文=いとうやまね
ブル・サヴォイア
©Getty Images 国旗からはイメージできない色のユニフォームを着用する国がいくつかある。オランダやイタリア、日本もそうだ。そこに“さし色”としてナショナル・カラーを入れ込む。袖口であったり、首元であったり、見えないところにこっそり入れることもある。この“加減”にセンスの差が出る。イタリアの国旗は緑白赤のトリコロールだが、チームカラーはご存じ空色。今のユニフォームは「青」に近い。そもそも、なんで青なのか? という話である。
イタリア代表の空色は、サヴォイア家の「青」が引き継がれたものとされている。サヴォイア家はイタリア屈指の名門で、19世紀の「イタリア統一」で中心的な役割を果たした。サヴォイア家の歴史は11世紀初頭にまで遡る。発祥の地は現在のフランス南西部、その名もサヴォワ県である。
イタリア語には「ブル・サヴォイア(サヴォイア・ブルー)」という色名がある。わずかにグレーを帯びた真夏の空のような青だ。その起源は古く、14世紀のアマデウス6世の時代に採用されたのが始まりだ。1366年、アマデウス6世はオスマン帝国への遠征を企てる。その際、旗印としてこの青色を用いたのである。
サヴォイア家の紋章は、赤地の盾に銀の十字である。王冠などの装飾が加わることもある。そこに青が加わったのはこんな経緯からだ。遠征に向かう17隻の艦隊には2000人の兵士が乗っていたのだが、船の内部には聖母マリア像が祭られていた。勝利と加護を願ったものだが、そのまま設置するのもよろしくないということで、下に金の星を刺繍した青いクロスを敷いたという。やがて、青いクロスはサヴォイア家の紋章にも反映されるようになる。
この青はサヴォイア家に代々引き継がれ、軍の将校たちのベルトやスカーフなどにも用いられた。今でも、イタリア陸軍の公式セレモニーでは、青色のスカーフを纏った兵士の姿を見ることができる。歴史的にはイタリアの三色旗よりも、ブル・サヴォイアの方が遥かに古いのだ。
スキピオにヴィットーリア
©Getty Images イタリア国歌斉唱といったら、ジャンルイジ・ブッフォンを思い浮かべる人も多いだろう。瞳を閉じ、人目もはばからず熱唱する姿には、感動すら覚える。それに呼応するかのように、他の選手たちも声を張り上げる。ブッフォンはとあるインタビューでこう打ち明けている。「第一次世界大戦で亡くなった先祖を想い、自分なりに敬意を表している」と。
イタリア国歌は『マメーリの讃歌』と呼ばれる。統一戦争に義勇軍兵士として参加していた詩人、ゴッフレード・マメーリの名が冠されている。ここで、歌詞を少しだけひも解いてみよう。
『マメリーの讃歌』
イタリアの兄弟よ
イタリアは目覚めたのだ
シピオの兜を頂き
勝利の女神ヴィットーリアはいずこに
その髪をおまえに捧げよう
なぜなら(勝利の女神は)
神の造られしローマのしもべ
隊伍を組め
死ぬ覚悟はできている
イタリアが呼んでいる
おーっ!
3行目の「シピオの兜を頂き~」のシピオとは、古代ローマの名将で政治家だった「スキピオ」のことである。世界史で、大スキピオ・小スキピオと習ったあれだ。この場合は父親の大スキピオのことで、地中海世界の覇権を巡って起きた「ポエニ戦争」で有名である。その時、敵カルタゴを指揮していたのが名将ハンニバル。この二人の戦いは小説や映画にもなっている。最終的には大スキピオがハンニバルを破り、「ローマ帝国」の礎を築く事となる。
「ヴィットーリア(Vittoria)」とは、ローマ神話の「勝利の女神」である。Victory(勝利)の語源だというのは、字面を見てわかるだろう。古代ローマの奴隷女は、みな髪を短く切られていた。ローマのしもべ(いわば奴隷)であるヴィットーリアは、たとえ女神であってもイタリアのために自らの髪を捧げなければならない、という意味合いになる。
この国歌は、イタリア統一のために戦う自分達を、古代ローマに生きた英雄スキピオの心意気に、重ね合わせているのだ。
リソルジメントと赤シャツ隊
©Getty Images 19世紀初頭のイタリアは、小さな都市国家に分かれていた。そのため、たびたび周辺国の介入に悩まされることになる。その後、ナポレオンに全土を支配されると、今度はイタリア人としての民族意識が高まり、国家統一運動が一気に活性化する。ところがナポレオンが失脚すると、イタリアは再び分裂状態に戻ってしまった。そこに登場するのが革命家ジュゼッペ・マッツィーニ。彼が掲げたスローガンが、「リソルジメント(イタリア再統一)」だった。
19世紀の半ばになると、マッツィーニの弟子ガリバルディーが台頭する。ガリバルディーは若者を集めて「千人隊」という義勇隊を作る。グループ名は。着ているシャツの色から「赤シャツ隊」とも呼ばれていた。このあたりのネーミングセンスは、現在のサッカーチームとなんら変わりがない。国歌の詩を作ったマメーリは、この赤シャツ隊に所属していた。
リソルジメントの主軸になったのは、イタリア北部の「サルディニア」という王国。先述のサヴォイア家が治めていた国だ。このサルディニア王国軍とガリバルディーの赤シャツ隊が、革命の立役者となる。1861年3月17日、サルディニア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の「イタリア王宣言」がトリノの国会で承認される。この日が現在「イタリア統一記念日」になっている。
マメーリ自身は、1849年に戦死している。だからイタリアの統一を見ることはできなかったわけだ。
サヴォイア家の末裔
©Getty Images 時は流れ、共和国の成立とともにイタリアを追放されていたサヴォイア家の帰国が許された。2002年のことである。帰ってきたのは、最後の国王ウンベルト2世の息子と孫だ。若くてハンサムなエマヌエーレ・フィリベルト・ディ・サヴォイアは、たちまちテレビでも注目の的になった。なにせ、歌もダンスも上手く、身のこなしもエレガントでお金持ちなのだから。特に歌は、2010年のサンレモ音楽祭で次席になるほどの腕前だった。
そんな彼が贔屓にしているサッカーチームがある。ユヴェントスとイタリア代表である。スイス亡命中からサッカー番組のゲストに呼ばれていたほどで、本格的なサッカーファンだ。スイス生まれでスイス育ちの元プリンチペは、一族に由来のある「青」をまとった代表選手たちをどう見ているのだろうか。それは、誰にもわからない。