イリーナ・スルツカヤについて

名前 イリーナ・スルツカヤ
生年月日 1979年2月9日
ロシア
出身 ロシア・モスクワ
プロフィール 病弱だった幼少期に、母親が自宅近くのアイスリンクに連れていったのがアイススケートとの出会い。4歳から専属コーチの下でトレーニングを重ねた。1995年世界ジュニア選手権で優勝。

’95〜96年シーズン欧州選手権でソ連時代を通じて初の女王の座についた。ISUグランプリ(GP)シリーズ・ファイナル2位、ロシア選手権2位、世界選手権は銅メダル。

’96〜97年シーズンはGPファイナル3位、ロシア選手権3位、欧州選手権2連覇、世界選手権4位。

’97〜98年シーズンはGPファイナル4位、欧州選手権2位、長野五輪5位、世界選手権銀メダル。

’98〜99年シーズンはGPファイナル3位、ロシア選手権4位。

’99〜2000年シーズンはGPファイナル初優勝、ロシア選手権初優勝、欧州選手権で3度目の優勝、世界選手権銀メダル。

2000〜2001年シーズンはGPファイナル、ロシア選手権、欧州選手権で2連覇を達成、世界選手権で銀メダル。2001〜2002年シーズンはGPファイナルとロシア選手権で3連覇、欧州選手権2位。ソルトレークシティ五輪はサラ・ヒューズ(米国)に次ぎ銀メダルを獲得した。同年世界選手権で初優勝。その後、血管の難病に苦しむが、2004〜2005年シーズンGPファイナルで4度目の優勝。ロシア選手権、欧州選手権、世界選手権も制した。

2005〜2006年シーズンはGPファイナル2位、欧州選手権で2連覇し、同選手権7度の優勝は歴代1位に。トリノ五輪は金メダル候補と目されていたが、荒川静香、サーシャ・コーエン(米国)に次ぐ銅メダルに終わった。161センチ、51キロ。

ひ弱な少女がスケートで変身

後にフィギュアスケートの世界で女王とまで称されるイリーナ・スルツカヤですが、幼少期は大変ひ弱な子だったそうです。4歳のころに医者から体力づくりの一環として「外でできるスポーツをしてみたら」と勧められたことで、母親に自宅近くのアイスリンクに連れていかれてスケートを始めました。これがスルツカヤにとって劇的に運命を変えることになりました。

すぐに才能を開花させたスルツカヤはひ弱な体も徐々に強くなり、6歳になるとジャンナ・グモロワの指導を受けるように。グモロワの指導の下でスルツカヤは次第に好成績を挙げるようになりました。スルツカヤのグモロワに対する信頼の厚さは並大抵のものではなく、06年に引退するまでスルツカヤのコーチはグモロワただ一人でした。

スルツカヤが表舞台に姿を見せたのは95年の世界ジュニア選手権。初出場となったこの大会でスルツカヤは見事に優勝を果たし自信をつけると、翌95-96シーズンは欧州選手権で優勝。スルツカヤの快挙はなんとロシア選手としては史上初。さらにソ連時代を通じても史上初という歴史的なものでした。このシーズンはISUグランプリシリーズのファイナルで2位、ロシア選手権2位、そして世界選手権で銅メダルを獲得するなど目覚ましい活躍を見せました。

ほろ苦い結果に終わった長野五輪

10代にしてロシアが誇るフィギュアスケート選手となったイリーナ・スルツカヤ。圧倒的な技術力の高さから裏付けられたジャンプの完成度が高く、グランプリシリーズはもちろんながら、2年後に開催される長野オリンピックでのメダルも期待されるようになりました。

そうして迎えた96-97シーズン、スルツカヤは前年にロシア発の制覇と言う快挙を成し遂げた欧州選手権で何と連覇達成。もちろんこれもロシア選手としては史上初の快挙となりました。さらにGPファイナルで3位に入ったのをはじめ、ロシア選手権で4位、世界選手権でも4位と世界でもトップクラスのフィギュアスケート選手になりました。

いよいよ長野オリンピックが近付く97-98シーズン、スルツカヤはGPファイナル4位、そして3連覇がかかる欧州選手権では惜しくも2位に。悪い流れのまま迎えることになった長野オリンピックはショートプログラムでトリプルルッツを予定していたジャンプがダブルルッツになるというまさかのミス。これで5位スタートになるとその後も流れに乗ることができず結果は5位に。初めてのオリンピックはほろ苦い結果に終わりました。

しかし、この雪辱とばかりに奮闘したのがこれまで勝ち切れなかった世界選手権。スルツカヤはミシェル・クワンに次ぐ2位に入り、この大会では自身初となる銀メダルを獲得しました。

