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取材・文=田澤健一郎、写真=塚原孝顕

「走り込み」が特別視されるのはプレセボ効果の影響もあるか?

 きちんと整理してまとめれば、「走り込み不要」という言葉にショッキングな印象を受けても、「過度が走りは必要なく、適切なウェイト・トレーニングは大事」という詳しい中身、真意を知れば、頷ける話ではないだろうか。

 にも関わらず、なぜ「走り込み」が21世紀のいまも、日本の野球界、いや日本のスポーツ界において、これほどまでに「特別なトレーニング」という地位を長く得てしまっているのだろうか。友岡氏は、「一種のプラセボ効果もあったのではないでしょうか」と語る。

 プラセボ効果――別の言い方をすれば「プラシーボ効果」。効果のない薬を、特効薬だと説明して患者に飲ませると、症状がよくなったりするといった事象からきた言葉である。いわゆる、「暗示」というやつだ。つまり、よい結果が出た理由を、「自分はこれだけ走った」という事実ばかりに結びつけた結果ではないか、という話である。

 たとえば、「走り込みの成果」と話した選手であっても、なにかしらの筋力トレーニングやバランストレーニング、フォームの見直しなど走り込み以外に成功の要因はいくつかあったのかもしれない。しかし、過度な走り込みが、なまじ苦しい思いをしたトレーニングだったゆえに、それだけを主たる成功要因に感じてしまう。もちろん「苦しいことをやりきった」という自信が、選手の精神面を成長させる要因になることは事実だろう。ただ、その自信の源は「走り込み」以外の練習、トレーニングでもいいはずだ。

「『すごくがんばった』が長時間の走り込み以外であってもいいんです。走り込みを筆頭に過度に時間や量ばかり多いトレーニングは、間接や筋肉の負担にしかならないこともあります。いまは『タバタ式トレーニング』(※注釈)など、効率的に短い時間で体に刺激を与え、心拍数を爆発的に上げることのできるトレーニングだってあるんですから」

 だからこそ、選手にはいま以上に「トレーニングの丁寧な説明」が必要なのかもしれない。「たとえば、このトレーニングは、時間は短いけど、長い走り込み以上にハードで効果的なんだ」といったように。

「長い時間、苦しい思いをして走った」ことが評価され、自信になる。それはまるで日本の長時間労働、いわゆる残業問題、ブラック企業問題にも通じるような印象も受ける。日本社会は、結果の前に、まず「長く苦しい思いすることに耐えた」自体が高く評価される傾向が強い。「走り込み」問題……一種の「走り込み万能論」は、日本の文化の問題であるのかもしれない。それを証明するように、日本の「走り込み万能論」のルーツは、富国強兵を目指し、体力養成のためにマラソンを奨励した戦前の教育方針、学校教育における「体育」の思想にある、と指摘する人もいる。

「結局、ウェイト・トレーニングが疑問視される一方で、無駄な走り込みがいまだに行われているのは、そういった教育を受けた指導者が、自分を否定してしまうことにつながるからなのかもしれません。怠慢だった選手も指導者になると『いままでこうやってきた』『自分たちはこうやって鍛えられてきた』から、同じことを選手に課してしまうのではないでしょうか」

 これもまた「オレたちの時代は残業なんて当たり前で……」といった類いの話と共通しているように思える。

※注:立命館大学スポーツ健康科学部長の田畑泉教授が考案した高強度インターバル・トレーニング。「20秒動いて10秒休む」=1セットを8セット(4分)行うのが基本。これで1時間、自転車を漕ぐのと同程度の負荷が得られると言われている。「タバタ・プロトコル」という名で海外のアスリートも練習に取り入れているケースが多い。

最後は気力、精神の強さも必要。選手にどう自信をつけさせるか

©塚原孝顕

「ただ、適切なトレーニングは大事ですが、一方ですべてをやったうえで、最後は気力、根性、精神力が勝敗を分けるのも事実なんです。試合だけでなく、練習でも気の弱い選手は必要なメニューをやりきれなかったり、続けられなかったりする。ときには根性論も必要だとは思います」
 
 意外な言葉にも聞こえるが、問題は気力、根性、精神力を、これまでは走り込みを筆頭に、体を壊しかねないスパルタな練習で身につけさせることが多過ぎたということである。今後は根性という名の「強い精神力」を、それ以外、どこでどのように身につけさせるのかが指導のカギになってくるのかもしれない。

「だから最後は教育、会話、コミュニケーションの話になるんです。トレーニングの説明にしても押し売りではなく、チームや選手に合わせて方法を変えるなど丁寧に行うことなどが大切なんですね。あとは計画。トレーニング導入期、フォームを確立する時期、筋肥大期を経て、ここまできたら最大筋力・パワーの向上に移行しよう、といった成長の年間計画を立ててモチベーションもアップさせる、といった取り組みも大切だと思います」

 日本の野球界の発展は、高度経済成長期、人口増加期とともにあった。厳しい走り込みなど根拠のないハード・トレーニングを課し「ついてこれないヤツは辞めろ!」と乱暴に選手を切り捨てることもあった。指導者がロクに練習の意味を説明せず「とにかくオレの言うことを聞け」「根性で乗り切れ」と怒鳴りながらただスパルタなだけの練習で選手を鍛え上げ、乗り越えた選手だけで戦うといったケースも珍しくなかった。それでも選手の数はある程度、残ったからだ。

 しかし、いまは人口減少期で、全国各地の野球部から部員不足に悩む声が聞こえてくる時代である。そういった乱暴の指導は転換期にあると言えるだろう。「走り込みは必要ない」というテーマは、単なるトレーニング論を飛び越え、日本野球界の未来にも関わってくる話のようにも思える。

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[プロフィール]
友岡和彦
1971年生まれ。立教大学文学部卒業後、アメリカに渡りフロリダ大学でトレーニング・スポーツ・サイエンスについて学ぶ。1999年、フロリダ・マーリンズのストレングス&コンディショニング・アシスタントコーチを務めた後、2001年より2008年までモントリオール・エクスポズ(後のワシントン・ナショナルズ)のヘッドストレングス&コンディショニングコーチ。2009年より現職。


田澤健一郎

1975年、山形県生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て編集・ライターに。主な共著に『永遠の一球』『夢の続き』など。『野球太郎』等、スポーツ、野球関係の雑誌、ムックを多く手がける元・高校球児。