど変わっていない。背番号も、同じ34番。戻ってきたチームは、かつての川崎フロンターレでもなければ、Jクラブでもない。頂点のJ1から数えると5部リーグ相当の関東リーグ1部に属するボンズ市原。そこまで、プレーの質が低下したのか――。

 関東サッカーリーグ1部の前期4節、そのレナチーニョは前半に先制のヘディングシュートを決めると、拳を突き上げた。後半に同点に追い付かれると、独力で局面を打開し、決定機を演出。最後まであきらめずにゴールに向かう姿勢を見せ、チームを盛り立てていた。川崎F時代のようにスピードで勝負する場面はあまりなかったが、ブラジルの名門サントス仕込みの技術は錆びついていない。

 1-1のまま終了の笛が鳴ると、腰に手をあて、天を仰いだ。その姿には悔しさがにじんでいた。「チームの勝利に貢献するために全力を尽くしている」。戦う目は真剣そのもので、言葉にも力がこもる。アマチュアリーグでも手を抜く素振りはない。川崎F時代のように高額年俸を手にしているわけではないが、意欲にあふれていた。市原ではほかの選手と同じ寮に住み、そこで食事も採る。カテゴリーも関係ないと言う。

「30歳になり、新しいチャレンジをしたかった。他の国からもオファーはあったが、日本でもう一度プレーしたいという気持ちが強かった。そのとき、ボンズのプロジェクトを聞いて、一緒に上を目指して戦いたいと思った」

 レナチーニョの心を動かしたボンズ市原のプロジェクトとは--。

J2クラブにも匹敵するボンズ市原のハード面

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 千葉県市原市を本拠地とするボンズ市原の戦力は地域リーグの域を超えている。

 試合後、ベンチのパイプ椅子から腰を上げ、ピッチサイドでレナチーニョを迎えたのは清水エスパルスでも指揮を執ったゼムノビッチ監督だ。ロッカールームへ引き上げる面々を見ると、ガーナU-21代表経験を持つマイケル・ダビアン、元清水の柏瀬暁、元水戸ホーリーホックの二瓶翼らもいる。5人のプロ契約選手を含め、J2、3でプレーしてもおかしくない野心あふれる若手たちの顔が並ぶ。コーチングスタッフも充実。SC相模原の監督として、関東リーグからJFL、J3昇格まで果たした木村哲昌氏がヘッドコーチを務めている。百戦錬磨のコーチはチームの強化を含め、「選手の指導だけでなく、いろいろなことをやっていますよ。控え室の片付けとかもね」と笑いながら手を動かしていた。

 スポンサー企業で勤める選手が多く、仕事のサポートも手厚い。多くのアマチュアチームは就業時間が終わる夕方以降に練習するところが多い中、トレーニングは基本的に午前10時から12時の時間帯に行っている。驚くのは、それだけではない。

 ゼムノビッチ監督は、レナチーニョが加入した理由の一つに「ハード面が充実していることもあると思う」と口にしていた。「一部のJ2クラブよりも良いかもしれない」としみじみと話す。

 天然芝1面、人工芝1面の練習場。さらにボンズ市原が発行した株で、個人や企業から1億5000万円分を集めて、クラブハウスも建設。グラウンドのそばにはシャワールーム、選手ロッカー、室内トレーニング施設を備えた立派な建物が立っている。

「株主は市原市在住者、市原市で働く人、市原市内の企業です」

 神山史朗理事は市民が株主となって、運営している市民クラブだという。行政からのバックアップもあるが、それだけではない。しっかりとした後ろ盾がある。市原市の医療法人社団緑祐会が大きな支援をしており、練習場のすぐ横には老人ホームが見える。ユニフォームの胸ロゴは、同じ資本系列でベトナム、セブ島の高級リゾートホテル「プルクラ」の名前が入り、チームを支えている。地域密着型の市民クラブながら、サッカー関係者たちが「大きなポテンシャルを持っている」と口にするのもうなずける。

 ゼムノビッチ監督も、クラブとしての伸びしろに魅力を感じていた。

「このクラブには可能性がある。もっともっと成長していく。Jリーグまで引き上げて、そこでも、このクラブを率いたい。簡単なことはではないけどね」

 Jリーグへの入会を目指すために「Jリーグ百年構想クラブ」に申請中。2020年までにJ3入りを狙っており、今季は本腰を入れてJFL昇格に照準を合わせる。

 フットボールの街、市原市に再びプロサッカークラブを--。原点はここにある。旧ジェフユナイテッド市原は2003年から活動拠点を移し、2005年からはチーム名も変更。スタジアムも移転した。いまも名前こそ入っているが、ジェフユナイテッド市原時代とは大きく違う。市原市のサッカー関係者、サッカーファンが望むのは「おらが街のクラブ」。その結晶がボンズ市原なのだ。

 ボンズ市原の神山理事は、将来の夢に思いをはせる。

「ジェフと(千葉)ダービーをしたいですね」

 本拠地は、ジェフ・サポーターにとってはノスタルジーがある旧市原臨海競技場。2013年からはゼットエーオリプリスタジアムとなっている。

 現在、ジェフは友好関係にあると言うものの、ボンズ市原のファン・サポーターが燃えないわけがない。

 ノスタルジー、因縁――。

 そこに新たなドラマが生まれる。

杉園昌之

著者プロフィール 杉園昌之

1977年生まれ。ベースボール・マガジン社の『週刊サッカーマガジン』『サッカークリニック』『ワールドサッカーマガジン』の編集記者として、幅広くサッカーを取材。その後、時事通信社の運動記者としてサッカー、野球、ラグビー、ボクシングなど、多くの競技を取材した。現在はフリーランス。