スランプを乗り越え、女王復活

長野オリンピックの翌年である98-99年シーズンはグランプリファイナル3位、ロシア選手権4位に終わり、これまでのイリーナ・スルツカヤにしては冴えない成績に終わります。この頃からスルツカヤは少々低迷期に突入することに。

この原因に上がるのは10代の女性にありがちな体形の変化。思春期を迎えたスルツカヤは体重が増し、かつてのようにルッツジャンプが飛べなくなってしまいました。この状態に絶望したスルツカヤはあわや引退の危機を迎えますが、周囲の協力もあってダイエットに成功。かつての体の切れを取り戻して再起を果たしました。

ちなみにスルツカヤの復活に最も尽力したのはセルゲイ・ミハイエフ。献身的に彼女を支えたことがスルツカヤの心を掴み、98年に二人は結婚。最愛のパートナーを得たことでスルツカヤはオリンピックに挑むようになります。

99-00シーズンはまさにスルツカヤの復活シーズンと言うべき年になりました。この年はロシア選手権の初優勝をはじめ、欧州選手権でも3度目となる優勝。そしてGPファイナルではかつて飛べなくなっていた3回転ルッツジャンプを成功させて優勝と、全盛期のスケートを見せるようになります。その後のシーズンもスルツカヤの優勝は重なり、いつしかスルツカヤは「女王」の称号を欲しいままにします。

そうして迎えた02年のソルトレイクシティオリンピック。金メダルの筆頭候補に挙がったスルツカヤでしたが、オリンピックには魔物が潜んでいたのか、フリーで予定していた3不リップでバランスを崩したのに加え、予定していたジャンプが飛べないなど、まさに思うような演技ができずじまい。結果的に総合でサラ・ヒューズに届かず2位に終わり、舞台袖で号泣することに。念願の金メダルにはまたも届きませんでした。

しかし、この悔しさをスルツカヤは世界選手権で晴らします。ショートプログラムで完ぺきな演技を見せたスルツカヤは1位で通過すると、フリーでも1位のまま。圧倒的な差を見せて堂々の優勝。念願と言われた世界選手権での優勝を果たしました。

荒川静香の前に敗れたトリノ五輪

欧州の女王から世界の女王へとなったイリーナ・スルツカヤ。次なる目標は当然、オリンピックでの金メダル。そのためだけに現役を続けていたスルツカヤですが03年、悲劇が襲います。この年のグランプリファイナルでショートプログラムを終えたその日、最愛の母親が肝臓病を患い、意識不明の重体に陥ったことを知らされました。

適切な処置をとられたことで母親は九死に一生を得ましたが、スルツカヤは同様。フリーでは終始険しい表情でのスケートになり、結果は2位に終わります。間もなく連覇がかかる世界選手権の開催が近付いていましたが、スルツカヤは母親の治療を優先させるために辞退しました。

その後、母の介護をすることになったスルツカヤですが、自身の負担は増すばかり。もともと病弱だったスルツカヤは間もなく、自己免疫疾患にかかり、さらに気管支炎も発症。一時は歩行すら困難になるという重症で、スケート選手としての復帰は絶望的と言われるようになりました。

03-04シーズン、それでも彼女の復活を信じるロシア・スケート連盟はスルツカヤに世界選手権への出場を要請します。約1年ぶりの競技復帰となったスルツカヤは精彩を欠き、結果は9位という完敗を喫しましたが、それ以上に再びリンクに戻ってきたことに世界中のスケートファンが驚き、そして感動を呼びました。

04-05シーズンに入ると、スルツカヤは本格的に競技へ復帰。かつての女王ぶりは健在で、この年はグランプリファイナル、欧州選手権、そして世界選手権で圧倒的な差を付けて優勝。中でも彼女の実力が最も現れたのが地元モスクワで開催された世界選手権。フリーで3回転ルッツ、3回転ループと言う難易度の高い技を立て続けに成功させて、圧倒的な実力、女王としての貫禄を見せつけました。

念願のオリンピックのメダル獲得へ最後のチャンスとなる06年のトリノオリンピック。スルツカヤは当然のように金メダルの最有力候補として登場し、ショートプログラムでは難易度の高い技を次々に決めて技術点でトップ。中でもダブルアクセルは各解説者からも絶賛されるほどのものでした。しかし、演技構成の点数が今一つ伸びなかったため、サーシャ・コーエンに次ぐまさかの2位に終わります。

逆転を目指したフリーでは前半にコンビネーションジャンプを失敗して単独ジャンプになり、さらにトリプルルッツがダブルルッツになるなどのミスが重なり、結果はなんと銅メダル。荒川静香がイナバウアーを決めて金メダルを獲得したのとは対照的に、スルツカヤは最後まで金メダルに縁のないままオリンピックを去りました。

その後スルツカヤは出産を機に競技生活にピリオドを打ち、今では子育ての傍ら数回のアイスショーの出演にとどめるという良き母になりました。

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